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浅間山 5月08日 小諸市耳取より)
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このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2019年06月24日
別所温泉1 北向観音 大湯公園
1
夫神岳・・・

別所温泉の背後の雨乞いの山・・・
来月になると夫神岳山頂に幟を数十本立てて夜明けを待ち、そのあと幟が温泉へ下る「岳の幟」という雨乞いの夏祭りが行われます。


2
大師湯・・・

別所の北向観音(旧・長楽寺)と常楽寺は慈覚大師円仁が創建したと伝えられています。
大師湯の名前の由来は、この二寺の建立のために別所に来た慈覚大師が好んで入浴したので大師湯としたそうです。

中は5人も入れば一杯になる浴槽と狭い洗い場でタイル張りと特徴はありませんが、それが庶民の外湯らしいです。別所には大師湯のほかに石湯・大湯の三つの共同浴場、つまり、外湯が有ります。公衆浴場なので、浴室も狭いです。
妻は広くて大きな、日帰り温泉施設の「あいそめの湯」がお気に入りですが、私はこうした、庶民的な外湯が好きです。

今回はこの大師湯の向かいの宿でランチと温泉、今回は陶芸の親睦会です。

5
今年二度目の北向観音観音堂・・・

今の建物は江戸時代に焼失し、享保6年(172年)に再建され、その後度々修復、増改築を施して、善光寺の本堂と同じ「撞木造り」にしているそうです。

この観音様は長野の善光寺の阿弥陀三尊と、向きあっていることより「北向」と名がつけらました。善光寺の御利益は「未来往生」で、北向観音では「現世利益」を願うのだそうです。
つまり、善光寺と北向観音の両方を詣でて、現世と、未来両方にご利益が得られるということです。このことから、片方だけでは"片詣り"と言われています。
善光寺は毎年行っています。今年も3月に・・・

6
境内の愛染明王を祀っている愛染堂・・・

近年境内にある「花も、嵐も踏み越えて・・・」の歌で有名な、川口松太郎の名作「愛染桂」のモデルの境内にある「愛染桂」の木と結びつけ、縁結びの仏さまとして、人気があります。恋人の聖地よりはご利益がありそうです。
もっとも、二人の努力が縁結びには必要です。でも二人で手を合わせるのも努力の一つかもしれません。

3
瑠璃殿・・・

北向観音堂の西の崖の上に見事な懸崖作りの医王尊瑠璃殿・・・
瑠璃殿とは薬師如来を瑠璃光如未と呼びます。つまり薬師堂のことです。温泉の効用をより病気を治すと言う温泉薬師信仰があり、ここでもそうした信仰のものと思います。
その証として、
江戸時代に火災で焼けてしまいましたが、火災の後の文化6年(1809)に地元の薬師講の人たちにより再建されています。

みんな観音堂に注目して、この建物は、あまり注目を浴びませんが、事な懸崖作りの素敵な建物です。

7
北向観音から大湯への辻に番所跡という店内番があります。

江戸時代には別所の大湯に並んで上田城主の「お茶屋御殿」と称する保養所が真田氏の時代からあったそうです。真田昌幸や真田信之、真田信繁(幸村)なども、湯治に来たのかもしれません。城主の警護のために、こことほかにもう二カ所に辻番所があったそうです。藩主が温泉に行くということは大変なことだったようです。

8
大湯

昔の人が湯峠を越えて通った大湯・・・
湯峠は何度か越えたことがあります。
塩田方面から別所温泉にやってくると女神岳の尾根が大湯との間にあります。この標高差100mを越えるのが湯峠・・・
尾根を回り込むと倍の時間がかかります。昔の人は楽な道よりも早く着くのを選びました。早く、温泉に入りたかったようです。

この大湯は木曽義仲が湯屋を新築して愛妾「葵の前」と湯治したという話があり「葵の湯」と呼ばれます。吉川英治の『新平家物語』には義仲と葵の前の二人の中の良い光景が描かれています。
池波正太郎の「真田太平記」には、別所の湯がよく登場します。
そういう縁で石湯の前の「真田幸村公隠しの湯」の碑は池波正太郎の書です。
鎌倉時代には、信州の鎌倉を築いた北条義政がこの湯を愛していて「北条の湯」とも言われたと伝えられています。真偽は別として、古くからの湯治場だったことを物語っているようです。

