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浅間山 (12月13日 小諸市新町より)
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このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2019年01月03日
松本散歩5 松本城 大手から内堀あたり  
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11月の白骨温泉と松本の旅を今頃・・・
困ったものです。なかなかいかないところなので没にするにはもったいないなと・・・
年寄はスパッと切れません。今年もそんな感じで行くのかなと・・・

松本を舞台とした夏川草介の小説『神様のカルテ3』にこんな場面があります。
松本城の外堀を渡り黒門前をすぎ、天守を仰ぐ内堀にそってゆるりと歩く。ちょうど内堀が直角に曲がっている辺りが、城がもっとも美しく見えるポイントである。左に乾小天守、右に月見櫓を従えたこの城、威風堂々たる姿でどっしりと台地に根を下ろしているように見える。
そのポイントに、三脚を据えてシャッターを切っている可憐な姫君の姿を見つけた。
言うまでもなく我が細君である。 


この写真が、主人公、栗原 一止の我が細君のカメラマンである栗原 榛名が撮影している松本城・・・

私の写真は平凡ですが・・・


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前回のアップから大分時がたってしまいましたがんでいて、冒頭の写真はその内堀の外側の二ノ丸からです。二の丸には御が2棟と倉庫群があり、その二ノ丸を囲むのが外堀です。その外が三の丸で高禄の武家住宅地でした。三の丸の外側に総堀というかなり防御に力を入れた城だったようです。
総堀はほとんど残っていません。前回の縄手通りは総堀を埋めた場所です。四柱神社は三ノ丸跡になります。


..
縄手通りから松本城に向う大名町通り・・・
大名町大手門井戸と言うのがありました。「平成の名水百選」に「まつもと城下町湧水群」のに「水めぐりの井戸整備事業」として新しく作られたものだそうですが、大手門井戸と言うように、このあたりに大手門があったようです。この辺りは大手門の有ったところで、ここはもう松本城内です。

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大名町通りにある旧第一勧業銀行松本支店です。
昭和12年(1937)に建てられ、松本の歴史的建造物として国登録有形文化財となっています。2003年に合併により空きビルとなり、取り壊す計画でしたが、2万人を越える署名で保存を願う署名活動が起こり、が集まり、現在は、レストラン・ブライダル施設として使われています。
このアーチの特徴的な形と石つくりを思わせるモルタルの壁がマッチした、素敵
なデザインです煉瓦作りのような落ち着きとは違いますが、やはり歴史の重みを感じさせます。

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松本城の三の丸跡は、今は市街地となっていて、昔の面影はありません。
ここから二ノ丸に入ります。右に外堀が見えています。左は埋められています。

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こちらが外堀・・・

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二ノ丸・・・

ここは城時代の建物はなく公園化しています。

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本丸入口の黒門近くからの松本城・・・

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国宝 松本城について
松本城は戦国時代の永正年間(1504-1520)に信濃守護家小笠原氏が築城した深志城が始まりです。
その後信濃に侵攻した甲斐の武田氏により、深志城は落城、小笠原氏は追放された深志城代として馬場信春を配置し、松本盆地を支配下に置きます。この時らに今の松本城の原型が作られたようです。
そして坂城の村上義清、その後は越後国の上杉謙信と対立し、有名な川中島の合戦へ向かっていきます。
しかし天正10年(1582)に武田氏滅亡、織田、越後の上杉、徳川、豊臣と目まぐるしく城主を変えていきます。松本城と改名したのは。徳川の時代に城代として旧領を回復した小笠原氏の時だそうです。

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江戸時代には170以上の城があって天守閣のある城も沢山あったのですが、明治維新や太平洋戦争で多くの天守閣が失われ、現在、江戸時代の天守が残る城は12のみで、そのすべてが国宝や、重要文化財となっています。その中で国宝は5つ(他は姫路城、犬山城、彦根城、松江城)・・・
この五重六階の天守は豊臣の時代の城主の築城者:石川数正、石川康長が文禄2年〜3年年(1593〜1594)築城で天守は、現存する日本最古の国宝の城です。

この城の別名は黒いため別名烏城(からすじょう)とも言われますが、歴史的に文献には登場せず、現代になっての愛称だそうです。

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石垣は立派ですが、武田瀬の時代は土を盛った土塁だったそうです。

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内堀に沿って歩きます。

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右は5重6階の大天守、左は3重4階の乾小天守・・・

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この赤い橋は本丸と二ノ丸の松本公園を結ぶ橋です。
名前は埋橋(うずみのはし)といいます。
埋橋の名は埋門(うずみもん)から架かる橋のためこの名ですが、堀の中に塀を築き、敵の移動を妨げる足駄塀(あしだべい)があったそうですが、構造は不明で、昭和30年(1955)にこの朱塗りの鮮やかな八ツ橋型の橋となったそうです。
一寸、黒い城とは異質ですね。今、天守は耐震工事中で、その為か橋は現在は渡れません。

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そろそろ本丸に向います。

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人力車で見上げる天守はすてきかも・・・

大天守の右にある二重の建物は辰巳附櫓、その右赤い手摺のあるのは月見櫓です。

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奥の建物が本丸へ入る黒門です。

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いよいよこの天守へ・・・

[ 投稿者:オコジョ at 08:46 | 長野県中南部 | コメント(0) ]

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