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浅間山 (6月3日 浅間山外輪山黒斑山より)
P1360610 ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2018年03月04日
佐久市北部千曲川沿いの集落・寺社・城跡6 五郎兵衛新田
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五郎兵衛新田からの浅間山・・・

この辺りは浅間山と蓼科山を結んだ線上にあり浅間山に約20キロ、蓼科山約20キロ、つまり丁度真ん中あたりです。

烏が一生懸命、なにかを食べています。

この田んぼの米は今日、「五郎兵衛米」と呼ばれ、おいしい米 として知られています。その落穂ひろいでしょうか・・・

ここは「五郎兵衛新田村」という日本で一番長い村の名前だったそうです。


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相浜から五郎兵衛新田の上原(かみはら)に向かいます。

向かう丘の上の林がありますが諏訪神社です。その右の建物が五郎兵衛記念館です。

ここも五郎兵衛ですね。

ここの米は「浅科新田・五郎兵衛米」の名前で知られ、全国の寿司屋から注文のあるブランド米です。聞いたことがないと言われそうですね。品種はコシヒカリ・・・
コシヒカリは新潟ではないかと言われそうですが。信州で作られているコメの圧倒的多数がコシヒカリです。しかし五郎兵衛米の水田は400㌶で生産量が少なくて、地元では売られていますが、新潟のコシヒカリのように一般流通はしません。神奈川の弟や青森の息子夫婦には毎年贈っていますが、我家ではたまに買う程度です。

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五郎兵衛記念館の隣の諏訪神社入り口・・・
今回3つ目の諏訪神社ですね。この辺りにいかに諏訪神社が多いかということですね。

このあたりの神社の半分は諏訪の神を祀る神社といっていいようです。名前は諏訪神社でなくても、諏訪の神を祀った神社がたくさんあります。

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しかし参道は途中から分れ、別な参道が、諏訪神社の参道と並んで境内に向かいます。

そちらの参道には3つの鳥居があって、それぞれ違う神社の名前が単独または複数書かれていて稲荷神社をはじめ全部で5つあったように思います。

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最後はこの細長い拝殿に行きつきます。一番右が諏訪神社・・・

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拝殿の左側には真親(さねちか)神社とありました。

五郎兵衛用水を開き五郎兵衛新田を造り、五郎兵衛米を生みだした人も今は神となっています。

中を見るとたくさんの神社の本殿が並んでいます。右の写真のサッシの一番右奥が真親神社の本殿です。
この社には10位の神が祀られているようです。

真親神社の神は市川五郎兵衛真親・・・

市川五郎兵衛真親は昨日も登場していて、しつこいと言われそうな・・・

でもここでは五郎兵衛さんの話をしないと書くことがないのです。

市川五郎兵衛真親は佐久から余地峠や田口峠を越えた上州南牧(なんもく)、砥沢(現・群馬県甘楽郡南牧村砥沢)出身の武田に仕えた武士だったそうです。武田信玄の余地峠からの上州進攻の信州との中継基地が市川家だったそうです。市川五郎兵衛の祖父真貞はその功績により、信州佐久地方に数ヶ所の土地を与えられたそうです。しかし、武田氏の滅亡で信州の所領はすべて没収手しまいます。時は移り、徳川幕府は、市川家に江戸での仕官を勧められますが、先祖伝来の地を守るためと辞退したそうです。市川家は上信国境の関守の仕事と、鉱山・原野開発の特権を認める朱印状を幕府から与えられ、南牧での砥石山の経営にあたりました。

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五郎兵衛記念館あたりからの旧五郎兵衛新田村・・・
ここは昔、矢島原と呼ばれ千曲川の左岸の蓼科山側の高原台地で川が無く水の便が悪い所でした。

五郎兵衛は祖父真貞以来、市川家と関係のあった佐久を訪れます。そして新田開発に取り組みます。

なぜ取り組んだのか、五郎兵衛さんに聞かないと・・・
無理ですね。
また五郎兵衛は砥沢市川家の分家で、直ぐ上流の羽根沢集落に生家があったようです。彼が、彼が佐久地方に私財を使って、新田開発を行った理由としては、米の取れない故郷の鉱山関係の飯米確保という説と、土豪の地位を保つためとも言われます。
五郎兵衛さんの本業だった砥石採掘は露天掘りの他に、坑道掘りがありました。坑道掘りは高度な土木技術が必要でした。その技術が用水開削に役だつものでした。技術を生かしてみたいと思ったのかもしれません。

