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浅間山 8月07日 (小諸市乙女湖公園より)
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このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2019年07月20日
福島市のシンボル信夫山1 岩屋観音
1
飯坂温泉の愛宕山から福島市街を展望・・・

背後の山は信夫山(しのぶやま)・・・
この写真は飯坂温泉に泊った翌朝の朝の散歩のものです。
福島市の福島駅や市役所などの中心はこの写真の信夫山の後ろ側になります。
福島の市街地はこの山をくるりと取り囲んでいます。

福島市街地の真ん中にぽっかり浮かんでいるような山と言えます。
古来から「御山(おやま)」と呼ばれた信仰の山でした。信夫三山とも言われこの写真の左から、熊野山(くまのさん 標高268m)、羽黒山(はぐろさん 標高260m) 、羽山(はやま 標高275m)とほほ同じような近さの山が並んでいます。

那須の茶臼岳を断念して、代わりにその日の宿泊地に近い福島にどこかないかなと・・・


2
こんな信夫山の山裾の祓(はらい)川に沿って信夫山へ・・・
祓川は隣接する森合地区隣接の湧水を源流として信夫山南麓を流れ、阿武隈川の支流の松川に合流するささやかな流れですが、信夫山の山岳信仰の盛んであった頃は、穢れを祓うとして、この祓川の水で身を清めてから山に入ったそうです。

ネットで調べてみたら信夫山が見つかりました。

   陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに
      乱れそめにし われならなくに   河原左大臣(古今和歌集)
 

百人一首の歌ですね。
私の心は恋しい貴女のために陸奥のしのぶもぢずり模様のように乱れています。恋の歌ですね。しのぶもじ摺りの石とは昔、陸奥国信夫郡から産出したと石で忍摺という染物の型石に使われた伝えられる伝説の石です。この石の上に布を敷き、忍草を置いて叩くことにより草の色で布に複雑な乱れ模様ができました。陸奥国信夫郡特産の摺り染め布だったようですが、「しのぶ」が「忍」に通じると「恋に乱れた心の象徴として歌に詠まれています。

信夫郡は今の福島市あたりで、ここから少し離れた知摺観音(もぢずりかんのん)の境内に信夫捩ぢ摺りの石と伝わる石が残っているそうです。知ったのかは旅の後ですが・・・

3
信夫山はいくつもの登山口がありますが、岩屋観音というのがあるので、初めにそこを訪れることにします。

「おくのほそ道 自然歩道」とありますね。

芭蕉の「おくのほそ道」にはこうあります。

あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋て、忍ぶのさとに行。遙山陰の小里に石半なかば土に埋うづもれてあり。里の童部わらべの来りて教ける、「昔は此山の上に侍しを、往来ゆききの人の麦草をあらして、此石を試侍をにくみて、此谷につき落せば、石の面下ざまにふしたり」と云。さもあるべき事にや。

  早苗とる手もとや昔しのぶ摺り 


芭蕉は「しのぶもじ摺り」の石を尋ねて、信夫の里へ行き。遙か山陰の小里に、半ば土に埋もれていた石を、里の子供が来て教えた、「昔はこの上にあったのを、通る人が麦の葉をちぎってこの石で試すので、困るので、この谷に突き落としたために、石の表が下向きになってしまった」と説明したようです。

5
最初から、急な階段上りとなりました。

「おくのほそ道 自然歩道」とありますが、芭蕉がここを訪れたわけではないようです。

ただ祓川沿いの道は正確な経路は判らなくなっていますが、は古く蝦夷地に向う奥州街道は、この信夫山の山麓を通り北に向いましたが、この辺りを通っていたようです。
芭蕉の奥の細道には「福島に宿る」「月の輪の渡しで再度阿武隈川を渡って瀬の上に出た。」とあり、福島宿と瀬上宿の間のこの辺りを歩いて行ったようです。


6
石段の途中の成瀬地蔵尊・・・

近くの観音寺の地蔵尊と石仏たち・・・
由来は知りませんが一休み・・・

7
もうひと登りで岩屋観音堂・・・

古くから、岩谷観音の名で親しまれてきたこの地は、民衆の素朴な霊場であった。

現地の説明板によると「平安時代末期から鎌倉時代にかけて、五十辺の館に居館をかまえてきた豪族 伊賀良目(いがらめ)七郎高重が、持仏の聖観音を安置した「窟観音」に始まるものと思われます」とあります。

その後、室町時代の応永23年(1416)、宥海法印が観音堂を建立して、聖観音と経文六百巻が納められているとか・・・
れ現在の観音堂は慶長19年(1614)に再建だそうです。慶長19年は大阪冬の陣の歳、古い建物のようです。

8
桜の樹間ですが、福島市内を見下ろせます。
信夫山は福島を代表する花見のスポットで桜祭りが開催され、ライトアップされるそうです。展望台もある公園になっていて、四季を通して市民の憩いの場となっているそうです。

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岩屋観音というように岩壁があります。

福島盆地は、1000万年前までは海の底だったそうです、その後500万年前から奥羽山脈が隆起して、信夫山付近は火山活動によりマグマが貫入して非常に硬い岩石となりました。50万年前頃に福島は隆起した吾妻山麓から国見にかけた断層線に沿って陥没し扇状地の盆地となり侵食されて行きますが、信夫山は硬い岩石や粘土質のため、福島盆地の中にぽっかりと浮かぶ丘として残ったそうです。信夫山は、江戸時代前から金鉱山があり、羽山の金竜抗などがあったそうです。

