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浅間山 (12月1日 小諸市滝原より)
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このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度もおなしを繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2018年09月18日
横根の里(佐久市)  神と仏
1
地図に鳥居マークがあるので寄ってみました。

こんな素敵な杉並木の参道でした。


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佐藤春夫の愛した横根集落・・・

街道からも町からも外れた閑散とした町並み・・・
都会にはない魅力だったのかもしれません。

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冒頭の神社の入口・・・
ここは諏訪神社です。

素敵な雰囲気がありました。

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襟を正さなければいけないように思える参道でした。

大きな欅は一本だけなのですが・・・

正確な創建は不明だそうですが、言い伝えでは文治元年(1185)の創建と言われます。そのころ細い木で作られた仮屋に十二大明神と呼ばれた宮があったのを、当時の信濃守護の小笠原長清の子の横根法眼がこの地に来てという者がこの地に来て、この地に霊験を感じ、建久年中(1190-1199)に石祠にして拝殿を建立したのが創建ともいわれます。

いずれにしても、本当とすると鎌倉時代の初めですね。 

この神社の裏山辺りは中世の山城の延寿城跡と言われています。城の痕跡はもう残されていないようですが・・・

延寿城は鎌倉時代の小笠原氏の館とか跡(佐久市大字横根字延寿城)平尾氏が入る前の領主、小笠原氏の庶流。大井氏の草創期の一族、横根法眼の隠居城とも言われます。
横根法眼の再登場ですが、この人物についてはほとんどわかっていないようです。
昔はと呼ばれていたというのはどういう意味だろう。佐久市横根 諏訪神社鎮座地の小字が十二平といい、
口碑によると十二大明神と称され、奉斎されていたが、

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鳥居の奥に拝殿・・・

石燈籠には享和とか弘化という江戸時代の年号がある立派なものでした。

9御祭神
拝殿・・・

この神社の神は御穗須須美命(みほすすみのみこと)・・・

聴きなれない名前ですね。もっとも神様の名前なんて全然、知らないよという方にはそんな神がいるのかなという程度でしょうね。

神に格式があるとすれば古事記や日本書紀の記紀といわれる古代の朝廷の歴史書にその名がある神ということになるようです。

御穗須須美命は記紀の神話には登場しません。
登場するのは『出雲国風土記』・・・

もっとも編纂が命じたのはられたのは飛鳥時代 - 奈良時代の第43代天皇の元明天皇です。『古事記』を完成させ、和同開珎の鋳造等を行ったことで知られる女帝です。次の太上天皇も女帝です。昔は女性の天皇に反対することは無かったようです。男女平等の世の中、昔のように女性の天皇や総理大臣がが出てきてもいいと私は思うのですが・・・
元明天皇はは地方の歴史や文化を記した歴史書の「風土記(ふどき)」の編集を詔勅しています。その多くは失われていますが、その中で出雲国の風土記の『出雲国風土記』。は現存する風土記の中で一番完本に近い貴重なものです。

『出雲国風土記』。には記紀神話とは異なる伝承が記されています。
その中に所造天下大神と(あめのしたつくらししおおかみ)奴奈宜波比売命(ぬながわひめのみこと)が結婚して、御穂須須美命(みほすすみ)を産んだとなっています。

所造天下大神は大国主のことで、奴奈宜波比売命は古事記では沼河比売(ぬなかわひめ
)となっていて、二人は結婚したとなっていますが、それ以上の記載はありません。

10本殿・・・
この神社は諏訪神社・・・
諏訪神社は建御名方神(たけみなかたのかみ)を祀る神なのですが、ここの神は御穂須須美命・・・

記紀では、国譲りを迫られたときにこれに対抗して建御名方神が建雷命と戦って敗れて諏訪に逃れて諏訪野神となったことになっていますが、『出雲国風土記』には建御名方神は登場しません。

新潟県糸魚川市に残る言い伝えでは、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川を遡り諏訪に入り、諏訪大社の神になったと伝わっています。
大国主と沼河比売の子は御穗須須美命ですので、御穗須須美命は建御名方神と同一の神出諏訪神社ということになります。

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本殿近くの石碑・・・
苔むして何かをかたっているような・・・

能登の珠洲市には御穂須須美命を祭神とする須須神社があります。これは大和朝廷に追われた出雲の出雲族が日本海を北上し、能登半島に上陸したことの証しではないかという説もあります。
そして信濃の千曲川流域を主として、中野市の越智神社、埴科郡坂城町の坂城神社、そしてここの諏訪神社など、御穂須須美命を祭神とする神社が十社ほどあるのは、能登半島から日本海を越後に進んだ出雲族が信濃川から千曲川に沿って行ったことをしめしていると・・・

