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2010年07月30日
母への手紙
野の花☆



お母さん、あの時10歳だった
あなたの子どもは今74歳
お母さんが亡くなった年齢を
はるかに超えて生きています

6月の空襲で、私たちが
逃げ込んでいた防空壕が
激しい焼夷弾攻撃を受け
て崩れ落ちてきました

「早う逃げるんや!」
と言って、つかんでいた
手を離し、私を防空壕の
外へ強く押し出した時の
お母さんの恐い顔を
今も覚えています

あなたは私を助けるために
生き埋めになってしまったのです

あの時、どんな思いで私の
手を離したのでしょうか

そこに母親のわが子への
断ち難い思いがあったので
はないかと思うと、今でも
私は胸を締め付けられます

戦争孤児となった私は、
戦後の荒れ果てた町で、
同じ仲間たちと
ただ生きるためだけに
生きてきました

周囲の人から野良犬の
ように追われ黴菌の塊
と呼ばれながら・・

命を犠牲にして守った
わが子のそんな哀れな
姿を見たら、あなたは
どんなに悲しむでしょうか

孤児になった10歳から、
教師として自立できるように
なった27歳までの17年間、
「生きていて良かった」と
思えるようなことは、
ほとんどありませんでした。

しかし、私とめぐり会い、
そして散って行った孤児の
仲間や、空襲で焼き殺された
父親、自分を犠牲にして私を
守り、生き埋めになったまま
のあなたの無念な思いに対して
「ここまで生きてきたよ」と
自分が生きた証を残したくて
生きてきました。

私はその「見えない母」に
支えられて生きてきました

私はあなたを偲ぶものは
何も持っていません。

今も思い出すのは、崩れ
落ちた防空壕の残像と、
あなたがよく歌ってくれた
「浜千鳥」の歌、それだけです。

あの防空壕がその後どうなった
のか、私にはわかりません。

今も生き埋めのまま
なのでしょうか。

6月が来るたびに
悲しさが蘇ります。
私の戦後はまだ
終わっていないのです。

生きてこそ命。その命に、
そして生きるための大きな
力を生み出してくれた
あなたに、「ありがとう、
ここまで生きてきたよ」と、
積年の思いを伝えたいのです。

ありがとう、お母さん。
あなたの子どもはここ
まで生きてきました。
あなたはどこにいますか

人は亡くなると天国へ行く
といいますが、私には、
あの防空壕が天国につなが
っているとは思えません。

あなたはまだあの
防空壕の中ですか・・・。

     山田精一郎(埼玉県小鹿野町)
       PHP8月号「あきらめない」より

               (中略あり)

[ 投稿者:ヘムっちょ at 13:59 | テレビ・本・新聞など | コメント(2) | トラックバック(0) ]

この記事へのコメント
そう・・
今年もまた、
忘れちゃいけない夏があったことを
皆で考えなければならない
季節がやってきましたね。

投稿者: tamakiti at 2010-07-31 10:35:49
tamakitiさんへ
はい、本当に・・知れば知るほど悲惨な戦争・・。
なのに、なぜか進まぬ核廃絶・・。
難しいですよね・・いろいろ考える季節です・・。

それにつけても、tamakitiさん( ̄○ ̄;)こんな所まで・・。
気絶・・(。>0<。)  ←熱烈ファン
投稿者: ヘムっちょ at 2010-07-31 18:31:18

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