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浅間山 10月9日 (小諸市飯綱山より)
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 このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2019年04月30日
水上布奈山(みずかみふなやま)神社の 素晴らしい彫刻たち
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「蘇鉄に兎」

寺社彫刻というと、龍や獅子・などの鳳凰など聖獣や自然や花鳥、そして中国を題材とした物語などによりますが、この彫刻は異質と言えそうです。

私が知る限り(たいして知りませんが)こんな彫刻は見たことがありません。
多分、全国的に見ても、洒落た表現ではないかと・・・
これが江戸時代の宮大工の手に掛かる彫刻というのは驚きです。
もう、一月たってしまいましたが、今回はこの宮大工の彫刻達を紹介します。


2
先月セツブンソウを見に戸倉を訪れ、セツブンソウと温泉を楽しんだ後に水上布奈山神社に立ち寄りました。

水上布奈山神社は江戸時代の北国街道、下戸倉宿にあります。

諏訪大社の流れをくみ、北国街道の宿が慶長八年(1603)に諏訪大社から祭神を迎え、一間社流造りの神社として創建したと伝えられます。
本堂は江戸時代後期を代表する宮大工の柴宮長左エ門により建立されています。

3
境内にある稲荷神社・・・

小さな社ですが、その前の2つの石灯籠は「飯盛女の献燈篭」として千曲市の有形指定文化財にも指定されています。

この天宝10年(1837)に戸倉宿に働く飯盛女の52名と旅籠屋主人14名が奉納した燈篭です。

飯盛女は宿場の旅籠で、男客の飯を盛ることから呼ばれました。

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台座には旅籠屋主人と飯盛女たちの名前が刻まれています。
平仮名で「たか いね おち よか しけ とみ さく・・・・」

江戸時代には宿場の遊女は禁止されていましたが、実際には幕府黙認で、その代りを飯盛女がしました。自らこの世界に入ったわけではなく、貧しい家の娘が買われてきました。
過酷な環境と生活の中で、病死や自ら命を絶つものも多く、幕府も見かね、各旅籠に飯盛女は2人までと制限しましたが、実際には守られませんでした。ここには52人もいたということです。

そんな彼女たちのどんな思いがこの燈篭に込められているのでしょうか・・・

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国重要文化財 水上布奈山神社本殿・・・

冒頭の写真は本殿の彫刻の一部です。

柴宮長左エ門は古くから諏訪藩作事方大工棟梁をつとめる伊藤家の出身で、16歳の時に母の実家、村田家(大工の家柄)の養子になり、27歳の安永2年(1773)より4年間、江戸で日光東照宮の建造した大隅流平内家で修業して、諏訪に帰ります。安永6年(1777)、翌年に諏訪大社下社春・秋宮幣拝殿建築で立川富棟(秋宮)と対決してともに見事なに彫刻を残し名工としてむしられるようになります。天明2年(1782 )に村田家を他者に譲り柴宮家となりますが、仕事上は柴宮ではなく生家の伊藤を使ったようです。

前面扉わきの彫刻は寒山拾得(かんざん じっとく)ですね。

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ここは覆屋の前面は、この写真のように網と柵で中には入れません。
最近は物騒な世の中、こうして管理する必要は十分理解できます。
10年くらい前までは入れたのですが・・・

丁度、拝殿の戸締りに来た方に、特別に開けて頂けました。
と言っても、年金生活ですので100円ですが・・・

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寒山拾得・・・

経巻を開いて読んでいるのが寒山、箒を持っているのは拾得・・・
この取り合わせは禅画には多いですね。
中国らしい山水と組み合わせた聖のような崇高な姿をしたものや、葉をむき出して笑っている堕落した僧など違う構図もいっぱいありますが・・・

寒山拾得は中国の唐代中期の高僧で詩人としても有名ですが、二人とも奇行が伝わり確実な生涯は良く判っていなくて、伝説に包まれています。そんな話の中に一人の娘をめぐって、結局、二人とも出家して、一緒に、仲良く暮らし仏の道を究めて高僧になったという話もあります。
ます。

