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浅間山 10月9日 (小諸市飯綱山より)
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 このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2019年06月21日
真田・傍陽の里と山城達(6) 横尾城から横尾神社
1
横尾城を登ってきて里に下りた烏頭沢(うとさわ)から見上げた横尾城の山・・・

烏頭は「うず」と読むとトリカブトの猛毒の根のことでトリカブトそのものを指すこともあります。この辺りにはトリカブトが多いかなと・・・

烏頭はカラスの頭、鳥(とり)の頭ではありません。日本の鳥兜は舞楽の伶人(れいじん)が、頭にかぶる鳥の兜に花の形が似ているからといわれます。中国の古書に、トリカブトの根について「母根は鳥の頭の形に似ているので鳥頭(うず)、そのわきにつく子根は附子(ぶし)」とあり、鳥頭と附子は生薬の名前です。
鳥頭と附子は猛毒ですが、上手に使うと鎮痛・強壮薬になります。

鳥頭をカラスでなくトリの「鳥頭」と書くと「トリアタマ」となり、 物忘れの激しいという意味になります。
最初から話がずれていますね。気を付けないと・・・、


2
上の写真に小さく鳥居が写っているのですが、小さくて判らないでしょうね。
その鳥居から左に回り込む道に入ります。
草深くて道が良く判らないような感じです。

3 (1) 3 (2)
虎口(こぐち) 城の一番要所にある出入り口です。段郭と主郭の縁が凹んでいる西側にあり、柵に囲まれ門があったと思われます。 

ここから主郭に登ったようですが・・・
草目が変わっているところに窪みがあり、そこを登ったようなのですが・・・
もう道には見えませんでした。


回り込んでいく道も楽とは言えないですね。

6
主郭の後の堀切から見上げると秋葉神社の本殿が見えました。

急で高い(10m位)ですね。攻めるのは難しそうです。
ここはと瀬類によって区切られ二重の堀切になっていました。

7
なおもこんな道を進むと・・・

山城は写真としては良く判らない山道ですね。
3つも山城を歩くと、みんな同じような感じです。
間もなく終わりますのでご容赦を・・・

8
堀切・・・
ただ埋められていてわかりにくい所に標柱があるような・・・

堀切(ほりきり) 尾根を掘って切り通しにした空堀です。主郭の背後は二重につくられています。

主郭と副郭との間の堀切です。は200m位の平坦ですが、狭い尾根が通路でした。

9副郭
副郭(ふくかく) 二の郭ともいわれます。北の尾根伝いに設けられたた簡単な構えの城です。主郭の背後を固め、長尾城との連絡をとったことも考えられます。

10
副郭の先の土塁・・・

土塁 土を盛り上げて築き、副郭の守りを固めています。 

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副郭の先の堀切で城跡は終ります。

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その先も気持ちの良い山道でしたが、曲尾への道を分けます。

この尾根は長尾城(ながおじょう)に続きます。
長尾城は比較的最近発見された忘れられた山城だったそうです。
この地を治めていた横尾一族の横尾吉信の書を近世になって書写した「長亨日記」に、武田と争っていた村上国顕が砥石城の支城として打越城、長尾城、本城の三城を新たに普請したとあるそうです。地元ではこの場所を長尾と呼び江戸時代の古地図にも城跡があったとあるそうです。いずれにしても横尾氏、後に真田氏の城となったようです。

ただ長尾城には、200mの高度差を登らなくてはならないため、右へ横尾へと下ることにしました。本日はその覚悟ができていませんでした。

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下ってゆくと、こんな場所にコースの案内図には車回転場とありました。
ここからは車の通れる道です。

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こんな道も悪くないですね。

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登り口に戻り、近くの横尾神社に参拝していきます。

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なかなか立派な社ですね。

横尾神社の創建は江戸時代中期の宝永3年(1706)に上田城主への報告書の差出帳に諏訪大明神として名があるそうです。
差出帳は、村差出帳、村明細帳、村柄書上帳、村鑑などいろいろな呼び方があるようですが、領主・代官の交代などの時、村が戸数、人口、年貢高などを提出したものだそうです。領主が村と村勢を把握するためで寺社の所有する田畑なども含まれていました。
このことから宝永3年にはこうした文章に名のある神社ということはそれ以前からある、格式の有る神社だったのかもしれません。位置的に見て、この地を治めた横尾氏の氏神だったのかもしれません。

明治8年(1875)、諏訪大明神から、横尾神社と名を変えたそうです。
諏訪大明神でしたので、主神は諏訪大社の建御名方神・八坂刀売神の夫婦の神様です。

真田の里と山城の話はここまでです。

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上田に向うバス停近くにこんなものか・・・

ここは上田と真田を結んでいた上田交通の鉄道路線真田傍陽線の北本原駅がありました。
私も烏帽子岳や湯ノ丸山を登ってきた帰りに何度か乗ったことがあります。
この電車は上田城あたりでは城の二ノ丸の堀の中を走っていました。
その記憶はないのですが・・・

20
北本原駅は廃線迄、駅員による切符販売が行われた有人駅で、駅前にその名も「駅前食堂」かありました。
いや過去形ではなく、現役の食堂として残っています。

テレビでも紹介される店で、地元から愛されているそうです。

今回の散歩はここまでです。

今回は山城中心でしたが、素敵な山村なので山麓の里を巡ってみてみたいと思っています。

[ 投稿者:オコジョ at 12:53 | 山 上田盆地・更埴 | コメント(0) ]

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