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浅間山 5月08日 小諸市耳取より)
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このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2019年06月25日
別所温泉2 常楽寺と温泉
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宿の温泉風呂から上田方面の俯瞰・・・

日帰りで、私たちのグルーブの他に客はなく、今回参加の男性は私一人、貸切でした。


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別所大湯公園から常楽寺に向います。

ここは常楽寺の仁王門・・・
門がないので仁王道というべきかも・・・

両脇のお堂には阿吽の金剛力士像が祀られています。

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吽形の仁王様・・・

50センチくらいの背の丈でしょうか・・・
小さいけれど迫力が背ある姿で寺を守っているようでした。

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常楽寺本堂・・・

別所神社も立ち寄りたかったのですが、参道が長く山道・・・
時間もなく、またの機会にしました。

常楽寺は北向観音と国宝の三重塔を持つ安楽寺に較べて、知名度がひくく、信州の鎌倉観光コースでも、外されることが多いようです。

しかし常楽寺は比叡山延暦寺の直末寺で1200年の歴史をもつ天台宗別格本山という格式の有る古刹です。寺の開創は、平安時代の天長二年( 825 )三楽寺の一寺として天長二年(825)慈覚大師と伝えられます。

神奈川県の金沢文にある庫正応五年( 1292 )に常楽寺で書写した経文があり、
鎌倉時代、天台教学の有数の道場だったことがわかります。
国造や国府の所在した古代から、鎌倉時代までは、別所周辺は東信濃の中心でした。

別所三楽寺の一つの安楽寺を開山した樵谷惟仙(しょうこくいせん)は16歳まで、ここで学んでいますから、信州の鎌倉の別所における最古の寺といっていいようです、

天台宗の総本山は比叡山延暦寺の最高位は天台座主(てんだいざす)です。
常楽寺の住職だった半田孝淳座主で2年前の2007年2月に亡くなるまでの10年間、天台座主を勤め、2012年より全日本仏教会会長に就任しています。天台座主に就任するのは、長野県から明治以降初めてだそうです。

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常楽寺 御舟の松・・・

樹齢300年、全長20メートルの赤松・・・

背は高くは無いのですが、大きく横に広がった船形から「御舟の松」です。
堂々としたその姿に時代の重みを感じます。

塩田平は、今は、信州の片田舎となっていますが、古くは「信州の鎌倉」でした。
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、重要な地に幕府の統治が及ぶように腹心の地頭をおく政策をとりました。ここ、信濃国塩田庄も、その一つで、頼朝は最も信頼がおける惟宗忠久(島津忠久ともいう薩摩藩、島津氏の祖先)を地頭として任命します。このことは全国的にみて、最も早い時期に当たり、頼朝がこの地を重視した事の証しと言われています。

やがて権力は将軍から執権へと移りますが、執権となった北条氏も塩田を重視、信濃国守護(今の県知事に当る)に、北条宗家につぐ家柄の副執権ともいうべき北条重時(1198〜1261)を任命します。そして塩田は信濃の政治・文化の一大中心として素晴らしい仏教文化の華を咲かせました。

神奈川県の鎌倉はその後の戦禍で重要な文化遺産のほとんどを灰塵に帰してしまいますが、ここはその多くを鎌倉時代のままに残して鎌倉時代の文化を今に伝える「信州の鎌倉」となっています。

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常楽寺に来ると、かならず寺の裏のこの道を登ります。

別所温泉七苦離地蔵堂から常楽寺の参道は石段をずらして、本堂の正面に出ます。かつてはまっすぐ、この道につながっていたそうです。

天台・真言など密教では信仰の中心堂塔で、本堂は、それを守るためだそうです。
常楽寺では多宝塔が堂塔にあたり、信仰の中心だったそうです。

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奥に多宝塔・・・
たくさんの五輪塔が、手前の参道の両脇にならんでいます。

