掲示板お問い合わせランダムジャンプ

浅間山 8月07日 (小諸市乙女湖公園より)
P2410606 
このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


営利目的や記事に関係のないコメント、英文のコメントは、予告なく独断で削除させていただきます。

2019年07月06日
中山道追分宿から沓掛宿4 借宿・古宿・沓掛宿
2
追分宿を後にして沓掛宿を目指します。

標高2003mの国道18号の最高点を過ぎると、旧中山道は斜め右に入っていきます。
見えている建物は「そば処 追分そば茶屋」・・・

何回か行ったことがありますが、美味しい蕎麦屋さんです。
ここの娘さんといっても、私の歳に近いですから、今の主人の姉妹になるのでしょうが、同じ合唱団に属していて、我が家で合唱団の忘年会をして、ここのそばを娘さんが茹でて楽しんだことがありました。中軽井沢の「かぎもとや」と親戚関係にあり、当時は「かぎもとや 追分店」でした。


3 (1) 3 (2)
すぐ道の、左側に大きな馬頭観世音と刻まれた石碑があります。
そばに、小さな馬頭観世音碑が三つ並んでいました。
ここの碑は明治と大正で新しいものです。
街道の馬頭観世音碑は馬方が愛馬を供養するため建てられたものが多いそうです。鉄道が開通しても、この地方では、馬や牛などの荷車が荷物を運んでいました。私の子供の頃はよくそうした、荷車、または人が引っ張るリヤカーを見ました。今では懐かしい風景です。

灯篭の下部には二頭の馬が生き生きとレリーフになって刻み込まれています。愛馬への慈しみが感じられます。

5
道は借宿(かりやど)集落に入ります。

借宿のいわれは、ここは、中山道が混雑して泊まれないときに沓掛宿と追分宿が、宿を借りたというのが有力ですが、他には源頼朝が、狩のときに泊まったから狩宿が変化したというのもありますが由来というのはどうしても有名人を登場させたがるようです。

古い街道には仮宿・雁宿・苅宿・狩宿などと書いて「かりやど」とよむところが多くあります。奈良・平安時代の公道の宿泊施設は役人専用といってよく、一般の人の通行は施設が無く、旅の途中で亡くなるものが増えてきたために、寺や国府が、旅人の一時的な食料の配給、けがや病気の手当て、宿泊などの支援を行った布施屋(ふせや)という施設があったそうです。宿泊所というより、診療所に近く、元気な旅人は使えなったようです。

借宿・仮宿・雁宿・苅宿・狩宿は布施屋のあったところという説もあるようです。

6
借宿の中心に立派な家がありました。

その名も黄壁布屋 土屋作左衛門家・・・
土屋家は寛文10年(1670)に郷士出身の土屋本家から分家して、借宿に家を建てて移り住んだそうです。

7
土屋作左衛門家は昔「統領・大庄屋・名主・こくや」などと呼ばれた穀物商屋を営んだ家だそうです。

中山道はこの先すぐ、別れる女道や入山道、そして沓掛宿で草津道など上州への物流の道を分けます。そうした穀物の中継地で、穀屋も何件もあったようです。その中でも有数な米穀問屋で、水車を持ち、造り酒屋、質屋、運送の中馬(ちゅうま)、茶屋などを営み、江戸末期には寺子屋も開いた、この宿の商業文化の中心だったようです。

江戸時代は、宿場から宿場へと、人馬を継いでいくリレー式の伝馬という方式が公式でした。しかし、信州では「付け通し」という荷を直接目的地へ運ぶ「中馬」があり、そうした人たちのことを中馬稼ぎといいました。そうした中馬稼ぎを扱う家も多かったようで、賑わったようです。この家もそういう家だったようです。

