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浅間山 (8月20日 浅間山 小諸市耳取地区より)
999 ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2018年02月04日
中山道 小田井宿2 裏道を行く
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この日の浅間山・・・

小田井宿は通り抜けたのですが、もう少し裏通りを・・・


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小田井宿の岩村田宿側の桝形から横道を入ると、こんな石仏や石碑が並んでいました。

左から如意輪観音、馬頭観音碑、二十三夜塔、双体道祖神、そして。氏神様か道祖神の石祠・・・
元は街道筋にあったのかもしれません。

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双体道祖神は摩耗しているような・・・
というより削られたといった方がいいようです。明治の廃仏毀釈で削られたのかもしれません。道祖神は仏ではないのですが、石仏といわれるように仏との区別はあまりされなかったようです。「神仏」といいますし・・・

この時代に首をもがれた石仏は多いですね。受難の時代だったようです。
それは。街道の宿場も同じだったのかもしれません。

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小田井宿の西側に宿場と平行してつけられているこの道は、この宿に住んだ農民たちの生活の場であったようです。

落ち着いた時の流れを感じさせる道らしさがありました。

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原田さんというお宅・・・
この辺りは原田一族の里だったようです。

この家も素適です。

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その先に「御高札場跡」碑がありました。
高札場は宿場通りの本陣前にもありましたが。裏待ちのここにもあったようです。

横の由来碑、長いですが全文を載せます。

 庄屋堰の由来
慶安三年(1652))御影新田村 柏木小右衛門堰元となり、小諸藩の助力と佐久地方より多くの農民の協力を得て千ヶ滝から塩名田落尻に合流するまで延々九里の御影用水を完成させた。
庄屋用水は慶安五年(1652)御影用水の水割りの際、前田原村十数戸の用水と高札場の防火用水を兼ねて、三ツ谷の御影用水本流から二合の分水割り当てを受けた。用水は水田を潤しながら飯玉神社の西を通り。宮ノ本を経てとして中屋敷に入り原田伍平屋敷(現尾台喜包氏)を通り、「御高札場用心水」として庄屋内(現原田泰)を流れ原田一郎屋敷落尻より濁川に合流していた。この間、原田一族十数戸の屋敷内を流れていたのが「庄屋堰」である。昭和20年代まで水が流れていたのが今は堰跡のみが残っている。
御高札場跡碑とともに庄屋堰の由来を残す


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この石積が庄屋堰の跡でしょうか・・・

水道がひかれるようになって堰はその役割を終えたようです。

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庄屋堰の注いでいた濁川・・・

浅間山の石尊山当たりを水源として、付近には血の池や血の滝という怖い不気味な名前の場所があります。血の滝は別名を赤滝というようにこの水の色からの命名です。
水源に行ったことがありますが、無色透明ですが、すぐこの色に変わっていきます。
湧き出した水は無色透明なのですが、鉄分を多量に含んだ水ですので流れているうちに空気と触れて酸化してこの色になります。

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道が突き当たると神社があります。
鳥居の額には長倉神社と諏訪神社が並んでいます。長倉諏訪神社と呼んでいますが、長野県神社庁のHPでは「社長倉神社・諏訪神社合殿」となっています。 

神社庁のHPをお借りして、この神社の由緒です。
「この神社はかつては、伍賀地区久能の宮平に祀られていた春日神社であったと伝えられる。
文亀2年(1502)上小田井に移され創建されたといわれ、天正16年(1588)に現在の小田井の地に遷した。
小田井の里の氏神として崇敬されている。
現在の社殿は明治17年(1884)に改築され、昭和62年(1987)には本殿上屋がかけられ、拝殿の葺替えをする。」


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長倉諏訪神社拝殿です。
鬱蒼とした落ちついた杜のなかで素朴な感じです。

小田井宿・旧本陣に残されている覚書では天正16年(1588) に小田井宿に新しい村ができたときに、上小田井から鎮守として諏訪社が遷座されたとあるそうです。享和2年(1802)には長倉神社と名を変えているようですが、こうしたことから「長倉神社・諏訪神社」となったようです。

ただ神社庁のHPには春日神社とあり、上小田井に移った時は春日神社だったのだろうと思います。その後、武田によるしなの統一があり、武田信玄の崇拝する諏訪明神を神として加えて諏訪社としたのではないかと思います。そして、平安時代の延喜式にある長倉神社をなのったのではなかったかと・・・

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中には随神がいらっしゃいました。

延喜式の長倉神社は長い歴史の中で、どの神社だったのかわからなくなってしまいました。候補としては中軽井沢の長倉神社、軽井沢・借宿の近江宮、そしてこの神社も候補のひとつです。

現在のこの神社の祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)と 建御名方命(たけみなかたのみこと) です。

