掲示板お問い合わせランダムジャンプ

浅間山 (12月13日 小諸市新町より)
P1530891 
このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


営利目的や記事に関係のないコメント、英文のコメントは、予告なく独断で削除させていただきます。

2019年01月04日
松本散歩6 松本城 本丸
1
本丸御殿跡からの国宝松本城天守・・・

五重の堂々とした天守・・・
江戸時代から残る五重の天守はほかに姫路城が残るのみです。

左から辰巳附櫓14.7m、天守29.4m、渡櫓12.0m、乾小天守16.8m・・・
辰巳附櫓の前に月見櫓11.1m が視路壁が多く、赤い手摺がアクセントになっています。

天守と乾小天守の間の渡櫓が天守の入口です。


2
黒門・・・
本丸への入り口・・・

小諸城の本丸入口にある門も黒門といいました。
現代では黒というと白黒をつけるとか暗いとマイナーのイメージもあるのですが、江戸時代には黒は最高の色調であり、本丸御殿に通じる格調高い正式な門ということで「黒門」と呼んだようです。残念ながら元の門は失われ復元されたものです。

内堀を渡ったところが黒門の二の門・・・
高麗門という形式ですが、門に続く控塀(ひかえべい)は平成元年1989)に復元されています。控塀には弓矢や火縄銃の狭間(さま)が開けられていて、敵に対抗できるようになっています。

5
二ノ門を入ると、このような広場で鍵形に曲がる枡形門形式の門となっています。
この塀は二の門の控塀です。

3
本丸への一ノ門は櫓門でここでも一ノ門の上から敵に攻撃できるような形となっています。江戸城の門もこうした枡形門が多くあります。
この門は設計図がなかったため、この黒門の名古屋城の渡り櫓門を参考にして、昭和35年(1960)に復興再建しています。

6
大小の石の組み合わせ・・・
ただ積めばいいというものではないので経験と技術が必要なのでしょうね。

.7 P1040023
中に入ると宇宙ツツジがあります。説明によると・・・
宇宙ツツジ
日本人初の女性宇宙飛行士向井千秋さんと宇宙を旅したツツジの種から発芽させたもので、全日本花いっぱい館林大会を記念して群馬県館林市から松本市に寄贈されました。
松本市は、花いっぱい運動発祥の地として、長年この運動に取り組んでいます。 


松本城の黒門近くに、なるものが植えてあります。
宇宙 つつじは、日本人初の女性宇宙飛行平成6年(1994)に士向井千秋さんが、スペース シャトルで宇宙に持って行った宇宙を旅したツツジの種・・・

8
本丸庭園・・・

江戸時代は本丸御殿があった場所です。

9
ただ江戸時代中頃の享保12年に(1727)には本丸御殿が焼失してしまいます。でも、天守は無事でよかったです。本丸御殿は再建されることは無く、以後、藩政は二の丸御殿で得行

10
今は広い芝生の庭園になっています。
見ると瓦で仕切りがありますが、これが本丸御殿の輪郭だそうです。

主要建物は五棟で建坪は830坪(約2,730平方メートル)に部屋数は60余りだったそうで、城主の居館と藩の政庁を兼ねていました。

11
五重六階の大天守
見上げると立派です。

12
三重四階の乾小天守・・・

乾(いぬい)というのは「戌亥」で十二支の戌の亥の間、昔の方位で北西になります。昔の方位は北の子(ね)から時計回りに、子丑寅・・・となっていきます。
乾小天守は、天守から見て北にあります。北は子の方位ですが、北には、叛く(そむく)、敗れるなどの意味があり、昔は忌み嫌われたためからであるといわれています。
乾は「神門」と呼ばれ、方位の中でも一番位が高いとされ、商人の家では江戸時代には、神棚を置いたそうです。そうしたことから縁起を担いで乾小天守としたようです。

13
大きな窓がなく狭間がズラリと・・・
その後の象徴の城でなく、戦いの城の要素が大きいそうです。

15
これでは中は暗そうですね。

18 20
建物の一部が堀に競り出していますね。右は「武者落」と説明がありましたが、一般的には「石落(いしおとし)」と言います。通常は床板があり、出入り出ません。いざ敵が攻めてきたときには板を開けて石を落として敵を落すということで石落です。もっとも、この時代は鉄砲も弓矢もあり、最後には槍で攻撃するためのものです、敵の武者が落ちるのだから、「武者落」とも言います。
松本城には大天守・乾小天守・渡櫓のそれぞれの一階に合計11か所の石落があります。これも戦いを意識した城の証しだそうです。

25
こんな方もいらっしゃいました。

30
天守に入城します。

[ 投稿者:オコジョ at 08:18 | 長野県中南部 | コメント(4) ]

この記事へのコメント
お城
黒々!
この色のせいか大きく堂々と見えますね〜〜壊されなくて本当に良かった^^

ウイルス性胃腸炎、年末少し前に息子もかかって、孫にも感染って終業式も欠席で病院へアッシーをさせられました。お正月というのにおせちも食べられずにお辛いでしょうね〜〜まあ、そんなときもあります。
回復すれば思い出&笑い話・・・早く回復されることを祈ります。
どうぞお大事に。。
投稿者: われもこう at 2019-01-04 21:46:02
あけましておめでとうございます
今年も宜しくお願い致します。
お正月も車では待ち遠しいですがあっとゆうまに終わってしまいました・笑
みんな元気で過ごして欲しいと願うのみです。
オコジョさんちはご家族の集合は終わりましたか?
息子さん達には懐かしい実家の味ですね。

松本城、懐かしいです。
とても印象に残っていて大好きな御城です。
内部の暗さも落ち着きを感じる趣でした。
いつかまた行けますように^^
投稿者: アメジスト at 2019-01-05 13:15:21
われもこうさんへ
こんばんは
松本城は黒みかがって、どっしりと落ち着いた感じがしますね。
たくさんの天守が失われてしまいました。もったいないことですね。

ありがとうございます
大変でしたが、どこにも出かけられず、孫とたくさん遊びましたから良しとします。
もう、酒を飲んで、食事も普通に戻っていますので良かったです。
ただ、正月用の食材が冷蔵庫にいっぱい・・・
どうしようかと・・・・
投稿者: オコジョ at 2019-01-05 18:58:22
アメジストさんへ
あけましておめでとうございます
アメジストさんのところは賑やかに新しい年を迎えられ、良かったですね。
我が家今年は胃腸炎で、正月は終ってしまい、大変でした。
次男、このため来るのを控え、三男は2時間ほど顔を出して帰っていきました。
後には、たくさんの酒と食材が残り、当分買い物は当座の物だけで済みそうです。

波乱の幕開けでしたが、きっと終わりよければすべて良しになるかなと、今年も歩んでいくつもりです。

松本城は久しぶりでした。
派手さはありませんが、これが本当の天守という雰囲気に満ちていますね。

今年も宜しくお願い致します。
投稿者: オコジョ at 2019-01-05 19:02:05

この記事の固定URL
http://shinshu.fm/MHz/90.97/archives/0000567094.html

記事へのコメント
 
簡単演算認証: 4 x 1 + 5 =
計算の答えを半角英数字で入力して下さい。
名前: [必須]
URL/Email:
タイトル:
コメント:
※記事・コメントなどの削除要請はこちら