私の友人が塩田地区にいるのですが、家の風呂に入ることはほとんどなく、大湯まで入りに来るとか・・・
今でも地元に愛されている湯です。

9
大湯の脇の細い道をたどると、大湯公園になります。

北向観音はいつ行っても参拝者で賑やかですが、ここでは人に会ったことのないような・・・
そういうところ、オコジョは好きなのですが・・・

10
地蔵菩薩などの石仏が迎えてくれます。

今回は陶芸の仲間が温泉に入っている間の散歩・・・

別所は妻と来る時が多いのですが、妻と来ると北向観音と安楽寺となってしまいます。有名ですし、当然です。でも、違うところも悪くないので、久しぶりに見てみたいなと・・・

散歩時間は1時間と少し・・・
少し急ぎ足でした。
ゆっくりが私の散歩のモットーなのですが・・・

11
十一面観音菩薩・・・

苔むした感じが良いですね。

12
大湯薬師堂・・・

大湯薬師堂の開創は、弘安四年(1281)玄斉大徳によると伝えられます。
弘安4年(1281)というと2度目の蒙古襲来の元寇の年です。このころ大湯は塩田の北条一族の副執権というべき地位を勤めた北条義政の塩田北条が浴室を建て、北条湯といいました。それを後に、大炊御門家(おおいのみかどけ)の大納言が、入ったから大湯と改めたとか・・・
しかし、大炊御門家は大納言がたくさんでどの大納言なのか判らずにこの説はお妖しいようです。大湯は湯量が多いので大湯なのでしょうね。

大湯でなくて、薬師堂の話ですね。ここは大湯の薬師堂です。
弘安4年(1281)というと2度目の蒙古襲来の元寇の年、その時代には大湯はありました。現在の建物は江戸時代のお堂で、シンプルですが、均整の取れた素適なお堂です。

13
このお堂は十王堂・・・
閻魔堂ともいいます。

仏教では、人が亡くなったあとに生前の行いで、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道という六道のどこかに生まれ変わります。そのために、人は死後に十人の王の審判を受けます。それにより決まるわけです。十王は含む10人、合議制ではなく、順番です。審判7日ごとで、初七日には秦広王、五七日が有名な閻魔王です。問題がなければここで結審、閻魔で行く先がきまり、引導を渡します。

16
閻魔大王の上に地蔵菩薩が安置されていました。
釈迦は六道のすべてで、衆生を見守り、救うように地蔵菩薩に託したそうです。地蔵菩薩と閻魔大王は同一の存在、または閻魔大王は地蔵菩薩の化身とされています。つまり裁判官と弁護士が同じ・・・
つまり、地蔵菩薩を信仰すると罪が軽くなる可能性が大きいというのも、地蔵菩薩が古くかに庶民に信仰された理由の一つかも知れません。

ただ王は十人でなくて、七王・・・
3王は審判で仕事だったかも・・・

17
こちらの女性は閻魔大王の妻とも言われる奪衣婆(だつえば)です。三途の川で罪の重さを量るため、死者の衣服をはがす、鬼女です。かしこまった十王と較べると個性的で好きなのでアップです。

15
大湯公園は、大湯薬師堂歌碑公園といい、たくさんの文学碑があります。
与謝野晶子、北原白秋、大町桂月の歌碑やタカクラテルなど別所ゆかりの作品が
10基ほど並んでいます。

横目でにらんで、今先は先を急ぎました。

18
大湯あたりの旅館たち・・・
この中に泊った宿が2つあるかな・・・

いずれも、息子二人の就職祝いでした。
長男は、私の転勤時期で別所でなくて、白川郷でしたっけ・・・
ふとそんなことを思いだしました。

19
でも、薬師堂からはこんな道を・・・

20
もう少し、見てみたいところが・・・・

奥に見えている常楽寺に向います。

[ 投稿者:オコジョ at 09:04 | 千曲市・坂城 | コメント(0) ]

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