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浅間山 (8月20日 浅間山 小諸市耳取地区より)
999 ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2018年02月11日
小さな里山 崇台山(ぐんま百名山)4 頂きから古刹・長学寺
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帰りは、登って来た北側でなく、南に下ります。この山は、安中市と世界遺産の富岡製糸場のある富岡市との境界にあります。

富岡氏の背後は西上州の山々・・・
こんな陽だまりの暖かそうな道を下ります。


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でも歩いて行くのは手前の黒い尾根の上の道・・・
こちらは北向きなので雪の斜面を見せていました。

画面右手は信州との県境の山々・・・
この山の向こうは、千曲川上流の南佐久の地域になります。

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振り返ってみた崇台山・・・
時期には桜山になりそうです。

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道は影の部分に入ってゆきます。

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林の尾根はこんな感じ・・・

笹になるとこんな雪の道・・・
小さな瘤をいくつも越えていく感じでした。

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長学寺への近道という案内があり、こんな明るい尾根を下ります。わりと急でしたね。

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道からは、長学寺が見えてきました。

祝融山神泉院長学寺は本尊が釈迦牟尼仏の曹洞宗のお寺だそうです。

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長学寺に着いた所は、富岡市指定天然記念物の「長学寺の大イチョウ」・・・

残念ながら樹齢約600年とていわれる大イチョウは昨年8月初旬に群馬県・富岡市を襲った台風5号により倒壊してしまったそうです。現在は木の上部を切断して、株の実を植え直して、再生・保護を計っているそうです。

鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏も残った下部の幹から新芽(ひこばえ)が育っているとか・・・
この木もそうしたことを試みているようです。上の方に新芽が見えますね。

鎌倉といえば、頼朝の時代の曽我兄弟の仇討ちが有名ですが、兄弟の兄十郎祐成の愛人とされる虎御前は兄弟の骨を首にかけ信濃の善光寺に納めたとされる話があります。このイチョウは鎌倉時代に虎御前が兄弟の詩を痛み自らの手で植えたとされ古くから虎銀杏呼ばれます。また。銀杏の杖を挿したのがついたから逆さ銀杏ともいうとか、虎御前のこういう話は多いようです。ただ、虎御前の生きたのは800年前、樹齢とは合わないようです。

虎御前は鎌倉時代の歴史書の「吾妻鏡」に登場していますので、実在していた可能性もありますが、巫女や瞽女などの女語りにより言い伝えられた口承文学の「曾我物語」による創作とも言われます。信州にも虎御前伝説は多いですね。三大仇討ちで武家の鑑でした。ただ。

ありし日の大イチョウの樹高は31m、根回り周囲8.5mの雄株巨木・・・
見事だったでしょうね。

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大イチョウの近くに、こんな石段があります。滑りやすくて怖いような場所ですが、手すりがありますので、登ってみます。

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登った上は、七日市(なのかいち)藩前田家の墓所・・・

富岡は江戸時代には加賀百万石の藩祖の前田利家の5男の利孝の領地の七日市藩1万石でした。長学寺は七日市藩の前田家十二代の菩提寺でした。

ここには二十二基の墓がありますが、その内5つの大きな五輪塔は二代利意、三代利廣、五代利英(としふさ)、六代利理(としただ)、十代利和(としよし)の五人の藩主の墓です。でも、碑が。大型の五輪塔で建てられています。しかし七日市藩の前田家十二代です。ここりの藩主は・・・

前田家の墓所はここと東京駒込の吉祥寺に分かれていて、ここにいない藩主はそちらだそうです。

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長学寺本堂・・・

長学寺は、勅命により関東諸国を巡った法相宗の僧、弓削道鏡が薬師如来を祀ったのが始まりと言われます。
平安時代に入り承和2年(835)に真言宗の山城国 高尾山神護寺の僧、真済(しんぜい)こちらも勅命によって関東諸国に一切経を納めた際、貫前神社の宮司に場所を選ばせてここに祝融山高尾寺として開山したそうです。歴史がありそうですね。

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中国風の鐘楼門・・・
禅宗らしい門ですね。

ここの梵鐘は口径64センチメートル、総高112センチメートルのやや細身の鐘身(しょうしん)で、製造年代は不詳ですが特徴から室町期の作とみられ、群馬県の重要文化財に指定されているそうです。

南北朝時代の応安2年(1369)に、この辺りの甘楽郡内を治めていた藤原氏が、曹洞宗高祖道元禅師の法孫、通海良義を招いて開山、 永禄年中(1558年〜1570年)に宝積寺(甘楽町)の九世儀山沅考が再興して現在に至っているそうです。

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子安観音・・・
微笑ましいですね。

この像にはこんな伝説があるそうです。
 「昔、付近の村で豪族のあらそいがあり、襲われた豪族の若い妻は妊娠中で、このお寺らすくいを求めて逃れようとしたのですが。石段の脇の薬師の池にたどりついた時急に産気づき、赤ちゃんを産み落としたのですが、そこに追手が迫り母子とも殺害されてしまったということです。」(現地の環境庁・群馬県の説明板)

P2350721
この池が薬師の池・・・・
薬師様が母子を救ってほしかったですね。

今では子安観音は子育て、安産の観音様だそうです。

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私は参道を入口まで下りてしまいました。

この後予定では磯部に向かう予定でしたが、どうも山頂当たりで地図をなくしてしまったようです。

本当は境内から林道で、山腹を絡むようにして登っていくのが正しいのですか、そのまま富岡の間たちの方へ下っていきました。

すぐ右に曲がって上に登る道があるだろうと・・・

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なかなか右に曲がる道はなく道はどんどん下って行く・・・

やはり焦りますね。なくても富岡に出ても帰れるのですが・・・
今考えてみると下って行ってと知らない里を歩くのも素適だったのではないかと・・・

ようやく右に登っていく、道を見つけました。

[ 投稿者:オコジョ at 08:23 | 山 (地域外) | コメント(0) ]

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