掲示板お問い合わせランダムジャンプ

浅間山 (8月20日 浅間山 小諸市耳取地区より)
999 ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


営利目的や記事に関係のないコメント、英文のコメントは、予告なく独断で削除させていただきます。

2018年09月22日
佐久往還臼田宿 通り抜け2 臼田宿を行く
0
ここは臼田のメインストリート・・・

星の町の星座の名前はあるのでしょうか。街灯を見ると「てんびん(天秤)座」かなと、多分違うでしょうね。


1
こんな道に入ってみます。

2
ここは臼田山相沢寺(そうたくじ)・・・

ここは浄土宗のお寺です。
浄土宗では、念仏を唱えていれば亡くなった時に極楽浄土往けるという教えで念仏を重要視しました。
相沢寺と小諸市平原の十念寺は佐久地方の二大念仏道場だったそうです。

3
入口の右の表札には「浄土宗臼田山相澤寺」と墨書されています。
左の表札には「住吉地域 公民館」「中町地域 公民館」とあります。地域の集会所として使われているようです。寺は無住となり地域で管理しているようです。

5 (1) 5 (2)
左は双体道祖神・・・
右は右手に宝剣、左手に如意宝珠を持つ、少し怖そうな仏様・・・
右手に宝剣、左手に如意宝珠という持物を持つ仏というと虚空蔵菩薩です。虚空蔵菩薩の石仏は珍しいですね。

6
六面にそれぞれ地蔵菩薩を彫ってある石幢もありました。

この寺には臨終に際して阿弥陀如来と二十五菩薩が迎えに来るという二十五菩薩来迎会(らいこうえ)に使用される41面の仏面があり。佐久市の文化財となっています。

二十五菩薩来迎会は十念寺でも行われ、仏面、仏具等も残っています。二十五菩薩来迎会も受け継がれていいますが、後継者不足で伝統行事の紹介のイベントで一部が紹介される程度となっています。

ここの仏面には、長禄2年(1458)と年号の書かれたものがあり、他にも、もっと古い鎌倉期末から室町期の面と思われるものもが数点あるそうです。
ほかにも寺の什物で、数個の平鉦が所蔵され、佐久市の文化財です。
地元では「お面さん」と呼ばれた古刹ですが、今は寂しげでした。

7
井出家住宅・・・

江戸時代初期に名主を勤めた井出家は名主役を退いてからも、代官巡視の際、宿泊所にあてられた旧家だそうです。右側の建物は、江戸時代中期に建てられた書院造りの建物で取次、式台付玄関、広間、座敷(書院)、鍵の間、入側からなり、代官の宿泊を目的として建照られようです。元は銅板葺だったのを瓦に改造したのを平成3年〈1991)銅板葺きに葺き替えているそうです。

9
井出家の座敷は長野県宝に指定されていますが、ここは、個人のお宅ですので門から背見るだけで、あとにしました。

11
街道の奥の天台宗の龍華山弥勒寺によります。

この寺は古い歴史があるようですが、安土桃山時代の文禄三年(1594)の火災により全山焼失してしまい、慶長年間(1596〜1614)に弥勒堂の有った場所に弥勒寺と名を変えて開山した天台宗の寺です。

12
弥勒寺の境内の樹齢約400年の松です。このお寺の歴史を感じさせる木なのですが、面白いのはその上に桜がのっていることです。「宿り木の桜」というそうですが、松に桜継ぎ木したのでしょうか。そりとも松と桜が並んでいるのかな・・・
確認しませんでしたが、桜の花が、咲いているところを見て見たいような・・・

13
本堂の角度を変えて一枚・・・

15
本堂の戸はしまっていたのですが、ちょうど帰ってきた住職さんが開けてくださり、身近で拝観できました。

本尊は寺の名前から弥勒菩薩かと思ったのですが、この姿は如来ですね。
印相と手前の梵字から住めと阿弥陀如来のようです。
優しい御顔で、人々を救うべく冥想しているようでした。

16
大師堂・・・

天台宗ですから大師は伝教大師(最澄)と思ったのですが・・・

このお堂は安永3年(1774)に大師堂を建立し、東叡山より寄贈の比叡山中興の祖第18世天台座主慈恵(元三大師(がんざんだいし))の画像を安置しているとありました。現在は毎月20日を大師の縁日として護摩を焚き、地域住民に「お大師さん」の名で親しまれているそうです。

17 (1) 17 (2)
左は慈恵(元三大師(がんざんだいし))の画像

疫病が流行った時、元三大師は、これを救おうと弟子たちを集め、鏡に自分の映る姿を写し取るように命じます。元三大師が眼を閉じ、静かに瞑想を始めると、鏡の中の大師の姿は変化してゆき、この石碑のような骨ばかりの不思議な鬼の姿になりました。骨と皮にやせ衰えた2本の角の鬼の像と言えばいいですね。
弟子たちは、恐ろしさに慄く中で、高弟、明普阿闍梨だけはその姿を正確に写し取りました。元三大師はその絵を見て「この絵を版木におこし、お札にして摺り、家々の戸口に貼りつければ、邪魔は怖れて寄りつかず、疫病はもとより、一切の厄災から逃れることができる」といったそうです。
お札を貼った家は誰も流行病にならず、病人全快して流行病は終わりを告げました。
この後、このお札を、このお札を角大師と称えて、毎年、新らしきを求めては戸口に貼るようになったそうです。このお札は、総ての厄災を除くそうです。

18
この家も井出さんでしたが、家の前の石碑には「信濃奇勝録」とありました。

『信濃奇勝録』(しなのきしょうろく)は、江戸時代末期に、信濃国佐久郡臼田町の諏訪神社の神官の井出道貞が、信濃国(現在の長野県)全域を十数年にわたって実地踏査を重ね、信濃各地の有名な奇勝景観に加えて、歴史・旧跡・民俗・社寺・祭事から、建造物・古器物・出土品、また珍しい動物・植物・鉱物に至るまでたくさんことを多くの図を使い全5巻として紹介しています。

ここは井出道貞のお宅なのかもしれません。

19 (1) 19 (2)
こちらは佐久往還のしし座通りと街灯・・・

町の中心から外れ、車のための国道や県道の指定は無く寂しい限りですが

20 (2)
こちらは千曲川沿いのおとめ座通り・・・
街灯に乙女はいませんでしたが、こんな所にいました。

あと臼田駅前通りはふたご座通りで街頭に蓋御所がいるのですが、今回は足を延ばしませんでした。

[ 投稿者:オコジョ at 13:51 | 佐久市 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんばんは
臼田散歩
オコジョさんは、駅から全部歩かれているんですか?
車でばかり通っている私は、いて座通りだけは知っていますが、下りて歩いたことがありません。
こーんな立派なお寺さんもあるんですか!
前記事の井出さん、今の政治家さんも、このお宅の出身ですよね?
投稿者: 万見仙千代 at 2018-09-22 21:50:58
万見仙千代さんへ
おはようございます。
臼田は宿場町などこの辺りの中心の町として発達してこうした寺も多かったようです。稲荷神社も有名ですし・・・
最近亡くなった元厚生大臣井出正一の甥が現衆議院議員の井出庸生です。
橘倉酒造の井出家は佐久地方の名家ですね。
投稿者: オコジョ at 2018-09-23 08:11:44

この記事の固定URL
http://shinshu.fm/MHz/90.97/archives/0000558855.html

記事へのコメント
 
簡単演算認証: 3 x 8 + 5 =
計算の答えを半角英数字で入力して下さい。
名前: [必須]
URL/Email:
タイトル:
コメント:
※記事・コメントなどの削除要請はこちら