伝承や伝説の中に昔の歴史が隠れているかもしれません。

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諏訪神社の社叢・・
歴史を感じます。

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この裏山は延寿城の跡・・・

見あげると城はありませんがお堂があります。
草深い道なのですが、も登ってみることにします。

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なかなか立派なお堂ですね。
お堂というより廃寺という感じです。帰って調べてみると、地図に「救世尊」とありました。「救世主」ならキリスト教なのですが・・・

「世尊(せそん)」「仏世尊(ぶつせそん)」という言葉ならあります。
世尊は世の中で最も尊いという意味です仏教では釈迦牟尼、釈迦如来をさします。釈迦堂ということのようです。

善光寺世尊院釈迦堂
善光寺の大勧進には天台宗衆徒20院がありますが、その一つに世尊院があります。ここの世尊は釈迦ですので、本尊は国重要文化財でわが国唯一の等身大銅像といわれる鎌倉時代の釈迦涅槃像です。

17昨日の延命院から石段の参道が登ってきています
延命院のお堂なのかもしれません。

でももうここはもう通れないようです。

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境内もあれた感じ・・・

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そして・・・
首か落とされた仏たち・・・

廃仏毀釈の痕跡でしょうか・・・
ここは明治に廃寺になったのかなと・・・

石仏になんの罪もないのですが・・・

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こちらは片隅で難を逃れた聖観音・・・
良かったですね。

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「佐藤春夫と横根の里」の案内・・・

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佐藤春夫の旧跡が色々ありそうですが、ここは初めて訪れた村・・・
土地勘がなく、なかなか素敵な家並みだなと通り過ぎていきました。

[ 投稿者:オコジョ at 07:27 | 佐久市 | コメント(6) ]

この記事へのコメント
横根
こんばんは
諏訪神社は10月にお祭りをしたそうです。境内の舞台で青年会の方々が出し物をしたり、演芸の人を呼んだりして賑やかだったそうです。

養蚕をやっている家が多く群馬から指導やお手伝いの方々、行商の人が頻繁に来ていたそうです。
平根橋の上流の方に歩行者用だけの橋が架かっていたと思いますが、その橋を渡って細い道をずっと上っていくと皎月原に出ます。群馬から来る人は信越線で御代田まで来てバスに乗り、皎月原傍のバス停で降りてそこを通って来ていたそうです。(母親の話)
群馬県とは東信地方は本当に繋がりがありますよね。
投稿者: ハスカ at 2018-09-18 20:07:38
ハスカさんへ
こんばんは
昔の村祭りはどこでも賑やかで盛んでしたね。
今はひっそりと地元の氏子の役員だけという所が多くて寂しいですね。

岩村田の鼻顔稲荷神社も上州からの参拝者が多かったようですね。江戸時代には佐久から上州への物流の道の日影道が、この辺りを通っていたはずで、参拝客も通ったのかもしれませんね。

平根橋の上流の橋は地図では確認していましたが、皎月原側は行ってみませんでした。地図では皎月原には道がつながっていませんが、彫犀道が今でもあるのかもしれませんね。
平根は落ち着いた素敵な所でした。

ここは胡桃沢という名字が多いですね、
ここの胡桃沢という知人がもう年以上ご無沙汰で、元気でいるかなと・・・
投稿者: オコジョ at 2018-09-18 21:28:17
こんばんは
横根の里
ぽっかりと現れる里という感じですよね。
すずを連れて何回か行きました。
佐藤春夫の旧居跡は、公会場になっていたと思います。
胡桃沢さん、多いんですよね。
犬連れの怪しげなオバサンを、変な目で見ることも無く迎えてくれた集落でした。
投稿者: 万見仙千代 at 2018-09-19 20:11:44
万見仙千代さんへ
こんばんは
万見仙千代さんのブログで紹介していたのを記憶しています。
千曲川の岸辺ほかの集落から離れた山間という感じですね。
佐藤春夫の旧居跡は公海上ですか、諏訪神社の前に寄った公海上のところかもしれませんね。
下調べなしで行くので、わからないで帰ることが多くて困ります。
で゛も良い里ですね。
投稿者: オコジョ at 2018-09-19 20:27:03
無題
こんばんは
調べればすぐ分かる事なので余計な事かなとも思ったのですが、聴雪の家があったのは公会場の駐車場の隣、東側です。柵に囲まれている更地です。家を取り壊した時に碑は公会場の駐車場に移転されました。公会場はお寺の跡地だそうです。

山荘の見山居は高台に今もあると思います。

投稿者: ハスカ at 2018-09-24 19:37:35
ハスカさんへ
こんばんは
情報ありがとうござ゜いました。
余り調べないで行くために、こういう情報はありがたいです。
公会場はやはり寺跡ですね。
いつかまた行ってみたいと思います。
投稿者: オコジョ at 2018-09-24 21:53:40

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