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浅間山 (6月30日 浅間山 小諸市丸山地区より)
P1430797 ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2018年05月19日
北国街道上田宿   踏入 常田 横町 海野町
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昨日の続きです。
上田駅への国道を横切り踏入地区に入ります。
東信濃第一の町の中心部の入口あたりになります。

見事な藤の花の咲くこんな道・・・
街道の雰囲気は薄いですが。落ち着いた雰囲気があります。

国道と平行した裏道です。
江戸時代はこの道が大通りだったのですが・・・

街道のころは田宿の直ぐ手前で、昔は杉並木があったそうです。上だったようです。


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昔を感じさせる卯建(うだつ)のある家・・・
を見ると、「袖卯建」で明治時代のものですね。
卯建は当初は防火や雨除けとして、家の両端の壁を大屋根より高くし、小屋根を乗せたものでした。その形の卯建を「本卯建」といい、江戸時代以前はこの形でした。

この卯建は大屋根より低くして、防火性を考慮しないで装飾性を重視しています。明治以降は、強く権威や格式を誇示していて、この糧たちとなり、「袖卯建」と呼ばれます。

江戸時代面影をのこしているような・・・

この道は一方通行で、あまり車がとおらずのんびりと歩けます。

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踏入を抜けると枡形があり、常田(ときだ)という地域になります。

常田に入ったところに科野大宮社という立派な社叢の神社があります。
このあたりで、昔の上田宿に入ります。

平将門の乱や徳川と真田の第1次上田戦争で消失した記録があり、古くからの神社です。

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宿場の入口には、こうした神社があることが多いですね。

ただこの神社の歴史は古く、古代には「総社大宮」「科野国魂神」、中世には「大宮諏訪大明神」と呼ばれたそうです。
奈良時代に令制国の国司が政務を執った国府は、当初、上田のここから北東の古里(こさと)にあったと推定されています。
国府は現在でいう県庁が近いのかもしれません。その周辺には国庁のほかにも国分寺・国分尼寺、総社(惣社)が置かれました。昨日は信濃国分寺跡・信濃国分尼寺跡を紹介しましたが、古くは「総社大宮」と呼ばれたということは、奈良時代にさかのぼる歴史を秘めているのかもしれません。
本当に総社であったかは確定していませんが、この立派な欅たちはその証かもしれません。

もっともこの欅たちの樹齢は300年位です。社殿の裏手には、元御神木のケヤキの変種の槻の木の切株が残されていますが、樹齢は1500年、木の影は朝日の時は、千曲川の川原まで達し、夕日が沈む時に国分寺にまで達したという伝説があります。これはオーバーにしても江戸時代の旅行案内絵図で上田をの江戸時代にはものには必ず描かれ、どこからも見える巨木だったようです。

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平安時代になり、信濃国府は松本にうつります。

戦国時代、真田昌幸は上田城築城すると、この神社は城の鎮守と定められ、信濃国分寺三重塔と当社は藩費をもって修繕したそうです。

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御神紋の穀(カジ)の木がありました。

穀と書くのが正式ですが、梶ともも書かれ、この方が良く知られているようです。
穀の葉の紋は諏訪大社諏訪を治めていた「諏訪氏」やその関係者、そして諏訪大社関係の神社の紋として使われています。

一般的には樹齢は100年位で高さ10メールくらいになることが有るようですが、大木にはならないようです。

この木はクワ科で、この葉は山桑に似ているなというのが私の感想でした。

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幕は確かに穀の葉の紋なのですが大屋根の紋は桐紋です。

御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)、そして相殿に健御名方富命 (たけみなかたとみのみこと)とあります。
大己貴命は大国主命の別名で、事代主命その長男です。健南方富命は諏訪大社の建御名方命(たけみなかたとみのみこと)で、事代主命の弟になります。父親と息子たちということです。

江戸時代には大宮諏訪大明神とも称されているので、途中から諏訪大社の神を祀るようになったのかもしれません。色々な歴史を1つの紋が暗示しているのかもしれません。

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常田・毘沙門堂です。

このお堂は
入り口には18才の「佐久間象山先生勉学之碑」によるてと・・・

江戸末期、文政11年(1828)まだ、18才の若き日の佐久間象山が松代から六里(24km)の道を馬に乗り、現、上田市古里の大日堂の私塾「多聞庵(たもんあん)」に活文禅師を訪ね教えを請いました。翌年、この毘沙門堂に多聞庵をここに移し、象山はここに通いました。

活文禅師は和漢蘭に精通していて、中国語、蘭学(天文学)、詩歌、書、彫刻、
一弦琴等を一人で教えたそうです。いずれをとっても、秀でていたそうです。
たとえば宮大工の棟梁として見事な彫刻を残している竹内八十吉も活文禅師に
彫刻を習っています。

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毘沙門堂は、大正15年に建て替えられて、当時のものではありません。

佐久間象山はのちに私塾「象山書院」を開き、吉田松陰、勝海舟、坂本龍馬などの師となります。今年の大河ドラマの坂本龍馬は活文禅師の孫弟子になります
他には小布施に葛飾北斎を招いた高井鴻山も活文禅師の弟子です。彼がいなかったら歴史が少し変っていたかも知れません。

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常田は、町はずれといった素朴な街並みで。観光地の嫌らしさのない通りです。
町にあった案内には

「常田の名は古く、鎌倉時代の初め常田庄と呼ばれていた。その後、天正十一年(1587)
真田昌幸上田城を築いたあと、城下囲八邑(村)の一つとして重視し、科野大宮社近くに屋敷割をして造ったのが、常田のはじめである。」

