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浅間山 (6月3日 浅間山外輪山黒斑山より)
P1360610 ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2018年06月05日
矢ヶ崎山 入山峠から碓氷峠1 入山峠へ
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国道18号碓氷バイパスの入山峠からの浅間山・・・

少し霞気味でした。

前日、軽井沢の離山に登ろうかと思っていたのですが。何度も登っているので新鮮味がないなと、同じ軽井沢の矢ヶ崎山に登ることにしました。矢ヶ崎山は国道18号の本道、今は碓氷峠旧道といっていますが、その碓氷峠から何度か登っていますが、入山峠からは50年くらい前に一度登っただけなので、こちらから登ってみようかと・・・


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軽井沢プリンスショッピングプラザからの矢ヶ崎山・・・

写真の右側に国道18号碓氷峠があり、右側に国道18号碓氷バイパスの入山峠があります。今回は左から右へと歩きました。

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軽井沢プリンスショッピングプラザを通り抜けます。
車の道より、雰囲気があります。まだ、開店前で、人も疎らですし・・・
からの矢ヶ崎山・・・

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軽井沢プリンスホテルを通り抜け・・・
山らしくならないですね。

駅からハイキングですから色々なところを通ります。

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国道18号碓氷バイパスへのプリンス道路・・・


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車を避けて、軽井沢プリンスホテルゴルフコースの中の道を行きます。といっても一般道ですが・・・

この後はプリンスばかりです。もちろん私はロートルですが・・・
ロートルと書くと英語みたいですが。漢字で書くと「老頭児」・・・
これは中国語で年寄り・老人だそうです。日本では。年を取って使い物にならない年寄という感じがありますが、中国では老人にたいして親しみを込めて呼ぶ場合に使うそうです。
私はどちらかなと・・・
いずれにしてもロートルの山登り、「年寄の冷や水」などと言われないように、気を付けて山を歩いて来ようと思います。

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国道18号碓氷バイパスの下をくぐります。
バイパスは人の歩く道ではないので、バイパスに沿った旧道を登ります。

9-500
ここからバイパスを500m峠に向かったところで2年前の平成28年(2016) 1月、群馬県から長野県へ向かう国道18号バイパスの入山峠から下り始めたスキーバスは緩やかな下り坂を走行中して900m下ったところで、左側のガードレールにぶつかり後、対向車線に飛び出して、約100メートル先のガードレールにぶつかった後、道路右側に転落、3メートル下の斜面に横倒しになり、フロントガラスは割れ、天井部分たいはするなどぜんたいが破損し、立木に衝突したことで大破しました。そして乗客・乗員15人が無くなるという悲惨な事後の現場となります。

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南沢の集落を通ります。

南沢は今では殆ど別荘になっていますが。この辺りは昔からの民家があります。

スキーバス事故の起きた当時、道路の凍結はなく、道も混んでいなかったようです。事故発生現場にはタイヤの跡が1本しか残っておらず、下り坂でスピードが出過ぎて、カーブで急ハンドルを切ったために、片輪走行状態となり、コントロール不能となったようです。原因は完全には解明されていませんが、操作ミスでブレーキが効かなくなっていたようです。とすると6キロ以上下り道の続く上信越道でなくて良かったなという気がしないでもありません。もう一つカーブを曲がれば緊急避難所もあり、平らな道だったのにと・・・

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入山峠への道は立入禁止・・・
ここまで来てという感じですね。こっそりと通らせていただきました。

帰って地図をよく見ると南側の沢沿いの送電線に沿った道がありました。そちらがむかしの峠道に近いのかなと・・・

何時か通ってみたいなと思っています。

12あと400-600
こんな道です。
この左側辺りが、スキーバスの事故現場近くです。

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碓氷バイパスに沿って登るようになります。緩やかな道ですよね。

この日、妻はウォーキングの仲間と旧信越本線のアプトの道のウォーキングで、この道を路線バスで横川を往復しました。
「とこで事故が起きたか注意して見ていたが判らなかった、事故が起こりそうな道ではない」と言っていました。

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碓氷バイパスの上を橋で渡ります。

碓氷バイパスを管理する高崎河川国道事務所の副所長の言葉として「群馬側はカーブがきつく、事故が多発しているが、現場では大きな事故が起きた記憶はない。ただ、群馬側から行くと、急カーブが終わり、頂上を越えた下り坂のため、スピードは出やすいのではないか」と述べています。

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浅間山に向かってバイパスは軽井沢をめざします。

事故現場はみえているカーブかをまがって500mほど・・・

ここを歩いた翌日の5月27日にスキーツアーバス事故の遺族でつくる「1・15サクラソウの会」は、慰霊や交通安全の願いを込めて現場「祈りの碑」の建立し、の除幕式を行ったそうです。遺族や関係者ら約60人が全員で黙祷をささげ献花し、事故の風化防止や交通安全を祈ったとニュースされていました。

ご冥福をお祈りします。

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群馬県側・・・

軽井沢と峠の標高差は約90m、横川とは約650m・・・
群馬側から急な峠道を登ると、反対の佐久側は緩やかな高原・・・
峠は片側だけで反対側は峠でないということからこういう峠を片峠と言います。
上州から佐久へ越える峠はほとんど片峠といていいです。

を片側で、反対側は平らで峠らしくないからです。

碓氷バイパスでは2000年以降、少なくとも約10件の死亡事故が発生しているようですが、このスキーバスの事故を除くとすべて上州側・・・

この先は急傾斜の急カーブの連続となります。スキーバスは佐生の道を越えてきたのに・・・

新聞やテレビのニュースでは、とんでもない悪路を選んで事故を起こしたように報道されていましたか、事故を起こしたあたりはむしろいい道に当たります。むしろ、スキーバスが、向かった斑尾スキー場への道の方が雪道で、細く急です。スキー場への道の方が危険です。