写真の左に枝垂桜がありますね。

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この桜は市川五郎兵衛の墓地近くにある関所破りの桜です。

市川五郎兵衛が亡くなって、数十年たってから彼の功績を末永く遺そうとして、いまでいう記念植樹をすることになりました。その桜は五郎兵衛の生まれ故郷の桜らがいいということになり、市川五郎兵衛の故郷の上州の砥沢から桜の苗木を選んで運び、峠の関所に来ますが、そこで通行手形を置き忘れて来たことに気がつきます。普通なら捕まって牢屋なのですが、役人は市川五郎兵衛の功績のためとったということです。

この話の峠は碓氷峠の関所ということになっていますが、五郎兵衛の故郷からは余地峠を越える道が最短、何倍も遠い碓氷峠は考えにくいのですね。でも、関所を破るのなら天下の碓氷峠ということにしない箔が付きません。良くできたお話ですということなのでしょうね。地元にとって市川五郎兵衛の尊敬をこめられた桜です。

私は花の時期に来たことがないのですが、今年は見に来ようかな・・・

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丘の上に市川五郎兵衛真親の墓地があります。

南牧村市川五郎兵衛は寛文5年(1655)に94歳で天寿を全うしました。

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中央の大きな墓碑が市川五郎兵衛真親の墓です。

土地の人々は「開祖」として今でも敬っています。
なお、南牧村羽沢の生家近くの星尾川沿いにもお墓があります。

五郎兵衛の子四郎兵衛は、南牧の関所役人として羽沢村に戻り、その子孫は明治維新とともに関所が無くなり、再び五郎兵衛新田村に移住したそうです。

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五郎兵衛記念館・・・
もちろん市川五郎兵衛と五郎兵衛用水と新田の記念館です。

古い、小諸藩からの書状や、農具・生活用具などが展示されています。
また。地域の人々の撮影したありし日の五郎兵衛用水の写真はその偉業の困難なことを伝えています。

今回は寄り道が多くて、時間がたつのが早く、午後2時・・・
食事がまだでしたので、そちらの誘惑に負けて、またの機会としました。

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五郎兵衛記念館からの大池・・・
大池は現在の五郎兵衛用水を貴重な水を有効的に使うための池です。


五郎兵衛用水は、蓼科山の南の双子山の1900㍍から流れ下る細小路川と蓼科山から流れ下る湯沢川の合流点から、水を取り入れました。そして尾根の等高線に沿うように山腹を絡み、片倉山を掘貫(水トンネル)により、隣の布施川の谷にでます。布施川を掛樋で越えて、百沢、八幡、矢島と山裾を絡み、道陸紙坂堀貫で大盤台という用水の分岐により3つの流れとなって五郎兵衛新田を潤します。
当初の用水は現代になり改修が行われ、水路トンネルの追加や逆サイフォンといった方法で山や谷を短縮して越えて、22 ㌔の用水路が7㌔ほど短縮されています。古い用水は失われた部分も多いのですが、残った遺構は各所に残り、「五郎兵衛用水跡」として長野県史跡に指定されています。

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上原の集落に戻り、中原に向かうと、巌鉄山妙香院圓心寺(みょうこういんえんしんじ)影在ります。

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ここは市川五郎兵衛真親夫妻を祀った位牌寺です。

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五郎兵衛新田の上原の町並み・・・

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上原の集落の外れあたりに。可愛らしい双体道祖神の脇に「つきせき」と案内がありました。「つきせき」は「築堰」と書きます。

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こちらの水路が築堰(つきせぎ)です。
下の道より高い所に水路が中原、下原へと用水の水を運んでいます。この辺りから中原は地形的に低くなっていて普通の水路では下原にたどりつけません。そのために土を盛ってその上に水路を通しました。築堰で長さは1㌔に及びます。

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五郎兵衛新田記念館の絵をお借りしました。
このように土を盛った高いところに用水が流れてる堰を「築堰」別名「土樋 (つちどい)」といいます。途中広くなっている所は、昔、水門があって水を分けた名残のようです。

いまはコンクリートのしっかりした水路ですが、当初は水が漏ったり決壊が相次いだそうです。五郎兵衛さんは試行錯誤の末、切芝を重ねて杭を打ち、その上にまた芝を重ねて杭を打つといった田楽積みという方式で強度を増し崩壊を防ぎました。そして、真綿を流して漏れる穴に吸いこませて、その上に土砂を入れて防いだそうです。

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遠く蓼科山・・・

市川五郎兵衛の作った用水は、380年たった現在も蓼科山のきれいな水が流れ続けています。

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浅科の「穂の香乃湯」で、食事と温泉で一息つきました。

[ 投稿者:オコジョ at 08:09 | 佐久市 | コメント(0) ]

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