
福王寺は望月の協和地区の小平集落の一番奥にあります。
あたりはこんな長閑な風景です。

まず仁王門を潜ります。
この仁王門は、元は茅葺屋根・・・
江戸時代の建物です。

この仁王様は、そう大きくはありませんが迫力満点の仁王様でした。
悪いことをするなと睨みつけられました。恐る恐る通らせていただきました。

雫田山竹仙院福王寺は、平安時代の大同2年(807)開基と寺に伝わる真言宗智山派の寺です。本当とすると、弘法大師空海が亡くなったのは承和2年(835)ですので、大師がまだ存命の時からの古刹となります。
鐘楼と山門の間に、塀を乗り越えて見事な枝垂桜があり、この辺りでは「福王寺の枝垂桜」として、良く知られた桜の銘木となっています。

何年か前の花の時期の写真、この後雨となった時で余り花の色が出ていませんが見事です。

本堂・・・
この寺は寛永年間(1624〜43)に山火事で、本尊阿弥陀如来坐像(国重要文化財)、日光月光両菩薩、毘沙門天、雨宝童子(以上佐久市指定文化財)を残し全て焼失して仕舞いましたが、宝永6年(1709)までに本堂、阿弥陀堂、不動堂、鐘楼堂、仁王門、方丈、庫裏が再建されました。

中から見た枝垂桜・・・
樹齢三百年を越えているといわれますので、火災の跡建物の再建されたころに植えられたもののようです。
また春爛漫の花の時期に来たいなと・・・

「福王寺のヒイラギ」として佐久市天然記念物に指定されています。
目通り幹周1.3m、直径40㎝というヒイラギの老木です。
ヒイラギは暖かい地方の山地に自生しているそうですが、佐久地方では自生できず、植栽されたものだそうですが、佐久地方ではこれだけの大木は他では見られず貴重だそうです。
ヒイラギの根元にはたくさんの五輪塔が・・・
この辺りを治めた武士の物でしょうか・・・

彼岸花も咲いていました。
ちょっと花の盛りを過ぎていました。

阿弥陀堂です。
このお堂も立派ですね。

阿弥陀堂内部・・・
元は本尊の国指定の重要文化財、阿弥陀如来坐像が安置されていましたが、今は重要文化財、鎌倉時代阿弥陀如来坐像は収蔵庫に別に安置されていて代わりに中央に江戸時代の釈迦如来坐像が安置されています。
左右の立像は時代を感じかせます。
左は木造月光菩薩立像です。
平安後期・十二世紀後半の作と推定される檜の一木造りだそうです。
右は木造日光菩薩立像です。
やはり平安時代の像ですが、月光菩薩に比べるとやや古いともいわれます。寺によると古くから伝わる観音菩薩だったとか・・・
製作年代は少し違うようですが、失われたと薬師如来の脇侍だったのですが、薬師如来は焼失したため、寺では阿弥陀三尊の脇侍の勢至菩薩と観音菩薩としたようです。

木造雨宝童子立像
佐久市の指定文化財一覧には「福王寺の木造雨宝童子立像(木造聖徳太子立像)」となっています。
雨宝童子と聖徳太子はまったく違うのですが・・・
雨宝童子は、天照大神が16歳のときに日本の日向に降臨した若き日の姿、または天照大神の本地仏とされる大日如来が姿をかえた時の姿とも言われます。
雨宝童子は右手に金剛宝棒、左手に宝珠、そして頭上に五輪塔を頂く童子の形なのですが、この像は鎌倉時代の像だそうですが、右手首が欠損していて、はっきりと何の像か断定できないそうです。
鎌倉時代は、太子信仰(聖徳太子信仰)が盛んで、そうしたことから聖徳太子像としているようです。
日光・月光菩薩とともに佐久市の有形文化財に指定されています。
あと戸の陰になっていた木造毘沙門天立像も佐久市の有形文化財です。
歴史を感じさせる仏たちです。

国の重要文化財に指定されている阿弥陀如来坐像はこの中です。
写真で見ると素敵なお姿ですが・・・

観音堂・・・
この裏山の後ろは中山道間の宿の茂田井となります。前回、ここを訪れた時は茂田井から歩いてきました。

観音堂の中の神々しく優しそうな観音様がいらっしゃいます。
ここは佐久三十三観音霊場の三十二番札所で聖観音が祀られています。
小諸の布引観音を一番として、隣町の立科町の津金寺が結願寺となります。
私は30位参拝しています。いつかみんな回れるかなと・・・
ただ、残ったのは山のほうで行きにくいところ望月町にも春日地区の2つが残っています。御朱印は一つもいただいていませんが・・・

仁王門前の、青面金剛(しょうめんこんごう)を刻んだ佐久市有形文化財の庚申碑・・・
庚申と青面金剛の説明がまだでしたね。
もっとも、このブログでは何度も紹介していますので、またかと思われそうですが、そこは図々しく・・・
望月宿の大伴神社で甲子講の説明で「干支の最初の甲子(きのえね)の日に、講で集まって精進します。」と書きましたが、庚申は「干支の57番目の庚申(こうしん)の日に、講で集まって精進します。」となります。これでは手抜きですね。
庚申は十干と十二支を組み合わせた暦の日ひとつです。中国の道教では、人の体の中には生まれながらに三尸(さんし)という3匹の虫をもっているそうです。道士の姿の上尸、獣の姿の中尸・牛の頭に人の足という姿の下尸で、いずれも、大きさはどれも2寸だそうです。庚申の日に三尸は人が寝ている間に、道教の最高の神である天帝にその人間の悪事を告げ口に行くそうです。罪が重いと命が奪われます。それは困ると、庚申の日は夜通し眠らないで、天帝や猿田彦や青面金剛を祀り宴会をするのが庚申講(庚申待ち)です。
一人では眠くなるから皆で騒げばいいだろうと・・・
青面金剛は字のとおり青い顔の金剛童子です。強大なご利益あって病魔・病鬼を払い除くそうです。基本は六臂三眼の忿怒相です。
両手を高く挙げ日・月を支えて、六臂三眼は6本で3つの目です。
足元に「見ざる、言わざる、聞かざる」三匹の猿と、寝ないように二羽の鶏がいる形が多いのですが、ここは鶏はなしで、猿2匹、何故なのか・・・
青面金剛の像にはいろいろな形があります。二猿の形は庚申塔では古い形で、この地区の庚
申塔の中では初期の青面金剛像で貴重だそうです。
今年、平成30年は干支の35番目の戊戌(つちのえいぬ)です。
私の干支です。蛇足でしたね。