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浅間山 10月9日 (小諸市飯綱山より)
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 このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2019年06月15日
真田・傍陽の里と山城達(3) 大庭集落  耕雲寺・経塚など
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傍陽は旧真田町・・・
真田と言えば真田十勇士というわけで、マンホールには・・・


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大庭区の集会会場の前に道祖神がありました。
傍らに説明の立札が・・・
大庭区による説明です。こうした説明が地域内の随所に見られました。
地元の郷土愛を感じます。今回は出会った立札をすべて紹介します。色付きが立て札です。

道祖神・・・
道祖神の世来は古く、塞 (さえ)の神(悪霊を防ぐ神)として悪い者や病気が村にはいってこないようにと、村境に造られました。それが旅人の安全を守る道の神ともなり、地域では身近な縁結び、子孫繁栄、安産、子育て、五穀豊穣などの様々な願いをこめ信仰されてきました。当区の道祖神は嘉永四年(1851年)  の建立で講仲間としての祭りは昭和の初め頃迄は行われていました。 


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臨済宗 妙心寺派の寺の耕雲寺がありました。

耕雲寺と供養塔群
宝篋印塔(ほうきょういんとう)と五輪塔からなる供養塔群は当寺地籍からより発掘されたものです。この宝篋印塔は文亀四年(1504年)と銘記されています。耕雲寺は葛尾城主・村上義清が開基したと伝えられています。村上義清は、応仁元年(1467年)の洗馬城攻めに始まり天文二十年(1551年)戸石城合戦にと当地に深い戦歴をもち、当寺の宝篋印塔と五輪塔はこれらに関係ある供養のための塔でしょうか。 


3
 
馬頭観音坐像
古来より広い牧場が存在したとされる真田の里には、多くの馬頭観音が建てられています。馬頭観音は頭上に馬頭の冠をのせています。当耕雲寺の馬頭観音坐像は安政五年(1647年)建立で高さ百七十センチ、町内では巨大な馬頭観音坐像です。他に当寺院には正保四年(1851年)建立で、町内最古の馬頭観音文字碑があります。


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優しいお顔の観音様でした。

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耕雲寺山門・・・

耕雲寺の立札に「村上義清は、応仁元年(1467年)の洗馬城攻め・・・」とありますが、村上義清は文亀元年(1501年)生まれですので、洗馬城攻めの時は生まれていません。正しくは村上氏というべきでしょうね。
耕雲寺は、永録二年(1559)に村上義清が開基と伝えられているそうです。その後、荒廃したようですが、江戸時代の明和七年(1770)に中興して現在に至っているそうです。

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耕雲寺本堂・・・

耕雲寺の本尊は上田市の重要文化財に指定されている阿弥陀如来だそうです。
室町時代中期の像と言われと、像の底に江戸時代の元和八年(1622)に修復されたと銘記されているそうです。
気品あふれる重厚な坐像とか・・・

8 (1) 8 (2)
境内の宝篋印塔と五輪塔の供養塔群

 昭和三十五年(1960)、耕雲寺の裏山から宝篋印塔と石造五輪塔が多数出土したそうです。それをここにいつして祀ったそうです。

この供養塔群の詳細は分かっていないそうですが、文亀四年(1504)の陰刻銘があるものや人骨も確認されており、村上氏の家臣を供養したのではと考えられているそうです。

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創業明治45年の三井醸造店・・・
製造卸業ですが、オリジナル商品に取り組み、この地方の特産品のくるみを使った「くるみを使ったタレ」が人気だそうです。

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 <二十三夜塔--通称・月待塔-- 二十三夜塔の月待ちの塔です。その土地で決めた日の夜、高仲間が集まり月を拝む行事でした。この夜は念仏を唱え、飲食をともにし語り合いながら月の出を待ちました。この夜月を拝むと願い事がかなうという信仰があり、農事を始めいろいろな相談事をしたようです。寛政七年(1795年)大庭村と書かれ、昔の人々の願いが伝わってくるようです。

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根古屋城に向うと「経塚」という道標がありました。

立ち寄ってみます。

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経塚と一石五輪塔

経塚は、願事があって経文を埋めた塚と言われ一石五輪塔 正保四年(1647年)、一千部供養塔などと建てられている珍しい塚です。通常見られる五輪塔と異なり、一石に地・水・火・風・空を表す梵字が刻まれています。当経塚は、古城・根古屋城の麓にあり、米山・砥石城へと通じる金剛寺街道があります。


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ここには庚申塔もありました。「一千部供養塔」は仏教経典の「大乗妙典」を一千回、独誦した記念に建てた石碑です。大乗妙典は、一般的には法華経だそうです。「大乗妙典六十六部供養塔」もありました。六十六部廻国巡礼とは、法華経を書写して全国の六十 六カ国の霊場に1部ずつ納経して満願結縁の記念碑・・・
ここは経を埋めたのでなく、経典の碑があるから経塚なのかもしれないのかなとふと思いました。独断ですが・・・

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一石五輪塔・・・

仏教には、宇宙(あらゆる世界)を構成しているのは五大(ごだい)という5つの要素という考えがあります。地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう)・空(くう)の五つの要素です。これを形にしたのが、五輪塔です。方形の地輪、円形の水輪、三角の火輪、半月型の風輪、団形の空輪の組み合わせです。

古くから供養塔や供養墓として建てられてきました。

この一石五輪塔は五輪塔の図を刻み、地水火風空の梵字が彫り込まれています。磨崖の五輪塔は東北や、佐久市などで見ていますが、このような形は初めて見ました。確かに珍しいもののようです。

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 道標
-戦国時代からの松代道-
松代道当所は、旧軽井澤村の入り口にあり、松代道は当大庭区を抜け旧地蔵峠を越えて松代〜長野善光寺へと通じ地蔵峠道とも称しました。真田氏ゆかりの上田城と松代城とに通じる松代道は、川中島合戦の時代より真田氏が往来した重要な道であったと伝えられています。現在、新しい道が地蔵峠を越え長野市善光寺へと通じています。

道標
従 松代来ハ右上田左江戸
従 上田来ハ右江戸左松代
従 江戸来ハ右上田左松代
道標説明
松代より来れば右は上田、左は江戸
上田より来れば右は江戸、左は松代
江戸より来れば右は上田、左は松代


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この草深い道が、昔の松代道だったのでしょうか・・・

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松代道はこの山を越えて松代に続いていました。

[ 投稿者:オコジョ at 08:29 | 上田市・小県郡 | コメント(0) ]

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