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浅間山 (6月30日 浅間山 小諸市丸山地区より)
P1430797 ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2018年06月09日
浅間山麓 菱野1  山の里の山城
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浅間山麓の集落の菱野にある菱形城からの浅間山・・・
菱野は我が家から標高で200m位高い所の集落です・

浅間山が外輪山の影に隠れて控え目・・・
近づくと良くなるというものではないですね。
でも、この浅間が悪いということでなく、これも浅間山の一つの姿です。


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菱野地区の入口あたり・・・

上信越道の下あたり・・・・
段々畑と棚田・・・

一番上はブロッコリー、そして、田植えの終わった田・・・
まだ終わっていない田もあるようですか・・・

3
角度を変えてもう一枚・・・

この時の目的はとくになく・・・
風の向くまま気の向くまま・・・
風は吹いていませんでしたがね。

後は富士見城のあった飯綱山・・・
昔は富士見城なんて素敵な名前ではなかったでしょうね。

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どこまでも、登っていく感じです。

菱野地区の歴史は古く鎌倉時代末期の嘉暦(かりゃく)4年(1329)の諏訪大社上社の造営帖に小諸の菱野と松井の名があります。
菱野の地頭は玉垣2間の造営をしたそうです。
地頭は平安時代の荘園の管理をした役職で、鎌倉時代になると幕府の配下の武士が地頭となりました。小諸や、望月の地頭は2間の造営と在りますので、菱野地頭は、この地方で大きな勢力を持っていた証のようです。

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なるべく車の通らない三登を行きます。道脇は棚田です。
こもろの浅間山麓の田圃はみんな棚田ですが・・・

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町から何となく登って来た。菱野集落の西久保小さちく・・・
なかなかに素敵な街並み登って行きます。

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途中から、尾根を越えて隣の集落へ・・・

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棚田の向こうの丘・・・

実際には尾根の末端です。この上の小字は中尾根というそうです。
ここには昔、菱形城という中世の山城があったそうです。

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ここが城の入口・・・
ここは下村集会場という地域の集会場・・・

ご婦人がシニアカーで下っているのはもしかすると堀切のあとかなと・・・
思うだけで何の根拠もないので違うかな・・・

集会場の前の細い道を菱形城に入っていきます。

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入ってすぐ新海三社神社があります。

新海三社神社佐久市田口にある佐久の一ノ宮で重要文化財の三重塔があることで知られています。

新海三社神社は、佐久地方開拓の祖神「興波岐命」を主命とし、その父神の「建御名方命」と伯父神「事代主命」の三つの神を祀ることから、新海三社神社です。あとから源頼朝が源氏の祖神誉田別命(八幡神)が加えさせていますが・・・

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佐久の新海三社神社のある宮代集落は父が生まれた土地で、父はその林の中の墓地に眠っています。私の祖先は明治まで、その神職を務めていたそうです。

ここは佐久の新海三社神社の分社かと思いましたが、佐久の新海三社神社の神紋は「梶の葉」なのですが。ここの石祠には沢瀉(オモダカ)の紋でした。
拝殿新築の棟札を見ると、この地区の一族の先祖神を祀り、一緒に新海三社の神を勧請して一緒に祀っているようです。

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ここは尾根が細くなっているので、堀切が有ったのかも・・・
でも、ここは戦国時代が終ってから、貴重な農地として畑にするために平らにならしてしまったようです。

私には、周囲を崖で囲まれているという以外、城らしさをほとんど感じませんでした。

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菱形城は昭和54年に発掘調査が行われています。その調査では石臼、古銭、鉄製品などが発掘されも時代的には南北朝時代のものだそうです。戦国時代の物は見つからなかったようですので、戦国時代には忘れられていたのかもしれません。

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ここは前はゲートボール場です。
今はソーラーパネルの太陽光発電ですね。

浅間山麓は日本有数の日照時間の多い地域で太陽光発電にはむいているといえます。
最近、高峰高原へのチェリーパークぞいに数百メートルに渡り、数10ヘクタールと思われる伐採が行われています。太陽光発電のメガソーラーなる可能性も・・・

自然エネルギーの活用は大切なことですが、樹林の伐採による自然破壊や老朽化による放置の土壌汚染が心配です。又浅間山麓がみんなソーラーパネルになったら・・・
節度をもって景観を守ってほしいなと・・・

P25歳
道をたどると浅間サンラインという広域農道に架かる橋があります。
橋の名は「菱形城橋」・・・

菱形城の名を伝えている唯一のものと言えそうです。

ここで城は分断されています。橋を渡っても城は続きますが、これ以上紹介するものはないようです。

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菱形城橋からの浅間サンライン・・・

この近くの菱野温泉の雲之助城や高津屋城を紹介した時に城主は雲之助という話をしました。ここも雲之介の城だったと言われます。

長野県町村誌の小諸町に「往古何某雲之助と云ふ士居住せしよし傳ふ。」とあるのですが、「何某」ではどこの馬の骨か判りません。伝説の城主といっていいのかもしれませんね。よくわからない城はみんな雲の助の城としたようです。

歴史的に見ると、小諸の豪族の大室氏関係の城という可能性が大きいようです。
であろうということ意外私は知りません。
小諸だけでも20を越える山城跡がありますので・・・

[ 投稿者:オコジョ at 07:52 | 小諸 風景 自然 | コメント(0) ]

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