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浅間山 (11月17日 佐久市御牧原より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2017年11月13日
上田真田の里の片隅で1 下原地区 自性院 六角堂 出早雄神社
1
真田家発祥の地といわれる上田市真田地区にやってきました。
昨年は大河ドラマの「真田丸」で上田も賑わったようです。昨年は真田家と関係のあるところは混みそうなのでなるべく避けていました。上田城には、同じ上田の国分寺の藤の花を見たときに、足を延ばして一度いきましたが・・・

ここは真田氏記念公園・・・
上田から、国道144号線沿いの小さな公園です。
真田三代のレリーフが迎えてくれます。
左から真田信繁(幸村)、真田幸隆、真田昌幸があります。ここでは信繁でなく幸村となっています。真田幸隆は真田氏中興の祖、そして子の昌幸、孫の信繁というわけです。「真田丸」は武田の滅亡から始まっていて幸隆の出番はなかったですね。
個人的には真田三代には真田家を存続させた真田信幸は欠かせないのではないかとおもうのですが・・・
今回のテーマは真田家ではないのですが・・


2
こんな道を登ります。いきなり、階段の細い道だなと・・・
でも、道標はこの先150mに自性院(じしょういん)があると教えています。

昨年、このあたりの矢沢山と殿城山に登った時に。蓮で通りかかったこの辺りの雰囲気が良くて、いちどゆっくり歩いて見ようかなと・・・

この近くでコンサートがあることを知り、急に思い立ったので、事前の下調べは無しです。地図の神社や寺マークのところをつなげて、行こうかと・・・

3
石段から真田の町・・・
中央の家の後ろの林が真田氏記念公園・・・
この辺りは、真田の入口あたりで、下原地区といいます。

5
石段を登ると石垣を積んだ棚田・・・
その億に古民家があり、その左に烏帽子岳が素敵な曲線をつなげていました。

6
古民家に柿が似合っていました。

7
曹洞宗・宝珠山自性院(じしょういん)・・・
この時は現地に説明もなくどんな寺かわからなかったのですが、他の寺や神社同様にあとから調べました。今回はほとんど、そうなのですが・・・
それによると、この寺の開基は寺院によると永正17年(1520)に村上義清の父・顕国が開基したと伝わっています。

8屋根の寺紋は「丸に上文字(じょうもんじ)」の村上氏の家紋です。
大河ドラマ「真田丸」に登場した西村雅彦さんが演じて、信繁に対して「黙れ小童!」と、叫んでいた室賀正武の室賀一族は村上の配下であり、一族で同族の雨宮、清野、屋代、荻原氏なととともに「丸に上文字」の紋を使っていて、この地方ではわりと多い寺紋です。
もっとも、上田は六文銭ばかりですが・・・

この本堂は約200年前の江戸中期に再建されたものだそうです。

9 (1) 9 (2)
左は自性院の前にあった石仏・・・
というより自然石です。道祖神といっていいでしょうね。
道祖神というと、男女の神が寄り添った双体道祖神を思い浮かべますが、単体の神の像もあります。また石祠、金精のように性の形や、文字碑、自然石などいろいろな形があります。
呼び方も、塞神、幸神、岐神、祖神、行神、路神、道神、石神、船戸神など色々です。

道祖神の名前が示しているように、道を守る神、つまり集落に悪霊や悪病が入るのを防ぐ神とされていますが。元は別々の素朴な古代の神だったのがそうした神たちの総称として道祖神となったようです。
後の丈は矢竹・・・
弓の矢に使った竹です。ここの竹も,わかりませんが・・・

右は自性院の参道の碑、左の2つは庚申塔ですね。一番右は六地蔵のレリーフによる板碑のようです。なかなか趣と歴史を感じさせるものでした。

10
六角堂というからどんな姿かなと寄ってみます。
50メートルですからね。

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六角堂・・・

六角ではないですね。右端の板に消えそうな説明が墨で書かれていました。

「区○○「お堂」と称され呼ばれて親しまれていた。この建物はかつて、消防庫が置かれ、軒に半鐘を吊るす腕木が見られる。大正七年に下原区から大原区が分区するまで集会所であったという。両区共有の貴重な文化財である。」 