ただ寒山は実在したようですが、その伝説が膨らんで拾得が生まれたとも言われます。

長野には寒山拾得という中華料理店があります。何度か行きましたが、美味しかったと・・・

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鳳凰 松に鶴・・・

彩色はありませんが、本殿の彫刻の多さと見事さは屈指の物と言えます。他に知りません。多彩な、生き生きした彫刻がちりばめられていて見とれます。

ただ、戸締りの方も帰らなくてはならないので、そうゆっくりはできませんが、12年ぶりに間近で見ることが出来たのは嬉しいことでした。

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獅子に鳳凰・・・

今にも動き出しそうなといいたくなるような・・・

鳳凰は、手塚治虫は火の鳥として登場させています。

五つの華やかな輝かしい色のとりで、美しい五つの音で鳴くとか・・・

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松に鷹・・・
こちらも生き生きとした表現ですね。

本殿全面に彫刻が施されているといっていいような・・・

柴宮長左衛門が一人で彫ったわけではなく、彼の指導のもとで市の職人たちも加わっている作品なのでしょうが、柴宮長左衛門が細部にわたって指示して彫刻は統一感があります。

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麒麟・・・

動物園にいるキリンではありません。
鹿の体に狼の頭に角があります。足は馬で尾は牛といろいろな動物が一つになっています。頭脳が明晰で、歩くと葉には、虫も踏まず、草を折ることもない優しさに満ちています。
王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な瑞獣とか・・・

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霊亀・・・

龍の頭をして、足も力強く迫力満点・・・

霊亀は千年以上経った亀とされ、吉凶を予知するそうです。
亀は万年と言いますから、この元気の良さはまだまだ数千年生きそうです。

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虹梁(こうりょう) の龍・・・

虹梁は社寺建築に虹のようにやや弓なりに曲がっている梁 ですが、ここでは虹梁が龍となって建物を支えているようです。

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こちらの龍も見事です。

龍は良くご存知ですね。皇帝を象徴する聖獣とか・・・

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昇り竜・降り竜・・・

こちらも柱が龍となっています。ダイナミックな躍動感に満ちたその姿は感嘆するばかりです。

龍・麒麟・鳳凰・霊亀は四霊獣として、中国の『礼記』に聖なる縁起のよい瑞獣と記されています。
中国の儒教は、 国の統治に「仁」や「徳」を大切にします。 「仁」や「徳」ヲ大切にする天使が現れる時に平和な時代に四霊獣は出現するとか・・・

今の自分のことばかり考えている政治家ばかりの日本では無理かな・・・

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竹林の七賢人ですね・

三国志で知られる3世紀の中国・魏の国の末期に、竹林で、酒を飲み歓談して交遊した七人の賢人です。
日本ではのんびりとした現実離れした自由奔放動なことを言う人を言うこともありますが、実際の七賢は現在の首相クラスを含む当時の知識人たちだったそうです。奈河には讒言によって死刑になった方もいるとか・・・
命がけの密談だったようです。

もっともこうした高官たちの集まり・・・・
七賢人が一堂に集まることはなく、竹林に集まったこともないそうです。それ以前に竹林は彼らの住む地域にはなかったとか・・・・
彼らを讃えた後世の人たちの生み出した幻想・・・

でも、こうした話が憧れとして生まれる厳しい時代だったようです。

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拾得はどんな時代に生きたのか・・・・

この後急いで、最後は走るように戸倉駅へ・・・
私は走れないのですが・・・
発車2分前・・・

跨線橋をやっとの思い出でホームに待っている列車に・・・

無理は効かなくなりましたが、よしんば乗り遅れても、素敵な彫刻に出会えたことを後悔しなかったと思います。

[ 投稿者:オコジョ at 17:45 | 千曲市・坂城 | コメント(0) ]

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