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浅間山 (6月3日 浅間山外輪山黒斑山より)
P1360610 ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2018年05月15日
別所 女神岳ひとまわり1  塩田平の片隅を歩いて 古墳など・・・
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真ん中の山。整ったピラミッドのような山ですね。
女神岳(標高 約930m)です。名前にふさわしい姿ですね。
もっとも、この辺りでは低い山なのですが・・・

ゴールデンウィークの信州は混みますが、妻はせっかくの休みということで出かけることにしました。

人の少なそうなところはないかなと・・・
女神岳は短い時間で登れるのですが。しかし急なのです。我が夫婦向きではないので。この山を一周することにしました。


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お馴染みの上田電鉄別所線で、女性駅長さんのいる別所温泉駅で降りました。

右の写真は別所駅に保存されている、かつてのこの路線の花形列車の丸窓列車・・・

今回はここがスタートと・・・
一周ですから、ここに戻ってきますが・・・

3
丸窓列車を左に見て(ほんのすこししか写っていませんが・・・)、別所温泉駅をあとにします。

もう5年くらい前でしょうか『別所線に乗って温泉〜野倉街道を散策してみませんか? 大湯ふれあいロード 野倉(のぐら)街道「里山を一周する道」』というパンプレットを見つけて、歩いたことが有ります。

冒頭の写真は、別所線の舞田駅あたりからの車窓風景ですが、その時は舞田駅から歩き始めたので「里山ほぼ一周」でした。

もっとも車の少ない道を歩きたいということで距離的には、遠回りなのですが・・・

5
子檀嶺(こまゆみ)岳・・・

里山一周なので、里山風景とはいえ刻一刻と見える風景は変わっていきます。
子檀嶺岳が見えるのはこの辺りなので、山付としては一枚・・・

この野倉街道「里山を一周する道」は別所温泉の大湯地区にある別所温泉大湯会が、ウォーキング道として、道標などを整備して国土交通省認定ウォーキング道路に認定されているそうです。

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山田池・・・

灌漑用のため池です。

佐久から小諸、上田の千曲川沿いの地域は年間降水量が全国で最も少ない地方ですが、その中でもこの辺りの塩田平と呼ばれる地方は上田の中でも最少の地域でした。雨が少ない上にこの地域を流れる川は山から流れ出たばかりの小川のような川ばかりで、稲作が広まるに従って、水不足となります。この地域の土壌は粘土質だったので、ため池の土地をつくるのに好都合で平安時代から溜池が作られていたようです。

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道は割と静かな旧道に入ります。
やはり、こうした道がいいです。

このコースは別所温泉⇒野倉⇒穴平⇒手塚⇒山田⇒別所温泉だそうです。コース案内の道標はこのように歩くとわかりやすいように建てられていいます。
天邪鬼の私は逆コース・・・
理由は特にないのですが、しいて言えば北向観音が最後になるということかもしれません。

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途中で別所の大湯に湯峠を越える湯道が分かれます。

そして、満願寺という十王のいるお寺の道への別れ道・・・

湯道は別所に戻ってしまいますし、満願寺は何度も来ているので割愛・・・

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女神岳・・・

八分の一周くらいかな・・・

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舌喰池(したくいけ)です。

舌喰池の名前は不気味ですね。こんな話が伝わっています。

昔、舌喰池の、堤から水が漏れ、水を溜めることができなくなりました。
そのため池の改修をすることになりましたが、堤に「人柱」を入れないと水は止まらないと言うことになり、くじ引きで、村はずれの美しい娘と決まりました。
娘は、わが身の不幸を嘆いて、悲しみのあまり、人柱の前夜、自ら舌を食い切り、池に身を投げてしまいました。以来この池を「舌喰池」と呼んだそうです。

真偽は別として、旱魃に苦しんだ人々の苦労を今に伝えています。

1947年頃は当時の西塩田、中塩田村では、100%ため池の水が、全ての水田を潤しており、一番多いときは大小300余のため池があったそうです。

前の山田池、舌喰池は塩田平では大きい池です。どちらも上田城の藩主が真田信之の時代に作られた池です。

上田はこの辺りでは一番温暖きこうで、肥沃な土地で、水を確保できれば水田農業に最適の地域でした。こうしたため池により「塩田三万石」といわれ、上田藩の約半分の穀倉地帯となりました。

