掲示板お問い合わせランダムジャンプ

浅間山 10月9日 (小諸市飯綱山より)
P1310195
 このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


営利目的や記事に関係のないコメント、英文のコメントは、予告なく独断で削除させていただきます。

2019年06月20日
真田・傍陽の里と山城達(5) 尾引城(横尾城)
1
東太郎山・・・
前回の根古屋城の背後に聳える山、というより東太郎山の末端が根古屋城です。
一番右端の半分しか写っていないのが根古屋城・・・

前回から、御牧ヶ原を挟んで、傍陽に戻りました。
小諸のブログなのに、なぜか最近は上田ばかり足を延ばしているような・・・
上田は休み休みにしています。


6
根古屋城・・・
その右に根古屋城より低い尾根がありますが、ここには支城の千古屋城があったそうです。 言い忘れたが、谷津を挟んでこの城の南側にもちょっとした城郭遺構があるらしい。根古屋城を「高い城」と呼び、反対側の山にある方は「低い城」とも行ったとか・・・

今回は割愛しました、また登りに来るという口実で見送りました。
本当はそろそろ疲れてきたからですが・・・

2
根古屋城から曲尾橋を渡って曲尾集落へ・・・

奥に高く聳えるのは烏帽子岳・・・
この手前の一番近い緑の尾根が尾引城・・・
本日最後の城・・・

3
曲尾集落を通り抜け・・・

5
足を止めたのはここ・・・
右の二十三夜塔は、大庭にもありましたし、わりとポピュラーなのですが、左の塔がなぜか気になりました。立て札の説明によると・・・
 
「ヘソ石の道祖神」
毎年二月七日からお祭りで赤いおまくを掛けてやります。
若者は「へそ」石を投げて力だめしをしました。へそ石を投げられてもいつの日か必ず道祖神のところに帰っており不思議な石です。

誰が戻したのかな、などと考えてはいけません。

7
白い建物の上が尾引城・・・
疲れているからやめようか・・・

一つ一つの城は麓から100メートル位登るだけですが、3つ合わせると・・・
300mくらいたいしたことはないのですが、上り下りしていると疲れます。
バランスが悪いので頚椎症を患って、足のバランスが悪くて、そして後期高齢も近いですから・・・

8
登り口・・・
ここまで来てしまえば登ります。

P1180514
「ヘソ石の道祖神」にも説明があるようにここにも「尾引城入口」という案内があり、城の説明やコースの説明があります。真田地区には、こうした案内がたくさんあって助かります。郷土の愛を感じます。

城を往復するつもりでしたが、この案内図によると35分で一周できるコースがあるというので、これを歩くことにします。

9
登り口・・・

10
登っていくと階段状に段郭があります。
ここにもきちんと段郭と書かれた標柱があります。

今回は登り口のコース案内にあった用語の説明が分かりやすいのでそれを紹介していきたいと思います。

段郭(だんかく) 山の斜面に行く柄もつくられた平場で斜面は急角度にして敵の攻め登るのを防いでいます。

「段郭」と読んだり、段曲輪と書くこともあります。

11
ここも段郭で石積もあります。夏草で石積は良く判りませんが・・・

石積(いしづみ)  この城の重要な防御の場所に石を積んで守りを固めています。 

12
割と簡単に主郭の入口に秋葉山と書かれた秋葉神社の鳥居があります。

13
この石は神社の参道の階段で構成のもののようです。ありがたく使わせていただきます。

15
主郭(しゅかく) この山城のもっとも重要な場所です。まわりを柵で囲み隅に櫓組まれていたと思います。

近代の城なら本丸ですね。
ただ、ここは戦いの城、戦の時の砦、住んでいたのは麓の登り口の横尾集落の東側に、内小屋とよぶ場所辺りにあったようです。

   夏草や兵たちの夢の跡   芭蕉

と、いう感じですね。

16
この城は上田市の史跡としては横尾城跡となっていますが、地元では「尾引城」と呼んでいるようです。三日城という名前もあるようです。

入口などの説明によると宝永年間(1704年-1710)の「信濃國郡絵図」には、横尾采女正(よこおうねめのじょう)の城跡とあるそうです。横尾氏は応永7年(1400)、信濃守護小笠原長秀と国人領主らが争った大塔合戦で、横尾氏は祢津氏らとともに国人領主側に属して戦って勝利し、国人領主としての地位を得ます。真田に村上氏が進出するとこれに従い、武田信玄との上田原合戦で横尾采女正は村上配下として戦い武田軍を打ち破りますが、横尾采女正は戦死し、その後、村上の撤退により、上州に去って行ったといわれます。

17
こちらは拝殿の由来書を丸写し・・・
今回は私の書いた部分が少ないかな。私の葉駄文ですからこの方がいいかも・・・

秋葉神社
火之迦具土神 ヒノカグツチ・カグツチ
カグとは火の輝くこと ツチとは其の霊力のこと
この神名は火の輝く力を云ったものである。
又総てのものを焼きつくす力をおそれて此乃神を祀り防火を祈った。
古代火で野を焼き払い焼き畑を作って五穀を蒔き収穫をはかった農耕守護 五穀豊穣の神とされる 


火之迦具土神は、生まれる時に伊邪那美(イザナミ)に大火傷を負わせてしまう火の神です。ただ怒った伊邪那岐(イザナギ)に十拳剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」で殺されてしまいます。そして伊邪那岐は黄泉の国に伊邪那美を訪ねていく話となっていきます。

社のあるところは土塁だったのかもしれません。

20
背後を覗いてみると、大堀切のようです。
ここから下るのは厳しいので・・・

22
鳥居のところに戻ります。

鳥居の向こうには真田の町並みが広がっていました。

[ 投稿者:オコジョ at 07:52 | 山 上田盆地・更埴 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんばんは
信濃の国は、本当に山城ばかりなんですね。
山という山は、全部お城だったんじゃないかと。
地元の方に、きちんと守られているのでしょうか。
オコジョさんのように、色んな所に行かれているのが羨ましいです。
お体にはお気をつけくださいね。
投稿者: 万見仙千代 at 2019-06-21 19:48:37
万見仙千代さんへ
こんばんは
信濃の国は、小さな国人が、それぞれに城を作ったようです。
山はいくらでもありますから・・・
消えてしまった城、原形をなくした城も多いですね。
皆、個人の所有で、文化財でないものが多いですから、無理もないようです。

マイペースで訪ねています。まだ行っていない城があるというのも、楽しみですので・・・
投稿者: オコジョ at 2019-06-21 21:10:25

この記事の固定URL
http://shinshu.fm/MHz/90.97/archives/0000576581.html

記事へのコメント
 
簡単演算認証: 1 x 6 + 5 =
計算の答えを半角英数字で入力して下さい。
名前: [必須]
URL/Email:
タイトル:
コメント:
※記事・コメントなどの削除要請はこちら