建御名方命は諏訪明神とも呼ばれた諏訪神社の神ですが、天児屋根命は春日権現(かすがごんげん)、春日大明神とも呼ばれた神です。

天照大神の天岩戸(あまのいわと)伝説は有名ですが、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)のセクシーな踊りと神々の笑い声につられて、岩戸を少し開けた時に太玉命とともに鏡を差し出した神です。
古事記には中臣連(後の藤原氏)の祖と書かれています。藤原氏が氏神を祀る神社として創建した春日大社の祭神四柱の神です。

こうしたことからも、本来は春日権現を守る神社だったようです。

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立派な藁馬笑う間ですね。
二月上旬の、町指定無形民俗文化財「小田井の道祖神祭り」の藁馬が境内のお堂にありました。
道祖神祭りには、子供達が、このわら馬を引き回し、各地区を巡って道祖神にお参りをします。ほかに小さなわら馬も用意されます。その小さなわら馬には小豆餡や黄粉の付いた『おはぎ餅』をつけ、道祖神に供えた後これを食べます。そうすると食べると、その年は風邪を引かないそうです。

こちらではこうした道祖神祭りが行われるところがいくつかあります。そうした祭りをいつまでも続けてほしいですね。

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小田井宿の話はほぼ終わりです。でも、帰りは街道を少したどります。

道は佐久市に入り岩村田宿へ・・・

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白山比咩神社・・・

白山比咩神社は加賀白山の神。菊理媛命(くくりひめみこと)を祀る神社です。
白山=歯瘡ん(はくさん)という洒落から白山神社は歯の神様だとか・・・
菊理媛命は知らないよといいそうな気もしますが・・・
昔から歯痛は人々を悩ませたようです、藁をもつかむつもりで神頼み・・・

菊理媛の「くくり」は「括る」にもつながるとして、現在は「和合の神」「縁結びの神」だそうです。我が家にもご利益を受けたい息子が二人いるのですが・・・

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ここにも馬頭観音など、神たちが集っていました。

この先で現在の中山道の県道に合わさります。

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県道をゆくと道脇に塚があります。ここは日本橋から42番目もつまり42里(約165km)の中山道の鵜縄沢(うなわざわ)一里塚です。

なんとなく林みたいで一里塚に見えないですね。ここは中山道が作られた時の一里塚だったそうですが、寛永年間に道が西側付け替えられて街道から外れてしまったそうです。一里塚は2つの塚があり、その間を街道が通っていたのですが、ここは東の塚です。
改修された道は西の塚の脇を通ったために県道の自動車道路になったために削られてしまったそうです。

岩村田は良く行きますので、この辺りで小諸にむかいました。


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黒斑山も立派でした・・・

一ツ谷大塚古墳
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御影地区から一ツ谷の住宅街を抜けていくと一ツ谷大塚古墳があります。
古墳の上に浅間山を載せてみました。

前に来た時は、ここは民家の敷地内で周りをブロック塀囲まれていて、アップしなかったのですが、民家はなくブロック塀も撤去されていましたので立ち寄りました。
以前は古墳の後ろに塀があり、その向こうが道だったのですが・・・

こちらが南側なので入口があるのでしょうがよくわかりません。

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この古墳は小諸市の史跡となっていても市によると史跡径14×11m 高2mの円墳だそうです。

土地が売れて家が建つと、見学しにくくなりそうです。

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最後に浅間山をもう一枚・・・

[ 投稿者:オコジョ at 08:35 | 中山道 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんばんは
小田井宿の西側に、もう1本道路があるんですか。
これは知りませんでした。
知っている方に、小田井の原田さんがいらっしゃいますが、小田井には多いんですか。
これも知りませんでした。
長倉諏訪神社、立派ですね。
地区の方々で、一生懸命守っておられるんでしょうね。
小田井に行くときは、インターウエーブに車を止めて歩いたものです。
最近万歩計を貰ったので、一生懸命歩くのも良いですね。
投稿者: 万見仙千代 at 2018-02-04 20:30:24
万見仙千代さんへ
こんばんは
宿場には本通りのほかに寺町とか、地元の居住のための裏道があることが多いですね。
岩村田でも、竜雲寺から佐久ホテルへの道などもそうした道だったのではないかと・・・
こういう道は特別なものはないですが。意外と昔の味わいを残していたりします。
ご存知の、小田井の原田さんもこの道沿いにお住まいかもしれませんね。佐久地方にはわりと多い名字ですね。
この時も、女性の方が、神社の社殿から出ていらっしゃいましたが、中野提灯の明かりをともしたり、清掃などをしたようでした。そうしたことが神社を守っていくことに繋がっているのでしょうね。
私も定年後、万歩計を愛用しています。
使っているとやはり励みになりますね。
携帯にも歩数計機能がありますが。置きっぱなしで、0の日が多いです。今日も今見たら0でした。(笑)
投稿者: オコジョ at 2018-02-04 21:39:06

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