掲示板お問い合わせランダムジャンプ

浅間山 (5月11日 小諸市坂保町より)
P1330965 ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


営利目的や記事に関係のないコメント、英文のコメントは、予告なく独断で削除させていただきます。

2018年02月10日
懐古園の噴水と小諸宿の寺巡り・・・
1噴水 (1)
何回も小諸の雪景色をアップしてきましたが・・・

私の青森の孫が。このくらいの雪で大騒ぎしてはいけないよ。青森は僕のせいより高く雪があるんだよと・・・

でも、青森はこんな噴水にはならないかなと・・・


1噴水 (3)
冬になると馬鹿の一つ覚えの懐古園の本丸の噴水でした。

懐古園を離れて、町にでましょうか・・・

23
といっても、街中は大雪の後すぐにアップしました。
今回は地味に寺巡りです。

田町地区から始めます。
ここは両親が住んでいた町・・・

いつもこの道祖神に挨拶して、両親の家にむかいました。
両親の家は建坪10坪をわずかに超える小さな家ですが、今は空家ですが、時々見に来ます。郵便物の確認が主です。といっても、もう皆無といっていいくらいないのですが、チラシだけは入っていますので、春からは草が生えないように、この日は家の前の雪搔きをしてきました。家の間は日陰で凍り付いて誰か転んでは申し訳ないですから・・・
小さな家の前なのですぐ終わりました。

25
家の近くの実大寺・・・

石段を登って薬医門をくぐります。

26
田町と隣の六供地区にはいくつかの寺があり、駿馬時代の寺町だったようです。
日蓮宗でこの地区では最も古い寺とされています。
荒町の寺町は禅寺が並ぶのに対して、こちらは、日蓮宗と真宗が2つずつで庶民の寺町だったようです。

この寺は母の実家の菩提寺、私の祖父母や叔父が眠っていますので、墓参りというほどでもないのですが、手を合わせてきました。

27
実大寺の隣の健速(たてはや)神社・・・

島崎藤村「千曲川のスケッチ」には健速神社の「十三日の祇園」として描かれている祇園祭の舞台です。

この急な石段を、若衆に担がれた一気に駆け下りるクライマックスは手に汗を握ります。

28
私の前に一人おまいりしたようです。

健速神社は十七世紀後半の寛文年間にこの地を治めた小諸藩主の酒井忠能は、厳しい検地を実施して領民に苛酷な政治を強いたために、領内で一揆が発生、その為に駿河国へ移封されてしまいす。
替わった藩主、西尾忠成は失政を改めよう
延宝3年(1675)に、他の場所にあった、健速神社をここに移し祇園祭を始めたと伝わっています。

30
荒町に移って光岳寺・・・
浄土宗のお寺です。

江戸へ向かう北国街道は光岳寺の前で本町から、荒町へと直角に曲がります。本町の突き当りに光岳寺があり、ここはもう荒町です。街道に面してこの高麗門形式の総門があります。
この総門は江戸時代に、小諸城の武士たちの城への通用門だった足柄門を移築したものです。足柄門は大手門と次の三の門との間に入るようになっていました。今はそのあたりは、しなの鉄道の線路になっています。そのあたりは足柄町と呼ばれています。

城の入口は大手門で、藩士たちはみんな登城する時は大手門からと思われがちですが、大手門は城主や特別な客のための正式な門、格式が高いのです。家臣たちは裏門の通用門から登城しました。江戸城外の桜田門も通用門です。井伊大老といえども大手門でなく桜田門を使っいました。

明治維新になって、城の建物は取り壊すか、払い下げられました。今は重要文化財になっている小諸城の大手門と三の門も、一度は民間に払い下げられています。そうした門が残りました。買い手が無ければ解体されてしまったようです。

32
光岳寺の山門です。

唐風楼門で、小諸の寺の中では、玄江院と共に、もっとも立派なものです。

山門は寺によりますと「1729年(享保14年)小諸藩牧野家二代康周家臣 大田彦左衛門(番頭)より、楼門(山門)・鐘堂・釈迦三尊・十六羅漢・鐘の寄進される。」とあります。家臣からの寄進のようにとれますが、そんなことはありようが無く、大田彦左衛門を通じ、藩からの寄進と考えていいでしょう。

33
光岳寺は、浄土宗の寺で本尊は阿弥陀如来ですが、境内には成田山の不動堂があり、「成田山」の名で親しまれていました。昭和の初めまで、毎月末には、光岳寺境内の神社「成田山」の市が立ち本町通りは賑わったそうです。