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江戸時代になり観音巡礼が盛んになり、この観音堂の岩壁に宝永6〜7年(1709〜10)に、西国三十三観音の磨崖仏が彫られたそうです。

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西国三十三観音第二十四番 中山寺十一面観音・・・

穏やかな顔立ちですね。頭髪や衣に彩色が残っています。
固い岩に掘られ、奥まった馬車や風雨や日の光からの風化から守られていたようです。

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右上は不動明王、左下は弁才天(弁財天)・・・
頭に鳥居なんて、手も八本、絶対に弁才天ではないといわれそうですね。
弁才天は、出身はインドのサラスヴァティ-という川の神が仏教の神となって日本に伝わりました。日本最古の像は東大寺の法華堂と言いますから古いですね。
琵琶を持つ音楽や芸術の神となりました。
七福神になって弁財天という福の神にも・・・

この弁天は宇賀弁財天という、宇賀神という日本の蛇身の神と弁才天が一体化した、神仏習合の神です。鳥居の下にはとぐろを巻いた蛇がいます。蛇は穀物を荒らす鼠を退治するありがたい生き物、つまり五穀豊穣の女神・・・

二十三夜とか、卒塔婆のようなものも・・・・
三十三観音が彫られた後に次々と仏が刻まれ60体にも及ぶ摩崖仏に飾られるようになったそうです。

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風化が進み、お尊顔が分からない観音様も・・・

これも歴史を感じさせますが・・・・

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昼寝をしているような如意輪観音・・・
これも悪くはありません。

17 (1) 17 (2)
上を見あげると、こちらにも観音様に不動明王・・・

西国三十三観音を逸す所に集めた石仏は、こちらにもあちこちで見かけますが。同じ大きさで似たような石仏が並んでいることが多いのですが、こちらは自然の岩壁に彫られて、それぞれに制約があったのでしょうが、それが個性的で味わいのあるものになっているようです。

18
観音寺の鐘楼への道脇にも観音様が・・・

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人の暖かみを感じるような・・・・

こういう言い方はよくないのかもしれませんが、西国や関東の繊細なまとまりの良い姿と違った、大らかな信仰心が刻まれているような・・・

20
ここにも・・・

日光を浴びて摩耗と風化が進んでいるようですが・・・・

一番上の石碑は古峰(ふるみね)神社とありました。

古峰神社は古くは天狗信仰で知られる日光の修験者の道場した。日光は関東における修験道の道場として大きな勢力を持っていましたが、東北までその勢力は広がっていたようです。

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観音寺は割愛、岩谷成田山不動明王のお堂を過ぎて、山の上を目指します。

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急なところもありますが、公園化しています。

といっても麓から山頂へは標高差200mと、那須・茶臼岳と変わりません。霧と、風と寒さはありませんが・・・

反対に暑くて、汗をかきました。

31
睨み合っているような岩・・・
元は一つだったのでしょうか・・・

元には戻れませんが仲良くしてほしいものです。


我が家は子の3倍以上高いのかと・・・

33
福島市中心部を見下ろす素敵な展望台でした。
阿武隈川の流れも見えました。

でもそうのんびりはできないかな・・・
信夫三山のどこかの頂上に立ちたいなと・・・

[ 投稿者:オコジョ at 08:25 | 山 (地域外) | コメント(4) ]

この記事へのコメント
相撲
細身の 相撲取り 信夫山は 福島の出身だったのですね。祖母が よく相撲中継を見ていたので 覚えています。あの頃は 相撲が 凄い人気というか それしかなかったのかな。そして しのぶもじずりの歌も すきで すぐに覚えたものです。内容もちょっと内容 大人っぽくて ときめきますもの。 
投稿者: 小紋 at 2019-07-20 21:37:32
小紋さんへ
相撲の信夫山、は懐かしいですね。
父親が相撲が好きで一緒によく見ていました。
もろ差しになって寄っていく技巧派の力士でしたね。最近の相撲取りには、こうした技巧的な力士が減りましたね。
信夫山は信夫郡でなく、その北の伊達郡出身ですが、信夫山の山が良く見えるところで故郷の名前を名乗ったようです。
しのぶもじずりの歌、いいですね。信夫山と聞いた時に、この歌を思いだして、ここにいこうと・・・
しのぶもぢずり模様どんな模様だったのでしょうね。
投稿者: オコジョ at 2019-07-21 17:51:00
しのぶもじずり
こんばんは
すっかりご無沙汰しておりました^^;

陸奥の〜 というので、もっと上の岩手あたりの歌かと思っていました。
福島だったんですね。百人一首には疎いのですが、映画の「ちはやふる」でこの歌が取り上げられていましたので、記憶に残っています。
あとは「しのぶれど」とか今をときめく広瀬すずさん主演の漫画が原作の映画ですが、競技カルタの世界の中での成長物語ででなかなか良かったです。
古典に興味が湧けばよいのですが、なかなかそうもいきません。
投稿者: われもこう at 2019-07-24 21:07:18
われもこうさんへ
こんばんは
この当時の陸奥は都の人たちには多賀城あたりまでだったのかもしれません、その先は蝦夷だったのかもしれませんね。
広瀬すずさんは朝のドラマの主役ですね。このドラマで初めて知りました。
私は映画ほとんど見ないのですが、結構取り上げられているのですね。
百人一首は最初、カルタのために覚えましたので、意味はどうでもよかったですね。
この歌はネジバナの別名がモジズリ(綟摺)ということを知って親しみを覚えました。
意外なことで、古典と結びつくようです。
投稿者: オコジョ at 2019-07-25 21:26:01

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