五輪塔は昔の墓・・・
庶民は石を乗せただけで、五輪塔は武士の墓が多かったそうです。小さな塔にも、色々な歴史を秘めているのでしょうか、何かを語りかけているようですが、その言葉は微かで、私には聴き取れず想像するしかないようです。

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常楽寺多宝塔・・・
山道をたどると小さな台地にいくつかの多宝塔が並んでいます。その中で一番大きく立派なのが、中央の大きな重要文化財の石造多宝塔です。
多宝塔は、上下二層の屋根の塔で、下の屋根の上の饅頭形のふくらみの上に円形の塔身があり、上の屋根があります。その上は三重塔などと同じような「相輪」があります。三重塔にはある「水煙」はありませんが基本的な考えは同じです。
多宝塔は、木造と石造があり、木造塔ではいずれも国宝の高野山金剛三昧院、滋賀県の石山寺、広島県の浄土寺などの多宝塔がよく知られています。石造塔の重要文化財指定は、常楽寺の多宝塔と、滋賀県、少菩提寺の多宝塔の2点です。少菩提寺の多宝塔は独特の形の塔で、常楽寺の塔は、正統的な多宝塔様式を伝える貴重なものだそうです。
鬱蒼とした木立の中に、たたずむ総高281cmの塔には派手さありませんが、厳しさを秘めて思わず衿を正したくなります。

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角度を変えて一枚・・・

重要文化財の石造多宝塔の右の古びた多層塔は上田市の石造物文化財に指定されています。
やや細身ですが、五層のよく整って鎌倉時代の特徴をよく伝えているそうです。

この塔は「里帰りの多層塔」と呼ばれています。
大正十三年に別所北向観音堂の近くの、水道工事で地下約112mの所から、多層塔・多宝塔・五輪塔などが186個も発見されました。調査に来た仏教美術の研究者天沼俊一京都大学教授(当時)が「今までこんなのは見たこともなく、殊に自分が斯界の権威などといわれて研究を続けてきたが、この塔の発掘をみて余りに自分の見解の小さかったことを恥ずる云々」と当時の新聞に発表しています。

しかし、その貴重な石造塔群は全て他へ流失してしまいました。後に、別所の熱心な研究家が、八方手をつくして探し、滋賀県内でこの塔を見つけて、昭和56年(1981)約60年ぶりに故郷に帰り、ここに安置されています。

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常楽寺から別所の町・・・

お楽しみの昼食会に向います、とはいってもランチですから、総合化ではありませんが・・・

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後は何が出てくるかなと・・・

食前酒は梅酒・・・
それで足りるわけはなく・・・
私は元禄年間より創業という上田の造り酒屋の「福無量」の冷酒・・・

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こんな感じで和気あいあいと・・・

17 (2) 17 (1)
前菜 三点盛り 
吸い物 薬用ニンジンクリームスープ

18 (1) 19 (2)
造り 三点盛り 信州サーモン 大王岩魚 信濃雪鱒
焼物 信州サーモン西京焼 蕗味噌 リンゴチーズ 紅白はじかみ

18 (2) 19 (1)

強肴 長野県産和牛 陶板焼 朴葉味噌仕立て
蒸し物 海老もろこし 南瓜信田 菖蒲麩 筍 木の芽

21 (1) 21 (2)
揚げ物 マヨコーンさつま揚げ よもぎ麩田楽串揚げ 山菜 岩塩
食事 塩田産コシヒカリ 止椀 信州味噌仕立て 香の物 三点盛り(写真割愛)
水菓子 マンゴーゼリー フルーツ

造りは信州サーモン 大王岩魚 信濃雪鱒と信州産の川魚など、土地のものが多く美味しかったです。

ごちそうさまでした。

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食事を楽しんだ後、ゆっくり温泉を楽しんで・・・

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宿の前の夫婦道祖神に見送られ、宿のバスで送られて小諸に戻りました。
なかなか素敵な一日でした。

[ 投稿者:オコジョ at 10:17 | 上田市・小県郡 | コメント(0) ]

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