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浅間山 (12月13日 小諸市新町より)
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このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度もおなしを繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2018年03月13日
妙義の山麓を巡る2 妙義山麓へ 平・五料地区
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松井田の上本町からの表妙義の山々・・・

国道18号は車が多くてある国は向きませんので、古い道を行きます。
だいたい車の道に沿うように古い里道が残っているものです。

人はそういう道の方が歩きやすいです。

そしてこんな素敵な景色にも出会えます。ここは「平」という地区です。
平らでなくて山の斜面ですが・・・

中央に高いのが白雲山、左に低いですが金鶏山・・・

白雲山の影に隠れている金洞山をあわせて妙義山です。細かく分けるとほかにもいくつもの山々の連なりです。

この西側の裏妙義に対して、表妙義とも言います。1100mクラスの山の連なりですが、北アルプスの穂高岳の縦走よりも困難な岩峰を連ねています。


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ただ車の道と違って、外の道は地形に沿って、里から里へ・・・
くねくね曲っていきます。そして登ったり降りたり・・・
遠回りでも、健康のためには良い道です・・・・

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金鶏山・・・

この山は険しい岩山で、崩れやすい岩室です。
この山はすべての面が垂直に近い岩壁で、その下の車道があり、落石で危険だと、登山禁止です。それを無視して、一人寂しく登りました。内緒です(笑)。
でも、もう四半世紀も昔ですから時効ですね。

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裏妙義の山々も見えてきました。

面妙義と違って里から離れた山の中、静かな人の少ない山々で私は好きな山で数えきれないほど訪れた山々です。少なくとも50回は越えているでしょうか・・・

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桑畑がありました。

全国の養蚕農家は三百数軒とか・・・
群馬はその中でも養蚕農家が多いそうです。

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浅間山も行く手に姿を現してくれました。

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道は上信越自動車道の下を潜り抜けます。

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自動車道を越えると五料茶屋本陣があります。こちらはお東・・・

五料茶屋本陣は「お東」の「お西」の二軒が並んでいました。

江戸時代の大名は参勤交代で江戸と国元を往復しましたが、そうした時の大名の宿泊し本陣、休息茶屋本陣と決められていました茶屋本陣は大名の参勤交代や上級武士・公卿の喫茶や昼食等のために用いられた休憩施設です。

現在の建物は「お西」ともに文化三年(1806)の大火で焼失し、その中に再建されたものだそうです。

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五料茶屋本陣は代々名主役(二人名主制)を勤め、天保七年(1836)から明治五年(1872)までは交代名主制として一年交代で名主役を勤めたそうです。茶屋本陣は茶屋だけでなく、家族の居間など、家族の生活の場でもありました。

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こちらは本家に当たる「お西」・・・
「ひな人形展」・・・
この時期は何処に行ってもお雛様ですね。前回ここに来た時も「ひな人形展」を見ました。

茶屋本陣は格式が高く、価格も高かったようです。江戸後期になると大名の財政は苦しく、参勤交代の経費節約のために茶屋本陣以外で休憩をするようになりました。このことは本茶屋陣の収入源となり、宿場の衰退につながるため、宿場は幕府に本陣茶屋の廃止を願い出たり、幕府は大名に本陣以外での休憩を禁止する禁令を何度も出しています。しかし、なかなか守られなかったようです。幕府の権力も落ちてきたということの現われがこうしたことからも分かるようです。

茶屋本陣は昭和四十八年に寄贈され、江戸時代の再建当時に復元して、昭和五十九年から公開されています。

よると長くなりそうなのと、今回は街道歩きではないので、見学はしませんでした。

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茶屋本陣近くの中山道の道脇に安中藩の高札場跡がありました。
この辺りが五料の中心だったようです。

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現在の中山道の国道18号線・・・

私は横切るだけで、碓氷川に下っていく細道に入ります。

「俺たちゃ 町にはすめないからに・・・」
そんなことはないですね。山では暮らせません。
たまに遊びに行くからいいのです。 

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こんな道です。

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合掌している馬頭観音様と、思索している如意輪観音様・・・
如意輪観音には「文政三歳(1820)」と年号が刻まれていました。

この道は江戸時代から観音様が見守っている中、村人が通った道でした。

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碓氷川にかかる蟹沢橋・・・

蟹沢はこの辺りの地名のようです。橋の名前は古い土地の名前が分かることがあります。あと電信柱に書かれた地名も小字が分かったりしてよく見上げます。

妙義の山々が迫ってきました。

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碓氷川の流れ・・・

名前のように碓氷峠あたりから流れて、めがね橋の下を潜って、利根川を目指しています。

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この白い岩が綺麗だなと・・・

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その先、表妙義から流れ下る小竹沢を小竹橋で渡ります。

妙義は良く来ましたが、その多くは一人で沢登りでした。大体の沢は登りましたが、小竹沢は登ろうと思っていて、頚椎症になって登り残しました。なかなか険しい谷ということで。もっと早く登っておけばよかったなと・・・

後悔しても遅いのですが・・・

これから妙義の山に近づいていきます。

[ 投稿者:オコジョ at 08:10 | 旅 (地域外) | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんばんは
近くて遠い国 上州。
オコジョさんは、そんな危険な山に登っておられたんですか。
上州の山って、本当に危険な感じですよね。
妙義山で完全にギブアップしました。
他の皆さんが当たり前のように歩いているのを見て、ただただ驚きました。
次回は妙義の山に登られるんですか?
投稿者: 万見仙千代 at 2018-03-13 20:56:27
万見仙千代さんへ
こんにちは
お隣なのですが、国境の山々が邪魔をして、どうしても峠を越えなくてはならないですね。私は乗っていれば運んでくれますが・・・
とはいえ。JRの碓氷峠の信越線がなくなって乗り換えなくてはならないので不便になりました。スキーバスの事故のあった18号線は定期バスがあって今回はそちらを使いましたが。軽井沢、横川と2回乗換になってしまいます。
妙義か危険かどうか、確かに群馬県では谷川岳に次いで遭難の多い山で、山の中のところどころに遭難碑も見かけます。
人気のある山で登る人も多いので、比例して事故も多いですね。山が低いので、侮りがちになりますが、全山岩山といっていい山ですので、過信は禁物かもしれません。
無理だと思ったら引き返す勇気がほしいのかなと・・・
今の私はもう岩登りは無理です。妙義は石門辺りを鎖あるコースを避けて登るくらいです。
というわけで、今回は山麓散歩です。ほとんど舗装の道でした
投稿者: オコジョ at 2018-03-14 14:20:22

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