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浅間山 (6月3日 浅間山外輪山黒斑山より)
P1360610 ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2018年06月03日
名山と名湯と・榛名と伊香保9 水沢観音と水沢うどん
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榛名山の一峰の水沢山(みずさわやま1194m)、地図には浅間山(水沢山)とありますが、地元でも水沢山と呼ぶのが一般的です。浅間山は「あさまやま」ではなく、「せんげんやま」です。富士山の神の木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)を祀る山のようです。
富士山の神が木花開耶姫として一般化したのは江戸時代のようです。富士山麓には富士山の噴火を鎮める浅間神社がありますが、そこでは富士山を神格化した浅間大神を祀って創建されています。

この山富士山に似ているようですね。

伊香保という地名は神が「怒る山」という説があると山を歩いた時に前に紹介しました。伊香保神社はその「怒る山の神」の「いかつほの神」を祀る山岳信仰の神社であったようです。
榛名山も含むこの地方を古くは「いかほ」と呼んだようです。
「いかつほ」は「厳つ峰」(いかつほ)とか「雷の峰」(いかつちのほ)で、榛名山と言われますが、伊香保神社が伊香保の温泉街に移る前に鎮座した。水沢山を指す古名だったと言われます。


2
坂東三十三観音霊場の第十六番札所 五徳山水澤寺(みずさわでら)・・・

水澤観世音として親しまれている古刹です。

バス停の関係で寺の横手からはいりました。すぐ釈迦堂があり、特別無料拝観中ということもあり、金色の江戸時代の釈迦三尊像をはじめ古いものでは鎌倉時代の二十八部衆像・十一面観世音菩薩像などの素敵な仏様にであえました。

渋川市指定重要文化財に指定されている江戸時代の円空仏の優しそうな阿弥陀如来坐像が印象に残りました。

残念ながら、撮影できませんでした。

この鐘楼の梵鐘は誰でも撞いて言いそうです。ただし、一回100円だそうです。
 
3
六角堂二重塔・・・
「この六角堂二重塔は、地蔵堂、六角堂とも呼ばれ、六地蔵を六角輪転の台座に安置し、二層に大日如来を安置した独特の形式である。下層の1辺は2727メートル(9尺)、上層の1辺は1364メートル(4.5尺)と半減しており、上層柱間が下層柱間の2分の1となる多宝塔の木割に似ており、相輪も多宝塔形式に類似している。また、回転部分は経堂内の内の輪蔵の形式を用い、意匠全体は禅宗洋式に統一するという優れた構造になっている。(後略)」(案内板より)   

善光寺の経堂にも輪蔵があり、中には仏教経典を網羅した『一切経』が収められ、輪蔵に付いている腕木を押し回すと『一切経』を全て読んだことになるのですが、こちら内部に回転する六地蔵尊を安置されています。
こちらは「台座を左に真心を込めて静かに3回廻すとお願い事が叶う」とありました。
特に願い事はしませんでしたが、三回廻してお参りしてきました。

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天台宗 水澤寺本堂の観音堂・・・
江戸時代 天明七年(1787)の建物です。

水澤寺の創建は推古天皇の時代(592〜628年)、上野国司の高光中将が高麗の高僧の恵潅僧正を招いて開山して菩提寺したと伝えられています。

榛名湖のアップで伝説としてその美しさに嫉妬した継母の手により命を狙われますが、逃れて高光中将と結婚しますが。後任の国司が伊香保姫に横恋慕し、高光中将は殺され、夫の後を追って榛名湖(伊香保沼)に入水しますが、榛名湖の神によって旱魃の時に農民の願いをききとどける龍神の伊香保大明神となったと伝わっています。

この話には別の話があり、そちらでは千手観音の御加護では継母の手からのがれ、高光中将と結婚します。高光中将は継母と、姫を殺そうとしたものを処刑して、伊香保姫を救った姫の持仏である千手観音像を本尊として水澤寺を開いたと伝えられています。
そして伊香保姫は水澤寺に眠っているそうです。

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言い伝えでは持統天皇の時代(690〜697)、国司の柏階知隆の狩で追われた水澤寺本堂に逃げ込んだ鹿を取り囲み射殺しました。これに反発した水澤寺の門戸達は鹿を手厚く葬り国司を境内から追い出しました。しかし怒った国司は兵を引き連れ水澤寺を焼き討ちしたと伝えられています。御堂30余棟、坊舎300余棟、仏像180余体が焼失したと伝えられますから大きな寺だったようです。

7(1) 7 (2)その後、行基菩薩の弟子の東円より再興され寺運も隆盛します、永正8年(1511)、大永2年(1524)の火災で多くの堂宇が焼失しているようです。江戸時代に入ると幕府から庇護され朱印状を賜り、伊香保温泉の湯治客や札所巡りなどの参拝者も多く現在に至っているようです。

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水澤寺観音杉・・・
樹齢が推定約700年<目通り周囲5.14メートル、高さ38メートルの巨木・・・

寺の歴史を伝えているようです。

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飯縄大権現への石段・・・
ここも急でした。今回は階段ばかりのたびのようでした。

