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浅間山 5月08日 小諸市耳取より)
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このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2019年03月17日
懐古園から千曲川へ  西浦ダム
1
馬酔木咲く、懐古園下の千曲川への道・・・

 我が背子(せこ)に 我が恋ふらくは 奥山の 馬酔木(あしび)の花の 今盛りなり

万葉集の詠み人知らずの歌・・・
あなたを密かに恋い慕っている私の心は、奥山に咲く馬酔木の花のように、今真っ盛りです。 という恋心を歌っています。
万葉集には10位の馬酔木の歌があります。古くから日本に咲いている花です。
馬酔木はきのうも紹介していますが、白い花でしたね。馬酔木の花は白い花が普通ですが、ここ花のいろはピンクですね。ピンクの色の花アケボノアセビ(曙)というそうです。
園芸種とも言われますが、このように山に自生していることも多く園芸種とは断定できないようです。

個人的には白い花が野の花らしくて好きです。


2
入口は通せんぼ・・・

倒木のために通行止めという表示は下に落ちていました。

3
最近の小諸地域の小諸新聞にこんな記事が載っていました。

この遊歩道は3年くらい前の台風や豪雨で通行止めになっていました。
道の部分に倒れている木を一カ所取り除ければ歩けるのにと思っていたのですが、行政は何もせず放置、草が茂って藪となり、廃道になってしまうのかと心配でした。

寄付があってようやく整備・・・
どう変わったかなと、最も本格的な整備はこれからのようですが・・・

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樹々の間からの千曲川・・・

青葉のころには見えなくなります。
青葉のころは潤いがありますが、この季節の雑木林には彩りは少ないですが、陽が入り明るく緑のころとは違った雰囲気も悪くありません。

6 (1) 6 (2)
山林作業小屋・・・

この小屋の屋根に倒木がよりかかっていました。

右の写真のこの切株がその木のようですね。
小屋が壊れる前で良かったですね。

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動物園と城址をつなぐ白鶴橋という吊橋の下の谷・・・

    いくたびか榮枯の夢の
    消え殘る谷に下りて
    河波のいざよふ見れば
    砂まじり水巻き歸る
       島崎藤村「千曲川旅情の歌」(落梅集より)


島崎藤村が明治に小諸義塾の教師のころに、この詩のように懐古園から千曲川へと下って行った道・・・
今は通行止め・・・

藤村のころをしのぶにはいい道だったのですが・・・

今回歩いた道は今の懐古園から千曲川に徒歩で行ける唯一の道・・・
一日も早い完全復活を願っています。

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ここが倒木の有ったところ・・・

すっきりしていました。

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2年前の7月はこんな感じでした。

この道は好きな道なので時々様子を見に来ていました。
草をかき分け、倒木をまたいで歩いていました。

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千曲川の河原から振り返ります。

大平山といいます。この上に懐古園があり、この中を歩いてきました。
よく見ると山林作業小屋が見つかります。

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川を見ると・・・
西浦ダムが無くなって堰になっています。

「ダムが無くなって堰・・・」と書きましたが、ダムと堰はどう違うのか気になって調べてみました。

現在の河川法には年昭和39年(1964)改正)には改定されたによると、ダムとは、「河川の流水を貯留し、又は取水するため第26条第1項の許可(河川区域内における工作物の新築等の許可)を受けて設置するダムで、基礎地盤から堤頂までの高さが十五メートル以上のものをいう。」だそうです。

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現在はまだ工事中で貯水せず、こちらの写真の中央あたりのバイパス水路から放出されていました。

ダムの上の建物は千曲小学校です。

西浦ダム
こちらが以前の西浦ダム・・・

この時の西浦ダムの高さ14.2メートルだったそうです。
これによると、もともとダムではなかったようですが、約15m、みんなダムと呼んでいました。

西浦ダムは千曲川で水力発電所の建設を進めていた東信電気昭和3年(1928)に、下流の隣町の東御市(当時は北御牧村)の島河原発電所の建設に着手します。発電所は昭和5年(1930)に仮運転を開始します。この発電所の水源が西浦ダムでしたが、完成は昭和12年(1937)でした。その間はどうしていたのかは知りません。仮の堰があったのかも・・・
島河原発電所は今では島川原発電所に改名しています。

13 (1) 13 (2)
堰の工事の完成は4月10日のようです。

堰についての規定はなく、政令の河川管理施設等構造令で、「堰は、流水を制御するために、河川を横断して設けられるダム以外の施設で、堤防の機能を有しないもの」だそうです。

ダムの底への工事用の道がありました。立入禁止とは書いてありませんでしたので、入らせていただきました。ダム湖の底なんてめったに入れませんから・・・

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こんな道を入ってきました。

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内側から見た堰・・・

色が変わっていますが、右の白っぽい堰は一年前に建設されたもの、左側の褐色の部分が今年の工事した部分です。

新しい堰・・・
この工事内容はネットで調べても全く分からないので、想像なのです。一応、機械の設計者をしていましたので、まったく的外れでないといいのですが・・・

左が低く、右は高いですね。懐古園から満ちた時はどちらも高かったのですが、その後動かしたようです。

この翅というか堰の板を旋回させて水位を調整させるようです。

高い方か満水にする時、左は洪水に供えてダムの水を放水する位置・・・
色々テストを繰り返しているようでした。

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ここが島川原発電所への水の取り入れ口・・・
現在、今水門は閉じていますが・・・

堰をあげて貯水して水門を開けると、御牧ヶ原台地の下をトンネルで通り抜けて島川原発電所に水が送られ発電されます。
コンクリートの上と下で色が違いますが、下の白い所が満水時の水面下です。

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やはり水のないダㇺの底は荒々しくて寂しげですね。

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上流の戻り橋・・・

このダムの上は歩道になっていて懐古園側から対岸の千曲小学校への通学路に使われていました。私も時々使わせていただきました。

この工事が始まった平成29年(2017)秋から、この上を通って対岸に行かれなくなり、この戻り橋へと大回りとなりました。大変だなと・・・

もっとももっと遠くから通っている児童がたくさんいますので、このままのようです。

[ 投稿者:オコジョ at 07:54 | 小諸 風景 自然 | コメント(0) ]

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