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浅間山 (6月30日 浅間山 小諸市丸山地区より)
P1430797 ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2018年06月01日
名山と名湯と・榛名と伊香保8 石段街(続) 文人たちの登った坂道
1
124段登りました。まだ1/3ですがなんとなく山の上にきたような・・・


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そして166段・・・
半分まであと少し・・・

右の宿は「千明仁泉亭(ちぎらじんせんてい)」・・・

橋を渡るとここはだそうです。
河鹿橋を渡った時に千明元屋敷跡の石垣がありましたが、その子孫が経営している老舗旅館です。

 上州伊香保千明の三階の障開きて、夕景色を婦人。年は十八九。品よき丸げに結いて、草色の紐つけし小紋縮緬の被布を着たり。
 色白の細面、眉の間ややせまりて、頬のあたりの肉寒げなるが、疵といわば疵なれど、瘠形のすらりとしおらしき人品。


ここは伊香保を舞台とした小説「不如帰」の冒頭です。この後悲劇となっていくのですが・・・
上州伊香保千明とあるのが千明仁泉亭です。この小説を書いた明治の文豪、徳冨蘆花が常宿とした宿です。

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千明仁泉亭の神社側から石段を見上げます。

  伊香保山雨に千明の傘さして 行けども時の帰るものかは

こちらは与謝野晶子の歌です。伊香保に訪れたときに、雨が降り出したので「千明仁泉亭」の傘を借りて、物聞橋のあたりまで歩いたそうです。
こうした石段を傘を差して登っていったようです。

文豪たちに愛された宿でした。

今回、この宿を取ろうかとおもったのですが。妻が大きな風呂のある宿の方がいいということで取りませんでした。昔のままではないですし、黄金の湯であれば特にこだわりませんでした。

追記 2018年6月6日
この時から一月たたない6月5日に千明仁泉亭で火災が発生、石段に面した建物で大変だったと思います。
素敵な建物がなくなったようです。怪我をした人は無いとのことで不幸中の幸いでいた。けがをした

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小間口・・・

昨日、覚度に温泉の供給を分配している小間口を説明しましたが、ここが小間口です。

この石段は宿への道であり、神社の参道でもあるのですが。石段の下を流れる黄金の湯の通り道でもあります。石段の下には源泉が通る樋によりこう小間口で宿に湯をわけています。

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石段街には四ヶ所全部で四つの小間口があり、なかを黄金の湯が中を流れていました。

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石段の途中にポケットパークがあります。
この辺りが200段あたりです。

よく見ると石段に文字がきざまれていますね。
クローズアップしてみます。

7A

      伊香保の街   与謝野晶子
   榛名山の一角に、段また段をなして 
   羅馬時代の野外劇場の如く 
   斜めに刻み附けられた、桟敷形の伊香保の街、
 (ここが200段目)
   屋根の上に屋根、部屋の上に部屋、
   すべてが温泉宿である。そして榛の若葉の光が、
   柔かい緑で、街全體を濡してゐる。
   街を縦に貫く本道は、 雑多の店に縁どられて、
   長い長い石の階段を作り、伊香保神社の前にまで、
   Hの字を無数に積み上げて、
   殊更に建築家と絵師とを喜ばせる


また与謝野晶子ですね。「伊香保の街」という子の温泉街の様子を描いた詩です。

数多くの作家、文豪、各界著名人が、伊香保を訪れ、この石段を散歩しました。
谷崎潤一郎、田山花袋、竹久夢二、島崎藤村、若山牧水、林芙美子、萩原朔太郎、横山利一、新渡戸稲造・・・
私の泊った宿も詩人・野口雨情の定宿でしたね。

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足湯「岸権 辰の湯」・・・

石段登りに疲れたら、一休みするにはいいですね。

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石段も狭くなって、大詰め近しという感じです。

10
大分上に来ました。

皆、文句を言うこともなく、元気に登っていました。

伊香保といえば、この石段、登るのが楽しみですね。色々な店もあって、のんびり休みながら登ればそれほどのことはないのかもしれません。・・・

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干支の卯・・・

石段街には江戸時代に大家と呼ばれた12の宿があり、干支は家紋のような印の意味合いを持っていたそうです。石段に記された干支の場所にはその干支を印にした宿の有ったところだそうです。

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伊香保神社の鳥居が見えてきました。間もなく、石段365段も終わります。

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明治44年(1911)の伊香保の全景の絵がありました。

萩原朔太郎の文が添えられていました。

>伊香保の特色は、だれも感ずる如く、その石段あがりの市街にある。実際伊香保の町は、全部石垣で出来て居ると言つても好い。その石段の両側には、土産物の寄木細工を売る店や、かういふ町に適当な小綺麗の小間物屋や、舶来煙草を飾つた店や、中庭に廻廊のある二層三層の温泉旅館が、軒と軒とを重ね合せて、ごてごてと不規則に並んで居る。そしてその石段道の一方からは、絶えず温泉くさい湯気が朦々と立ち登つて、如何にも温泉場らしい特異の感じがする。 

萩原朔太郎は群馬県の前橋出身の詩人です。この文は大正8年(1919) 発行の 『伊香保みやげ』 という随筆集にある『石段上りの街』の一節です。

21
石段の紹介はここまでですが、あと何枚か・・・

朝の散歩・・・
バス停への道を確認に行ったのですが、その時下った坂・・・

辨天坂というそうです。石段同様急でしたね。
伊香保は、小諸よりすごい坂の町だなと・・・

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坂の下の辨天を祀ったお堂・・・

石段街はこの緑の遥か上です。

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バス停近くの「徳富蘆花文学記念館」・・・

25
宿の近くのお饅頭屋さん・・・

温泉饅頭はほとんど全国の温泉場でお目にかかりますが、温泉饅頭は伊香保温泉から生まれたそうです。
創業明治43年の勝月堂か「湯乃花まんじゅう」が発祥だそうです。伊香保には御用邸もあり、「湯乃花まんじゅう」が天皇家への献上品に選ばれたのがきっかけで全国に知れ渡るようになったのだそうです。

温泉饅頭の茶色は黄金の湯のイメージだそうです。

伊香保では、温泉饅頭でなく「湯乃花まんじゅう」だそうです。
裏通りのこの店、妻が入っていって2つ買ってきました。美味しかったです。

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まだ10時くらいですが、午後から雨の予報、バスで伊香保をあとにします。
もう一カ所寄りますが・・・

[ 投稿者:オコジョ at 16:13 | 旅 (地域外) | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんばんは
伊香保温泉
黄金の湯は少ないと聞きましたが、引湯できるお宿は決まっているんでしょうね。
大昔に泊まった宿は、引いていなかったかも。
あの当時は、黄金の湯なんて話も全然知りませんでしたしね。
お饅頭も伊香保が発祥地なんですか。
勝月堂さんは今でも営業してるんですね。
あの階段、今は上るのに大変だろうな。
投稿者: 万見仙千代 at 2018-06-01 20:42:34
万見仙千代さんへ
こんばんは
昔は白銀の湯はなかったですから、黄金の湯なんていう言葉もなかったかもしれませんね。
伊香保温泉の黄金の湯は直接引いているのは8軒のようですね。
ただ、旅館組合の取り分があって、それをわけているようで、黄金の湯のある宿はもっと多いようです。ただ、掛け流しとはいかないようです。加水、加熱、循環となる場合が多いようです、
お饅頭も伊香保は私もはじめてしりました。
勝月堂さんは今でも石段の一番上で、歴史を守っています。
投稿者: オコジョ at 2018-06-01 21:24:18

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