ここは水沢山の登山道でもあるそうです。

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飯縄大権現・・・

信州の飯縄山の神です。

最近、飯縄権現や飯縄天狗のことをなんどもかいていますので。説明はなしとします。

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仁王門へ下ります。ここも階段・・・
ここが最後です。駅の階段を除けば・・・

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仁王門・・・
天台宗 水澤寺本堂の観音堂・・・

この門は本堂と同じく江戸時代 天明七年(1787)の建物だそうです。

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仁王様もいましたが、風神と雷神・・・

こういうのいいなと・・・
雷神は細いですね。でもお腹は出ているなとおかしなところを見ていました。

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下層階天井の狩野派の絵師「上野法眼」の称号を持つ狩野探雲の龍・・・

この辺りで、雨が降ってきました。龍が降らせたかなと・・・

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「水沢うどん」は有名ですね。地元では稲庭うどん・讃岐うどんとともに「日本三大うどん」の一つとうたっています。

江戸時代から水沢うどんは、水澤寺で参拝客向けに提供されたことが始まりといわれます。上州は人口の割にコメの生産量が少なく、江戸時代には信州から米を供給していました。ただ二毛作が盛んで、小麦の生産量が多くうどん文化圏で、おっきりこみうどんはそのことを示しているようです。

もっとも信州もそばを食べていたかというと、江戸時代には蕎麦はうどんを食べる時に、小麦が足りないから蕎麦で水増しする感じがあったようです。主食としての話ですが・・・
二八蕎麦というのは蕎麦2で。小麦8だったという説もあります。

私の子供のころ、主婦はうどんを打てるのは当たり前でした。蕎麦を打てる人はわたしのまわりにはいませんでした。子供のころそばを食べた記憶はありません。「おほうと」と呼ぶうどん、山梨と同じです。そうそう、蕎麦掻きは別ですけど・・・

このうどん屋さん創業天正10年(1582 )・・・
「本能寺の変」の年、本当かな・・・

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入ったのは11時ころで、席を取れましたが。すぐ満席で帰る頃は順番待ちの人が何人も舞っていました。うどん屋さんたくさんあるのですが、水沢うどんは人気のようですね

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私の注文した「おろし六味うどん」・・・
宿で食べ過ぎですので、これで充分です。

「水沢うどん」は「日本三大うどん」と書きましたが、「三大うどん」には諸説あるようです。もっとも、こうしたことはうどんに限りませんが・・・

香川県の「讃岐うどん」、秋田県の「稲庭うどん」は定位置のようですが、あと一つは「水沢うどん」のほかにも、長崎県の「五島うどん」、富山県の「氷見(ひみ)うどん」、愛知県の「きしめん」が名乗りを上げているようです。

でもうどんといってもいろいろですよね。太さも讃岐が標準的とすると水沢は太く、稲庭は細め、讃岐と水沢は生麺、稲庭と五島は乾麺、五島は椿油を使っていて独特・・・・

最後は個人になるのかなと・・・

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妻は「煮旨麺・源」・・・

温うどんにかき揚付という感じでしょうか・・・

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別の老舗・・・

「静逸 水沢 夢の里」・・・

岡本太郎の碑がありました。
岡本太郎も水沢うどんを愛したようです。そして伊香保も愛したのでしょうね。

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雨が降ったりやんだり・・・

水沢山を眺めながら高崎雪のバスを待ちました。

これで榛名伊香保の旅は終りです。

[ 投稿者:オコジョ at 08:51 | 旅 (地域外) | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんばんは
水沢うどん
食べました食べました。
美味しかったです。
あそこを通るまで、うどんがそんなに有名だとは知らなかった気がします。
お店が何軒もありますよね。
おろし六味うどんも、煮旨麺、も美味しそう。
煮旨麺の上に乗っている太いのは何でしょうか。
投稿者: 万見仙千代 at 2018-06-04 20:37:27
万見仙千代さんへ
こんばんは
個人的に、うどんと蕎麦のどちらが好きかといわれると、即時にウドンと答えます。
煮込んだ手打ちの母の作ったホウトウが私の麺のすべてのような・・・
蕎麦の記憶は成人するまで、蕎麦が気しか知奥が無いのです。
信州は本当はうどん文化なのではないでしょうか、独活が取れないところは火仕方なしに蕎麦・・・
それも蕎麦掻きだったようです。そのせいか最近の、細く切れる技術をみせびらかすような素麺のような細く切った蕎麦には抵抗があります。
の午後氏というのは、蕎麦の存在感を感じさせる適度な太さが必要だと・・・
もっとも現代ではそうしたそばは、粗削りなのかも・・・
この辺は好みで、人それぞれに好きなそばを食べればいいので、47手とやかく言うことではないですね。
うどんの話ですね。ここは美味しかったですか。ただの素うどんですか・・・
ウドンそのものの勝負でした。
煮旨麺は妻の注文、少し貰いましたが、
の上に乗っている太、乗っている最乗は食べなかったような気がしますが・・・
油揚げでしょうね。
私の作るうどんの定番ですので・・・
投稿者: オコジョ at 2018-06-04 21:23:54

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