残念ながら、六角堂の名前の由来は判りませんでした。

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中には観音様が・・・

このお堂は火防観音を祭っていて、二十三夜講などのお日待ち・月待ち講の会場や村の集会場として使用されたそうです。人々が集まり、親睦の場でもあったようです・

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六角堂あたりにも素朴な神が・・・・

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こんな山里を行きます。

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こちらでいう「稲こき」の作業中・・・
「 脱穀」といいますね。樅を茎から離す作業です。家族総出で秋の素敵なもとで、行われていました。一年の努力が実る時です。

残辺りは下原でなく出早地区なのかもしれませんが、下原に隣接するということで、ここ手に載せます。

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「稲こき」をしていた近くの出早雄神社(いずはやおじんじゃ)・・・

祭神は出早雄命(いずはやおのみこと)も出速雄命、伊豆速雄命とも書くそうです。木花開耶姫命・塩土翁も一緒に祀っているそうです。

出早雄神は大国主大神の六柱の子の建御名方神が諏訪の神となって、その妻の八坂刀売神との間に生まれた神です。諏訪史料叢書ではその子孫が諏訪氏となったとあります。
農耕神の神として祀られていることが多いようです。

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出早雄神社は古くから水を配る神の社として出配(いずへ)神社という名前だったそうですが、明治2年出早雄神社と改めたそうです。

明治43年に、同じ村の中に建っていた皇大神社と十二神社を合併している。
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素朴な本殿ですが寛政年間(1789-1800)の建物だそうです。

彫刻や組物から時代を推定して、脇障子の上部に蕨手装飾が佐久地方の様式を取り入れているそうです。といっても私にはよくわからないのですが・・・

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見事な欅の巨木ですね。

た。社叢(しゃそう)はケヤキの巨木が主で拝殿前に5本の大木があった。周囲8m、推定樹齢800年を超えるものもあったが現在は2本が残るのみとなっている。

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もう一本の欅・・・
この欅を含めてこの神社の社叢は上田市の文化財に指定されています。

神社の歴史の深さをこの欅が語っているようです。

[ 投稿者:オコジョ at 07:34 | 上田市・小県郡 | コメント(2) | トラックバック(0) ]

この記事へのコメント
こんばんは
真田信之
やっぱりこの方の碑が無いのは寂しいですよね。
真田家にとって、大事な人だと思うんですが。
ここは、真田城跡の辺りでしょうか。
佐久に来て間もない頃、真田城跡には行きました。
本当に何もない長閑な山でした。
真田記念館?を拝観して、その敷地にマレットゴフル場があったのにビックリ。
私が行ったのは、この辺りだったのかしら。
投稿者: 万見仙千代 at 2017-11-13 21:50:48
万見仙千代さんへ
こんにちは真田信繁の活躍がはっきりしているのは大坂の陣だけです。それまでは父や兄の影に隠れてしまって活躍の場がなかったのかもしれません。
当時は、新聞もやテレビもないし、細かいことはわからないのが事実ですが・・・
真田信之は名君だったし、信繁に勝るとも劣ることのない武将だったのですから、もう一つ席を用意してあげたいですね。
真田城跡の真田本城は確かにここが城跡という感じですね。
ここは公園というより道を派に碑があると、いう感じです。上田から、真田地区に入ったあたり、道沿いにお屋敷公園の真田歴史館より2キロくらい上田寄りです。お屋敷公園はもう少し昔の雰囲気があるといいのですが・・・
この辺りはマレットゴルフ場が多いですね。
投稿者: オコジョ at 2017-11-14 11:43:34

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