この建物は何度も火災あい建て替えられて改修しながら現在に至っているそうです。

8
昔の造り酒屋の遠山家・・・

9
すぐに遠近宮(おちこちみや)があります。

「むかし、おとこ有けり。京や住み憂かりけん、あづまの方に行きて住み所求むとて、友とする人ひとりふたりして行きけり。信濃の国、浅間の嶽にけぶりの立つを見て、信濃なる 浅間の嶽に たつ煙 をちこち人の 見やはとがめぬ」 

「むかし、おとこ有けり。」 で始まる伊勢物語は平安時代の在原業平を主人公にした物語です。
昔の人が、浅間山を見て、煙を吹いているのを驚いたさまが、伺われますが、ここから、名前が取られていのがこのる遠近宮です。

10
御祭神は磐長姫(いわながひめ)・・・
磐長姫は、日本の山を統括する大山祇神の娘、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の姉です。木花之開耶姫は天津彦火瓊瓊杵(あまつひこひこほのににぎ)の妻です。
神話では大山祇神は木花開耶姫と磐長姫の二人を一緒に天津彦火瓊瓊杵に嫁がせました。しかし、磐長姫は醜く、天津彦火瓊瓊杵は大山祇神に送り返してしまいます。大山祇神は天津彦火瓊瓊杵尊の子孫が、花のように繁栄するように木花開耶姫、岩のように永遠であるようにと磐長姫を差し上げた、そのため、あなたの子孫は寿命が短くなってしまったと・・・

子孫は、人間のことです。というわけで磐長姫命は浅間山の守り神と共に、長寿健康の守り神であり又特に安産の守護神だそうです。

11
遠近宮の創建は不詳だそうですが、借宿は古くは「遠近の里」と言われたそうですから、昔から、この地の鎮守の森であったようです、

ただ、在原業平がここにやってきて浅間をみたかと言うと大変に怪しいようです。
伊勢物語は男と女、主従、親子などの愛の姿などの伝わる話に、在原業平の歌を挿入している趣を添えています。そして、在原業平の歌を挿入してはいますが、「むかし、おとこ有けり。」だけで男は在原業平といっていません。もっとも話によって「おとこ」は在原業平をモデルにしたところも無くは無いそうです。

ただ、この物語で浅間が出てくるのは「おとこ」旅を「東下り」で、物語は、三河国、駿河国、武蔵国と東海道の旅なのです。そこに唐突に浅間山の歌が挟まれているのです。

在原業平の時代の歌は現地に行ったのではなく、都で、名所を想像して呼んだ歌が多いそうです。伊勢物語の作者も歩いてはいなかったでしょうね。といっても、この作品の価値が落ちるわけではありません。フィクションの世界ですから・・

12 (1) 12 (2)
直ぐ右に別れる道があります。その分岐点に享和2年(1803)に建てられた馬頭観音碑の余白に「右 下仁田道 左 江戸みち」とあります。
ここは女道入口です。女道は女街道ともいいます。別名は下仁田に通じるために下仁田道
とも呼ばれた江戸に通じます。
左は中山道を経て 右は下仁田道経て江戸・・・
行く先は違わない・・・
でも、女道の方が近く道は緩やか・・・
寂しい道で宿場も疎らで不便ですが、「入り鉄砲と出女」の取り締まりの厳しい碓氷の関所を避けてこの道を行く女性が多かったそうです。

女道の反対側には立場茶屋と呼ばれる旅人は籠や馬、足を止め一息入れた休憩用の茶屋もありました。「立場」は、旅人や篭屋、人足が杖を立てかけて休んだので立場といったそうです。

27立場茶屋
この写真は以前の立場茶屋・・・
今回、立場茶屋はもうそこにはありませんでした。危険で壊されたてか、倒壊してしまったのかもしれません。
これも時代なのでしょうね。

13
道は、国道に出ますが、直ぐ、古い道になるところあたりに、ゆうすげ温泉があります。
中山道脇にある、数少ない温泉です。素朴な宿泊施設ですが、日帰り入浴が出来ます。
こじんまりした浴室で、露天風呂はありませんが、浴室から浅間山が見えます。
今回は先を急ぎます。