親しまれていました。と書きましたが、その不動堂がなくなって空き地に・・・

11
今お寺の経営も大変なようです。本堂や庫裏なら別ですが再建されることはないのかもしれませんね。

35
光岳寺本堂・・・

小諸城は山本勘助の築いた城という説が有りますが、山本菅助という名前の人物がいたことは確かなようですが、その活躍を示した歴史的な文献には登場せず、弁慶や猿飛佐助と同じように、現在に伝わる英雄伝説のようです。小諸城の最初は武田の武将が縄張りをしたことは間違いないのですが、現在の近世の城としたのは、仙石秀久です。その後仙石氏は真田信之の後に、上田藩主となりますが、その後、小諸藩は一時廃藩となりますが、しかし、寛永元年(1624)松平憲良が小諸藩主として入封して、小諸藩は復活します。
松平憲良は徳川家康の母の「お大(於大)の方」の曾孫(ひ孫)にあたり、下総関宿にあったお大の方の菩提所を小諸に移すために寛永元年(1624)に天機山伝通院光岳寺を建立し伝通院の位牌が祀りました。伝通院はお大の方晩年の院号です。
この光岳寺にはその後、明治まで、藩主を務めた牧野家は、明治維新後、菩提寺である泰安寺が廃寺となり、菩提寺を光岳寺に移したため、 本堂の屋根には、左から牧野の三つ柏、徳川 三ッ葉葵、松平 星梅鉢の三家の家紋が並んでいます。

37
光岳寺の隣の華林山宗心寺があります。

光岳寺を創建した松平憲良の墓所は東京の板橋の総泉寺というお寺とここ宗心寺だそうです。光岳寺が菩提寺なのにと思いますが、色々と事情がありそうですが、総泉寺は宗心寺と同じ曹洞宗の寺なので、宗派の違いということなのかもしれません。

38
宗心寺の松・・・

51
福聚山海応院(かいおういん)の参道・・・

この参道、身が引き締まる気がします。

52
海応院は戦国時代の天文5年(1544)に開山した曹洞宗の古刹です。
なかなか古刹らしい雰囲気があります。

この寺は戦国時代には小諸城内の五軒町にあったそうです。江戸時代になって、小諸城主となった青山宗俊が城内の五軒町に新馬場を造ったためにも、荒町に移建されました。

55
海応院本堂・・・

慶長5年(1600)9月、関ヶ原の合戦前に二代将軍徳川秀忠は、上田城攻めを行います。第2次上田戦争です。しかし真田昌幸に阻まれ、手痛い敗北を喫します。そして体制を整えているところに、「九月九日までに美濃赤坂へ着陣すべし」という家康から指示で、真田と和睦せざるをえなくなります。
この時、海応院住職が真田昌幸との間に入って和睦が成立し、秀忠は関ヶ原に向いますが、家康の書状は豪雨による川の氾濫によりおくれ、秀忠の道中の悪天候も災いして、9月15日の関ヶ原本戦に間に合いませんでした。

57
海応院の境内にある潜龍(せんりゅう)乃松です。
樹齢三百七十年の一本の木です。

秀忠は和睦の礼として海応院に「下馬札」「軍配」等などの品を贈り、今も寺に伝わっています。
参勤交代の大名は小諸宿を通過する時には、駕篭から降りて海応院の前を通ったそうです。後世の創作でしょうが・・・

[ 投稿者:オコジョ at 08:30 | 小諸 風景 自然 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんばんは
雪の中を歩かれたんですね。
海応院、何とも幽玄で立派な雰囲気ですね。
光岳寺を境にして、本町から荒町になるんですか。
その先は与良町で良いんですよね。

小諸って、いろんなお殿様が治めたんですね。
仙石秀久のお墓が岩村田の西念寺の前にあったと思いますが、何故小諸ではなかったんでしょうね。
投稿者: 万見仙千代 at 2018-02-10 21:53:02
万見仙千代さんへ
おはようございます。
雪は止むと思ったのですが。心がけが悪く止んでくれませんでした。
海応院は小諸の中でも、独特の雰囲気があり古刹という感じです。

光岳寺の前の通りはら荒町、曲がったところから本町になります。
荒町のさきが与良町になります。

仙石秀久のお墓が岩村田の西念寺の前にあるのは岩村田藩の内藤家の墓所ですが、初代小諸城主仙石忠久の墓は本堂の西側にありますね。
小諸ではなかったかというと、江戸時代初めは岩村田藩はなく、小諸五万石の領地でした。仙石秀久はこの寺を庇護して文禄年間(1592〜96)に堂宇の修築など境内の整備を行い自らの菩提寺としたそうです。

これから岩村田の初午に行きます。雪がなくて一安心です。
投稿者: オコジョ at 2018-02-11 08:39:41

この記事の固定URL
http://shinshu.fm/MHz/90.97/archives/0000547159.html

記事へのコメント
 
簡単演算認証: 5 x 9 + 5 =
計算の答えを半角英数字で入力して下さい。
名前: [必須]
URL/Email:
タイトル:
コメント:
※記事・コメントなどの削除要請はこちら