江戸時代は茶屋があり、金属加工の町で、鍋釜、鐘、大砲製造をしたとか・・・

この先で道は突き当たり、桝形となっています。
この先は横町になります。

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横町には日輪寺と宗吽寺の2つの寺がならんでいます。宗吽寺の本堂は改装工事中でしたので日輪寺を少し・・・

左は日輪寺観音堂の聖観世音菩薩像、ただ観音堂の本尊の上田市指定有形文化財の聖観世音菩薩像は真田の本家ともいわれる海野家守本尊といわれ、8月9日のりんご祭に御開帳されるそうです。

右はやはり日輪寺の勢至堂の勢至菩薩です。左は地蔵菩薩、右は如意輪観音です。

勢至菩薩は知恵をもって人々を救う仏です。
勢至菩薩は水瓶を頭に載せ、手に蓮を持つ姿がおおいのですが、ここでは蓮を持たずひたすらに祈る形です。
ここの勢至菩薩は天明3年の浅間山の大噴火の犠牲者の慰霊のための仏と伝えられています。浅間山での大きな災害を、大きな知恵で乗り越えたいという人々の願いがこめられているそうです。

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横町から上田宿本陣があった海野町・・・
江戸時代には商家や旅籠が並んでいた町ですが、今、海野町は上田を代表する商店街で、宿場の面影は、ほとんど残っていません。

真田氏は上田城築城をすると真田氏ゆかりの地から城下の各地に人々を移動させて、城を守る形で配しました。

海野町は本海野(海野宿)から商人などを移住させて彼らの出身の土地の名前を町の名前にしています。

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横道に入った開運出世稲荷神社

京都には豊臣秀吉の出世にあやかろうという出世稲荷神社蛾あるそうですが、小さな神社ですが、出世の上に開運を載せてご利益がありそうです。


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大正6年に創業、約100年の歴史を持つ映画館、『上田映劇』・・・

ただ2011年4月に映画の定期上演を廃止、今は、映画だけでなく、落語、音楽、芝居、講演等、幅広く使えるイベントスペースとしての変わりレンタルホール及び自主イベント開催で運営しているようですが、利用者は激減し維持運営は厳しいようですが、なんとか続けてほしいものです。

「花やしき通り」「あさくさ雷門ホール」・・・
ここは上田では・・・

映画「青天の霹靂」は昭和48年の浅草が舞台です、撮影のロケ地は上田市が選ばれ上田映劇、本町、旧上田市産院、上田城跡公園などで行われたそうです。

その、ロケ地復活プロジェクトが立ち上がり再現したそうです。
上田のミニ散歩はここまでです。

[ 投稿者:オコジョ at 08:18 | 上田市・小県郡 | コメント(4) ]

この記事へのコメント
こんばんは
上田映劇
こういう映画館、小樽にも何軒もありました!
本当に懐かしい雰囲気ですね。
まだ現役で使われているって、凄い事ですね。
≪「花やしき通り」「あさくさ雷門ホール」≫
これは上田にある名前なんですか?
昔の浅草の雰囲気があるんですね。
常田という地名は佐久にもありますが、「いつも田がある」ということなんでしょうか。
投稿者: 万見仙千代 at 2018-05-20 20:44:00
万見仙千代さんへ
こんばんは・・・
中込には中込座、岩村田にはロマンス座、小諸にも二軒、こうした映画館があったのですが、すべて跡形もなく消え去りました。
常設館ではなくなりましたが、こうして残っているのは嬉しいことです。
「花やしき通り」「あさくさ雷門ホール」は映画「青天の霹靂」のロケの時のセットに復元したものです。昭和48年の浅草のイメージだそうです。
常田、常盤、常和など常が付く土地はおおいですね。常盤は永久不変ということですね。常田もそうしたいつまでも豊かな田であってほしいという願いが込められているのかもしれませんね。
投稿者: オコジョ at 2018-05-20 21:35:22
こんばんは
ここは落ち着いた宿場ですね。
上田にも行く用事があるのですが・・・立ち寄ってみたいです。
こういう映画館、懐かしいですね。。古いだけでは残せないのかもしれませんが、いろいろな形で残してほしいものです。

先週、両親の法事がやっと終わり、あれこれ準備やら片付けやら、また後片付けと大忙しでしたが、ようやくホッと気が抜けました。
リフォームもそのためでもありました。叔父叔母たちも高齢で、これで最後の法事かと思いますが、6人泊まり総勢18人での焼酎宴会は楽しく賑やかでした。今日、運動会が終わり、これで少しは平常に戻れるのかな??
投稿者: われもこう at 2018-05-26 18:27:56
われもこうさんへ
こんばんは
東信一の町で、大火もあり宿場の中心部は失われていますが、周辺の寺町は残っています。特に著名なものはないのですが、少しは昔のことを偲べるようです。
今は映画は駅近くの大型スーパーでとなってしまい、ここは常設は無理のようです。
でも懐かしい雰囲気があり、残ってほしいものです。

御両親の法事が無事終わったようで良かったですね。法事は気を使いますね。
我が家は親戚が少なく、直接の叔父叔母も世を去り、家族だけになってしまいますが。それでも、集まりにくくなっています。
でも、法事は人が集まるいい機会ですね。
明るく、賑やかに・・・
それが故人が一番喜んでいると思います。
投稿者: オコジョ at 2018-05-26 21:10:40

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