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女神岳・・・

少し移動すると山は姿を変えていきます。
ここからこの道で山に近づき、山の懐に入っていきます。

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金井という集落に道祖神などの石碑・・・

中央の碑の梵字は金剛界・大日如来ですね。

「仏頂尊勝陀羅尼 加持涌出霛泉塔」
仏頂尊勝陀羅尼(そんしょうぶっちょうだらに)は厄災を除く呪文です。
霛はみたこともないような字ですが、「霊」と同じ字だそうです。「ゆうしゅつれいせんとう」と読むのでしょうか・・・

大切な聖なる泉の霊泉の加護を大日如来に願う塔のようです。
水が大切な土地ということを感じさせます。

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金井の集落にある皇子塚古墳によります。直径が14.8mの円墳です。

独鈷山(1,266m)を背景にした素敵な所にあります。

「皇子塚」という立派な名前から高貴な人の墓のような気もしますね。

言い伝えでは、奈良時代天平宝字8年(764)の藤原仲麻呂の乱で殺害された塩焼王か王の子供の墓だと言われますが、確証は有りません。

塩焼王は天武天皇の孫で、皇太子候補にもなったということで「皇子塚」の名となっていますが、この古墳は時期の古墳時代後期は6世紀初めから7世紀の半ばなので、塩焼王のなくなるより100年以上、前で違う墓の主のようです。
この地方を治めた豪族の墓には間違いがないのでしょうが・・・

5年前の古墳
5年前の写真です。

ここは昔には「4本松」といったそうですから4本あったようです。最後の一本も無くなってしまったようです。

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この古墳は「皇子塚」ではなく昔は王子塚という字だったそうで、「かみやむろ」ともいったそうです。「王子塚」から「皇子塚」になったのは、この古墳の北東約1・2 Kmの塩田新町の氷上王子神社境内に「王子塚」があり、混乱を避けるかもしれません。

地名も変わっていくようです。

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皇子塚古墳石室・・・

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石室は高さが3.3mと高く立派でたったまま楽々と観察できます。頚椎症で舎崖のが苦手な私には助かります。

昭和49年に発掘調査が行われ、明治には盗掘されていますが、反りの無い直刀、鉄製の矢じり、馬の轡金具、須恵器・土師器、首飾りの勾玉・管玉や耳飾りの金環などが見つかったそうです。
古墳の規模や出土品から見ても、やはり、この地方の有力な豪族の墓というのが妥当のようです。

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遠く浅間山・・・

古墳の東側には明治41年まで、皇子権現宮という神社が在ったそうです。説明には白鳳年間に創建とありますが、塩焼王の亡くなった白鳳年間にあわせたようです。その真偽は別としても、古い神社だったのかもしれません。
皇子権現宮は今では手塚八幡宮の境内に移されています。

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女神岳をバックに働く人・・・

何か、自分が遊んでいて、働く人がいると心痛むのです。
私も一生懸命に働いたこともあるのですが・・・

21
トトロが二匹・・・

いいですね。
5年前にもいらっしゃいましたが・・・
少し、ふっくらと・・・
お年を召されたかな・・・

[ 投稿者:オコジョ at 07:41 | 上田市・小県郡 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんにちは
トトロさんたちかわいいですね。
初夏の空気が伝わってきました。 よい散策でしたね。
水の為の人柱伝説はよく聞きますね。
悲しいお話ですね・・ 犠牲になった娘さんのその思いがこの池の名前で伝わり続けていくのでしょう。
投稿者: アメジスト at 2018-05-15 12:05:57
アメジストさんへ
こんばんは
可愛いですよね。
5年前の写真とほぼ同じ構図で写真を撮影していました。進歩がないなと・・・
浸食の新しい緑のみずみずしさの時期にはこうしたところに行きたくなります。
人柱伝説は多いですね。
「キジも鳴かずば撃たれまい」も、そうでしたね。
そうした話が伝わるほど大切な池だったということですね。
投稿者: オコジョ at 2018-05-15 21:47:27

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