この道は上信越道ができる前は上州から佐久へ越える一番安全な道でした。今で上信越道に次ぐいい道で、ひっきりなしに車が行きかっていました。

私も今年になって、定期バスで5回越えています。

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昔の入山峠の頂上へ・・・

入山峠は、信州から上州へ越える峠です。入山峠の名前は上州の昔の入山村に越える峠という実用性から生まれています。信州側からの名前だと思います。峠の向こうは別な名前があったようです。

日本武尊(ヤマトタケル)が妻の弟橘媛をしのんで「吾妻はや」といった碓氷坂(碓日坂)はここの可能性があります。もっとも、駿河と相模国境の足柄坂という説もあることもありますが・・・
もっとも日本武尊、そのものが伝説上の人物なのでお話の上の話ですが・・・

東山道が入山峠を越えたというのは、長い間の仮説でした。しかし、ここに入山峠に1969年の氷バイパスが開通に先立ち発掘調査が行われました。
そして、管玉、勾玉、水晶製棗(なつめ)玉、ガラス玉、臼玉、有孔円板、剣形模造品、刀子形模造品、弥生土器、土師器などが見つかっています。このことから、入山峠は古代の碓氷坂の可能性が究めて高くなりました。

大和朝廷のもととなったヤマト王権の確立は4世紀はじめとされていますが、この頃は日本全国を統治したわけではなく、岡山県、東は濃尾平野までといわれます。
そして、出雲の国譲りなどの伝説にあるように、武力で東西に勢力を伸ばします。4世紀半ばには山口、信州と広げ、そして、関東、東北、九州へと勢力を広げます。そうした家庭が、美化され、一人の英雄の話として、日本武尊の熊襲退治や東国平定の伝説となっています。そして、残ったのが、東国、ヤマト王権の日本統一の道が東山道で、日本武尊のようにこの峠を兵たちが越えたようです。

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南沢から歩いて15分くらいで標高1,038メートルの入山峠頂上・・・

馬頭観音石碑がひとつ・・・

入山峠を越える東山道は五畿七道の一つ、古代の官道でした。東山道は庶民の旅や荷駄の道というよりも、近江・美濃・信濃・上野・下野・陸奥の国府を通る政治の道でした。

江戸時代に中山道が天下の公道となったあとも、入山峠越えの道は健在でした。
中山道の碓氷峠はここより標高が150メー散る高く、険しく敵の侵入を防ぐには幕府にとっては好都合でしたが、重い荷物を馬で運ぶには不都合な道でした。

こちらは、標高差も少なく道も緩やかで通行が容易で入山道と呼ばれる道となりました。
荷は宿場から宿場へと荷物を繋ぐ中馬という制度かあり、宿場町で馬を替えなければならず、その度に荷物の積み替えをして、手数料を取られました。この道を使えば沓掛、軽井沢、坂本宿での宿継を省け、経費も削減できました。

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文化15年(1818の馬頭観音碑です。

ここでは「人馬災難除」「天下泰平国土安全」「南無大慈大悲観世音」の文字が刻まれています。「南無大慈大悲観世音」は「南無大慈大悲観世音菩薩 種種重罪 五逆消滅 自他平等 即身成仏」というお経の一部です。

馬頭観音碑には愛馬の追悼のものもありますが、ここは旅の安全を祈願した観音碑です。
この峠を馬の背に米をつけて峠越えした人々の道中無事を祈る願いが込められているようです。
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石畳みの峠道・・・

入山道は、荷物を運ぶのは江戸幕府により、碓氷の関所の関係もあり上州の甘楽郡の入山村・恩賀村にのみ通行を認めました。物資輸送の公な道ではなかったのですが、江戸幕府による信州米買上げなどにより、信州藩の米の輸送には使われたようです。

面白くないのは中山道の沓掛・軽井沢・坂本の宿場で文政6年(1823)には入山村で通行料をとり、自分たちの収入が減ると訴えがあり通行禁止になります。これに対して入山道の住民が反発、なんとか妥協しますが、紛争は続き、文政10年(1827)に生産地から沢山の米を輸送する廻米に限り許可されました。その後も通行禁止など、道をめぐる紛争は耐えなかったようです。この峠はそんな歴史を秘めています。

[ 投稿者:オコジョ at 15:58 | 山  佐久・八ヶ岳 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんばんは
老頭児
これがロートル!
知りませんでした。英語だとばかり思ってたし。
今ではあまり使う言葉ではないですね。
入山峠
本で、最初の上州から信州への峠だと読んで、どこなんだろうと思っていました。
軽井沢ショッピングプラザから行けるんですね。

あの悲惨な事故は、この辺りなんですか。
確かに上州側の峠道はキツクて、信州側はなだらかな道が多いですね。
どの峠もあんまりキツクて、自分で運転する気にならないんですよ。
上州側に行きたい所はいっぱいあるんですけどね。

投稿者: 万見仙千代 at 2018-06-08 20:00:20
万見仙千代さんへ
こんにちは
ロートルはスポーツ界では使うようですが、一般的には使われなくなりましたね。
若い人には通用しないかもしれませんね。
入山峠 という言葉はあまり使われませんね。
軽井沢バイパスの方が通りがいいですね。
浅間山から野辺山までの信州から上州や秩父へ越える峠で高速を除くと一番いい道です。
他は何処も難路ですね。
スキーバスの事故のあたりは軽井沢側から峠に登る最初のかーふへらしいカーブです。
なんでこんなところでという感じの場所です。小海から松原湖の道の方がよぼど険しいです。
投稿者: オコジョ at 2018-06-09 13:53:29

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