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浅間山 (8月20日 浅間山 小諸市耳取地区より)
999 ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2018年09月17日
仙禄湖  佐藤春夫命名の池
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地図には平尾富士とある平尾山を背景に薄の似合う仙禄湖(せんろくこ)・・・

建設した岩村田土地改良区の計画書には「県営窪田頭温水溜池造成事業」とあります。つまり最初の名は「窪田頭温水溜池」・・・
仙禄湖は、昭和29年(1954)1ら1956年(昭和31年)にかけて作られた人造湖です。


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角度を変えるとコンクリートに縁取りの四角な池です。
池の中には信州の信越放送 (SBC) ラジオ放送中継局のアンテナ・・・

ここは佐久市岩村田の住吉町、上信越道の佐久インターに隣接しています。もっともインターがあとから引っ付いてきたのですが・・・

この池は浅間山麓の軽井沢を源とする千ヶ滝湯川用水(御影用水)が御影新田を潤す前の御代田町鰍沢で分水された岩村田用水の溜池です。ただ岩村田用水は一番熱い真夏でも水温は摂氏16度前後と低温で、農作物の生育には適しません。
このためここに水を蓄えて水温を高くして水田に送り出すための温水溜池でした。

ただこの辺りは浅間山なの火山灰で水はけ良く、池になりません。このため当時隣村だった旧浅科村の立浅科中学校のある場所から採掘したもので、かつて小高い丘状の畑であったにあった丘の畑の土を移して、池の底や土手に使って漏水防止を行って作り上げました。

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私の平凡な写真でも、は取り方によってイメージが変わりますね。
これならなんとなく普通の池のように見えなくもないかなと・・・
昭和30年代にはコイの養殖も行われたそうです。

「仙禄湖」という名前は「田園の憂鬱」という小説で知られる作家 佐藤春夫によるものです。仙禄湖は、浅間の麓、浅麓を変化させて名付けたそうです。
「仙」の字は近くを通っている中仙(山)道と、田に温水を送り石高(収穫量)を増す、つまり「禄」を増すことだそうです。

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湖畔はススキの道でした。

佐藤春夫は谷崎潤一郎から奥さんを譲られたことで知られていますが、古い話ですね。

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桜の葉が須賀枯死色付いていました。
私の若いころはこんな詩がよく知られていました。

    秋刀魚の歌   佐藤春夫

あはれ
秋風よ
情〔こころ〕あらば伝へてよ
--男ありて
今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり
さんまを食〔くら〕ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみてなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は
小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。(以下略)  


この詩も忘れ去られているようです。

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われもこうも秋の寂しさ・・・

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湖畔の佐藤春夫の詩碑・・・

げに仙禄のめでたさは
朝浅間の水かがみ
夕風にほふさざなみに
彩雲浮かぶ5千坪 


なんとなく御当地ソング風です。

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この日は佐久平に所用があったのですが、その前の寄り道です。
まだ時間がありますので、「仙禄湖」の「仙」の由来となった中山道を渡り、佐藤春夫が愛した横根に向います。

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中山道鵜縄沢(うなわざわ)一里塚・・・

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荒田地区を通り抜けて、正面の平尾山の麓を目指します。

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軽井沢の名所の白糸の滝の滝も流れてくる湯川を渡ります。

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この橋を渡ると横根集落になります。

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湯川の上流側・・・

仙禄湖の水もこの湯川の上流から分水しています。
この辺りの農家にとっては命の川といえます。

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横根の村に入っていきます。佐藤春夫の愛した素敵な村です。

佐藤春夫は昭和20年から平根村(現、佐久市)横根に疎開し、佐久を愛し、足掛け5年を過ごした『佐久の草笛』など3冊もの詩集を残しています。

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村の入口に双体道祖神が2つで村を守っています。
ひとつは古く、一つは新しいですね。

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こうなっては、どんな御夫婦だったか想像も難しいですね。
永年ご苦労様でしたと手を合わせました。

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道祖神の脇の石段は寺の感じなので登ってみましたが・・・
広場と横根区公会場(右の建物)・・・

昔、お寺だった感じで公会場、明治の廃仏毀釈で廃寺になったのかと・・・

帰ってから調べてみると、左の赤い建物が延命院という真言宗智山派の寺だそうです。
明治6年(1873)には敬楽学校となっています。現在の平根小学校の前身の一つだそうです。

[ 投稿者:オコジョ at 12:20 | 佐久市 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
無題
こんばんは
佐藤春夫氏は母校の浅間中の校歌を作詞されています。確か小海高校の校歌の作詞もされていると思うのですが。

仙禄湖も命名された頃は人が出かけたそうです。
アイスキャンディーとか売りに来たりしたそうです。
ラジオのアンテナもなかったし道路も違っていたそうです(親の話)

佐藤春夫夫人は毎週のように風呂敷包みを持って歩いて岩村田郵便局に来ていたのをよく見たと親が言っていました。写真の平根橋を渡って湯川沿いに歩いてきたそうです。谷崎潤一郎のドラマで佐藤春夫夫人役の女優さんをみて「違う、もっと優しい感じの人だった」とも言っていました。母方の祖母の親戚が横根にいたので母は子供の頃横根によく出かけて、佐藤春夫夫人に親戚の子とツクシを採って持っていったらとても喜んでくれたとか、佐藤春夫は子供にやさしかったとか言っていました。

私も小学校の野外活動で横根まで来たことがあります。まだその頃は聴雪の家はありました。引っ越されて無人になってから勝手に入ろうとする人がいて、扉を強引に開けようとしたり、中の写真を撮ろうとしたらしくガラスを割られたりなどあったりした為、取り壊してしまったそうですね。
投稿者: ハスカ at 2018-09-17 19:37:17
ハスカさんへ
こんばんは
浅間中は私の妻の母校なのですが、知りませんでした。興味がないとそんなものかもしれません。

仙禄湖は佐久に住んでいたころ(会社の独身寮ですが・・・)に(もう45年以上前ですが)でです。いい時代もあったということですね。

谷崎潤一郎と佐藤春夫の話は有名ですね。谷崎潤一郎は三度結婚していますね。
それに対して『秋刀魚の歌』は千代子夫人に寄せる恋歌という意味もあったとか・・・
子供が好きだったのですね。純情だったのかもしれませんね。もっとも、自分の考えを曲げない人だったようですが・・・
人はそれぞれですね。
平根橋を渡って湯川沿いに・・・
なんとなく情景が浮かんできそうです。

聴雪の家はもうないのですね。情報ありがとうございました。
投稿者: オコジョ at 2018-09-17 21:13:35

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