16 (1) 16 (3)
こんな道を行きます。

17
道は古宿(ふるじゅく)集落に入ります。ここは、借宿とともに、信州と上州を結ぶ物資の中継場で、物資を運ぶ、中馬や中牛と呼ばれた馬子たちの宿が多くあったようです。
しかし、ここは、古い宿場の雰囲気は薄いようです。秋葉神社がありました。

18
沓掛宿と軽井沢宿の間にある離山が大きくなってきて、沓掛宿はもうすぐです。

19 (1) 19 (2)
野の仏
道脇に可愛い野の仏たちがありました。
街道筋には馬頭観音が多いです。ここには双体道祖神もありました・

双体道祖神は遠近宮にもあるのですが、撮影を忘れました。
今回は、ガイド等は持たず、記憶だけで歩きました。だんだん、色々なことを忘れていくような・・・

20 (1) 20 (2)
国道に出ると草津道が分かれます。
道の手入口にはの馬頭観音像には、左側面には、「くさつ」となっています。 
「くさつ」は草津のことで、ここから湯道が始まり、観音像が道標を兼ねていました。
この先から沓掛宿になります。

21
沓掛宿は火事で焼けたこともあり、古い建物は残っていません。
沓掛宿の本陣は近代的な家にかわり、表札に「本陣土屋」に名残りを残すのみです。

26 (1) 26 (2)
軽井沢でもっとも有名な老舗の蕎麦屋「かぎもとや」は行列・・・
列車の時間まで20分では無理ですね。

軽井沢駅構内の「峠の釜めし」の「おぎのや」の立ち食いそばで天ぷらそば・・・
もちろん本格的な蕎麦ではないのですが、違った食べ物と立ち食いそばは好きです。好きなものはたくさんあったほうがいいかなと・・・

[ 投稿者:オコジョ at 07:38 | 軽井沢・御代田 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんばんは
沓掛といえば、沓掛時次郎。
これって、歌でしたっけ?長谷川伸の小説でしたっけ?それとも違う人の小説???
名前を知っているだけなんです。
今は中軽井沢ですよね。
沓掛という名前は、今は無いんですよね。
古い名前が消えるのは悲しいですね。
立ち食いソバ、私も好きです。
といっても、十数年も食べていないけれど。
出汁が美味しいと思うんですよ。
寒いホームでフーフー言いながら食べると最高ですよね。
投稿者: 万見仙千代 at 2019-07-07 20:22:46
万見仙千代さんへ
こんばんは
沓掛といえば、「一本刀土俵入り」「瞼の母」の長谷川伸の作品の主人公の沓掛宿の博徒・沓掛時次郎ですね
 「千両万両枉げない意地も 人情搦めば弱くなる 浅間三筋のけむりの下で 男沓掛時次郎」・・・
時次郎を主人公にした股旅もので一世を風靡しましたが、今の人にはわからないかもしれませんね。
沓掛は宿場の名前、地名は長倉です。駅名が沓掛から中軽井沢に変わってしまって、今沓掛というっても、そんなところ知らないと・・・
プリントゴッコ、お世話になりました。懐かしいですね。

蕎麦通には立ち食いソバは邪道という人もいますが、そばをいろいろな方法で楽しむのは良いことですね。蕎麦きりと違った魅力が立ち食いそばにはありますね。
東京勤務の時には、時間のない時にはよく「小諸そば」にお世話になりました。
久しぶりの立ち食いそばでした。
投稿者: オコジョ at 2019-07-07 21:45:27

この記事の固定URL
http://shinshu.fm/MHz/90.97/archives/0000577382.html

記事へのコメント
 
簡単演算認証: 2 x 7 + 5 =
計算の答えを半角英数字で入力して下さい。
名前: [必須]
URL/Email:
タイトル:
コメント:
※記事・コメントなどの削除要請はこちら