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浅間山 (6月3日 浅間山外輪山黒斑山より)
P1360610 ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2018年05月11日
善光寺の裏山 地附山 5  謙信物見の岩から善光寺
1
降りてゆくと右から大峰山からの道が降りてきます。

大峰山はバードラインから山頂に車で行けます。 地附山とともに長野観光の目玉としようと、昭和37年に(1962)に長野市が観光促進のために4階建ての鉄筋コンクリート製の存在したことも天守を建設して展望台としてしました。そのころ車で行ったことが有ります。その後、昭和56年1981年に「大峰城チョウと自然の博物館」となりました。20年近く前に山道を妻と登って、素敵な蝶の標本を見ました。しかし、バードラインが寸断され利用者の落ち込み10年くらい前に閉館となりました。今はどうなっているかなと・・・


2
その時に下りに選んだのはこの道でした。

大峰山には戦国時代には大峰城という城がありました。もちろん天守閣などというもののない素朴な山城でした。ただ地附山の桝形城と同様、文献に乏しく、ほとんど歴史的なものは不明のようです。

言い伝えでは上杉謙信の築いた葛山城主・落合備中守の家臣、大峰蔵人が天文年間初期に築城とありますので、上杉方の城だったようです。その後、武田の城になったようです。

3った。
岩の多い道です。
もっとも登山道はしっかりしていて安全な道です。

5
こんな松もありましたが、昔のことは語ってくれません。

6
「謙信物見の岩」・・・

下っていくと、砂礫地があり、登山道からほんの少し入ると、こんな場所に出ます。

7 (1) 7 (2)
こちらも言い伝えですが・・・
川中島の戦いのときに上杉謙信が戦いのさなか、この岩の上から武田勢の動きを物見したから物見岩となったとか・・・

この岩の上に謙信が登ったとは思えませんが、見張りをするにはいい場所のようです。
ツツジが一株登っていました。

足もないのによく登ったなと・・・

8
善光寺平が一望・・・

ここは下り道で一番の展望台です。

9
信州信濃の善光寺も見えます。
この日のゴールはここです。

絶景の場所ですが、ただ、余り前にでませんように

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「物見の岩」の下は切り立った岩場となっています。岩を回り込んだこんな広場に出ます。岩の衝立が立っています。

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ここは地元の山岳会や、長野県警山岳救助隊のロッククライマーの練習場としてよく知られています。この日は平日で誰もいませんでしたが。休みの日にはクライマーの姿を見るところです。前回来た時はたくさんの若者が楽しんでいました。

昔なら登れたのですが。今は見上げるだけです。

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岩壁に向って左側に石段があり洞窟があります。

洞窟には岩井堂観世音があります。
中には聖観音が祀られています。

岩井堂という名前は多いですね。長野県でもいくつかの岩井堂があり、関東にも多いようです。岩山とか、洞窟のあるところのお堂が多いようだす。

ここやはり長野市を見守るように町近くに聳える旭山の朝日山観音の兄弟仏だそうです。兄弟仏というのは調べたら、そうネットに書いてあったのですが、どういう関係はよくわかりません。
この洞窟では弘法大師・空海が修業したとか・・・・
岩井堂にはそうして信仰が多くようです。

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道脇の五輪塔・・・

五輪塔は五輪卒塔婆と言われることもあるように、墓や供養塔に使われます。どんな人が眠っているのか・・・

この先には霊山寺に「川中島合戦勇士の首塚」があります。今回寄らなかったので、写真は無いのですが、霊山寺を中興する時に寺の敷地を整備していたら首だけの白骨がたくさん出てきたそうです。
この辺りは川中島合戦の時上杉方陣地であり、戦いで討ち取った武田方の武将の首を検分し、論功を行ったところと推定され、遺骨を納めて塚を作ったそうです。
戦いで死んだ場合あとは悲惨だったようです。

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真言宗智山派霊山寺・・・

先月ミズバショウを見に行ったときに霊仙寺山にふれ修験道の五社権現があり、霊仙寺(りょうぜんじ)はその別当寺の神宮寺)でした。そのころ天台の戸隠、真言の飯縄霊仙といわれ修験山の寺として知られていたそうです。
しかし、戦国の戦いの中で、焼失、謙信により復興されますが、勝手の制裁はなくなってしまったようです。
その後長野市の長沼城主の島津氏が祈祷寺として呼び寄せ、飯縄の霊仙寺は特別の祭祀の時だけ使われていたそうですが。明治の神仏分離で廃寺なってしまったそうです。
長沼城もやがて廃城となり、いったん歴史を閉じてしまいます。

明治の中頃になって長沼の廃寺にあった霊仙寺の本尊の大日如来を本尊として、大正6年に霊山寺と仙の字を山に変えて再興したのが、この寺だそうです。

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ここは「信濃ボケ封じ地蔵尊一番札所」だそうです。

「信濃ボケ封じ地蔵尊」については何も知りませんが、さもなくても記憶力低下していますので、ボケないようお願いしていました。

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霊山寺からこんな道を探して善光寺をめざします。
車の道もありますが。こういう道が足に優しいのです。急なのですが・・・

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途中で伊勢社にお参り・・・

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伊勢社の参道はハナダイコンの道・・・

何処が参道かわかりにくいですが・・・

今は神社の横の駐車場から参拝するようです。

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山を下りたところは箱清水地区・・・

善光寺本堂が見えますが裏側です。

21
善光寺着・・・

今回の山歩きはここまでです。

[ 投稿者:オコジョ at 08:04 | 山 (地域外) | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんばんは
善光寺からこんなに近いのに、色んな所があるんですね。
ロッククライミング!
いやいやいや、勘弁してもらいたいです。
登るのを見ているだけでも怖いですよ。
「川中島合戦勇士の首塚」
そんな塚があるんですか。
首の骨がいっぱい出てきた・・・・
武田方の首の骨。
昔は残酷だったんですね。
長篠とか関ヶ原とか、大合戦の舞台になった所は多いけれど、それぞれに首塚があるんでしょうね。
川中島の跡地に首塚があったのを思い出しました。
投稿者: 万見仙千代 at 2018-05-11 20:26:13
万見仙千代さんへ
おはようございます。
ロッククライミング馴れてしまうと、そうはこわくはないのですが。今、登れなくなると怖さを感じます。慣れと自信というのが必要なようです。
戦国の戦いでも有名な川中島の舞台・・・
色々あったのでしょうね。
取った首は恩賞の対象・・・
身体はそのまま置き去り・・・
首も見分が終れば用はないとまとめて埋めたようですね。
投稿者: オコジョ at 2018-05-13 16:14:10

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