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浅間山 (2月18日 御代田町馬瀬口諸市より)
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このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2018年12月30日
武田と村上の激戦の地 砥石城あたり 3  砥石城跡
1
砥石城跡からの東太郎山・・・

砥石城はこの山から上田盆地へと落ちていく尾根が菅平から流れ下る神川に消えていくあたりの末端にあります。東太郎山は1301mに対して、砥石城の最高点は約830m、麓の伊勢山は約600mという標高の関係になります。

東太郎山の尾根と神川とその支流の傍陽川に守られた城といえそうです。


2
大手口から松林を砥石城に向います。その時期は道を外れると問題になりそうなので注意が必要なようです。

緩やかで気持ちのいい道なのですが・・・

3
山城ですからそう簡単には城の上には行けません。

空堀の先が砥石城です。

5
どうやって登るのか、案内板にはこうありました。

切岸(きりぎし)
切り立った険しい崖を切岸というが、戦国時代の城郭では敵の侵入を防ぐために、人工の切岸も作られた。この切岸も人手が加えられたとみられる急崖で、下の堀切とセットになっており、伊勢山方面からの道を抑えている。元来は、はしごを掛けて登降していたものとみられる。


ここは高さ7mとか・・・・

6
今の登り道はこんな道・・・
これでも私には大変なのですが・・・

鎧を付けた武士は大変だったでしょうね。

7
ここが砥石城・・・
<砥石城>
本城の南に連絡しており、北下りの鞍部に幅九mの深い堀切がある。本郭は方二〇m削平方形郭で。周囲の展望は実によい。


堀切の向こうから見た姿とは違って割と広々としています。

ここでここが城の中心かというと???

この城の名前は砥石城なのですが・・・
現在の呼び方では南から北へ「砥石城」「本城」「枡形城」となっています。
3つの城が並んでいるような・・・・

実際には城というより、江戸時代に「本丸」「二ノ丸」「三ノ丸」ともいわれる曲輪または廓という城の区画だったといっていいようです。

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上田の町の俯瞰・・・
ここは敵の動きが丸見えのようです。

8 (2)
ここは関東の富士見百景の一つ・・・

富士山が見えるはずですが、この日は雲隠れ・・・

関東の富士見百景は、国土交通省関東地方整備局が選定した、富士山への良好な眺望が得られる100ヶ所・・・
実際には128景233地点です。

ここは「関東の富士見百景 上田市からの富士」・・・
ここと太郎山山頂と合わせて2ヶ所・・・

小諸にもあります。「飯綱山公園歴史の広場(富士見城跡)」・・・

どちらも山城跡・・・

もっとも長野県の「関東の富士見百景」は6地点・・・
他は山城ではありません。

個人的には赤岳山頂とか、飯盛山山頂とか、山の頂からが素敵だと思うのですが、行くのに大変なところは避けているようです。とはいうもののここと太郎山は歩いて1時間は見ないと・・・・

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戻って、本城へ・・・

何段にもなった段曲輪・・・
帯曲輪・腰曲輪とも言いますが、山城の山腹に階段状に細長く帯状に城を囲む曲輪です。
ここに兵を配置しました。敵は一つの段曲輪をとっても、曲輪は狭く一つの曲輪に大勢の塀は集められず、すぐ上には敵の兵・・・

10
この切岸を登るのは大変ですね。
上と下、戦いで有利なのは上です。

こうした切岸で守られた段曲輪がいくつも続きます。

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この上が本城・・・

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ほんの少しですが本郭入口には石積みが残っています。昔は入口として、もっとあったのでしょうが・・・

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本城上・・・

  本城
砥石・本城・桝形と連なる三要害(砦)からなる砥石城の中心である。南から北へと段登りの数段の削平した廓からなっており、最上部が本郭である。山上としては、かなり広い郭群であり、館もあったのでは、と推測されている。なお「本城」とは、江戸時代の本丸に当たる。

地元では、ここを桝形城、上の「桝形城」を「お寺山」、この本城を「桝形」とよび、現在の「桝形城」を「本城」と呼んでいたそうです。これなら砥石城は一つの城という感じですね。

ここは村上が支配した時代と真田が支配した時代に別れますが、村上氏は本拠の坂城に近い金剛寺峠、真田氏は真田側の伊勢山を大手としていたそうです。
城の中枢は奥まったところで、村上氏は現在の呼び方でしたが、後の真田は本城を「桝形」、村上氏の桝形城を本城と入れ替わったそうです。
使い方によって名前は変わるようです。

それがなぜか、場所が入れ替わってしまったようです。
「砥石城」「本城」「桝形城」3つ合わせて『砥石城』ということです。

15
この周囲は塀や柵で囲まれ、虎口の門があったはずです。そして内部には江戸時代の御殿とは比べ物になりませんが、城主の住居や食事を作る小屋、食料蔵や武器庫などのたてものがあり、戦いの時は弊誌で触れていたことでしょう。

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本城の先も険しい堀切・・・

当時の兵は体力勝負ですね。
オコジョは一回通過するだけなので面白がっていますが・・・

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桝形城への道・・・

単なる山道の感じです。

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この上が桝形城・・・

ロープにつかまって登りました。昔はすいすいと登れたのですが・・・

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桝形城・・・
ここが砥石城で一番高い最高地点です。本城と較べると狭いです。

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烏帽子岳の麓の真田の里が一目で見渡せます。

真田氏御館跡、真田本城、松尾古城などの真田氏の史跡が一望です。

21
やはり烏帽子岳が気になって・・・

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ほぼ中央の森が真田氏御館跡・・・

やがて、真田昌幸は勢力が増してきて徳川の配下となると、徳川氏の援助で上田城を築いて本拠を移します。しかし、その後、上杉景勝配下と鞍替えして、徳川と相対していく・・・真田昌幸はしたたかだったようです。
でも、そうでもないと、戦国は生き残れなかったのもしれません。

[ 投稿者:オコジョ at 07:26 | 上田市・小県郡 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんにちは
オコジョさんのお蔭で、佐久平の色々な所を知ることができて、知識が豊富になりました。
毎日のアップ大変とは思いますが、これからもよろしくお願いします。
今年も有難うございました。
良いお年をお迎えください。<(_ _)>
投稿者: 万見仙千代 at 2018-12-30 16:05:23
万見仙千代さんへ
こんばんは・・・
拙いブログに託作のコメントありがとうございました。
くどいという感じは本人も感じていますので、来年はなるべく簡潔にしたいなと・・・
私のところと違って、万見仙千代の人間味あふれたブログ楽しませていただきました。
来る年も良き年で負ありますよう、そしてよろしくお願いいたします。
投稿者: オコジョ at 2018-12-30 21:41:47

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