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浅間山 (11月17日 佐久市御牧原より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2017年11月08日
海野宿辺り・・・
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上田市大屋地区の千曲川・・・

10月に立て続けに台風が来て、少し前まで千曲川は濁流の土色でした。
少し落ち着いてきたようです。でも川幅いっぱい元気よく流れていました。

今日は大屋駅から海野宿ふれあい祭の時の祭りに関係のない写真です。
大した写真はないですが・・・


2
江戸時代の北国街道の通り・・・

今は車も人もめったに通らない道です。
でもなんとなく、古い昔の香りがするような・・・

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古い道を選んだのは、妻が石造りの仁王様に逢いたいと・・・

妻はウォーキングの会で海野宿から上田宿は何度か歩いているようですが、道から少し入ったこの千曲川岸の仁王堂には寄らなかったそうです。

仁王様は「阿・吽(あ・うん)」で一対ですが、ここはで吽形一体のみ・・・
阿吽は密教で「阿」は万物の根源、「吽」は究極のことだとか。このことより宇宙の始まりと終わりを表す呪文(真言)なのだそうです。阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音です。これがぴったりとそろうのが「阿吽の呼吸」なのだそうです。一体では「阿吽の呼吸」にはなりませんね。

現地の「大屋仁王尊由来記」という説明によると、徳川家光の時代の「田畑検地帳」をはじめ、出石藩より上田藩主に移封した松平忠周が藩主の時代の「大屋村差出帳」に観音堂跡、阿弥陀堂跡などと共に「仁王堂」という記載がありここのことのだそうです。ここにあったお寺の「仁王堂」で寺を守っていたようです。
昨日も説明しましたが寛保二年(1742)八月一日の「戌の満水」の大洪水で、この仁王堂も壊され、相方阿形の仁王尊は流失し手行方不明になってしまいました。残った仁王は赤ですが、もう一体は青だったそうです。

ウォーキングは歩くことが目的でこんな小さな歴史は二の次のようです。
妻は今年の2月に私と海野宿を今回と反対にあるいて初対面、「可愛い」とお気に入りになったようです。「可愛い」といわれて、目を吊り上げている仁王様が苦笑しそうですが・・・

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海野宿のある本海野の手前の西海野に入ります。

西海野は宿場ではありませんが、古い建物も残っていて街道という雰囲気があり落ち着いた街並みです。ここは海野宿の補助として北国街道の荷駄の馬の管理や荷物の運送する人たちが住んだところのようです。

普段は人の姿を見ない道ですが。この日は海野宿へと向かう人が何人も前を歩いていました。

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道の真ん中に用水・・・
江戸時代の重要な街道の宿場には、このように道の真ん中に一本の宿場用水が流れていたようです。小諸宿も道の真ん中だったそうです。

理由ははっきりしていないようです。最初からこうだったと・・・
後世の人の想像では、大名行列のさいすれ違いなどで、トラブルにならないためとか、宿場は両側に家があり、側溝を二本作ると、建築に費用がかかることと真ん中だと位置的に公平でもめ事にならないなどとも言われます。

ここはそうした昔の儘の用水が残っていて、いかにも街道の宿場らしさがあります。

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この日は祭りのために海野宿は車の乗り入れは禁止でした。
ここはお堂です。以前は心光寺というお寺だったようです。
中には仏様がいます。
如来さまたちは大日如来を別にするとみんなよく似ています。衣服や髪などの容姿では区別がつきません。でも、両手の形を印相といいますが、この指の形がそれぞれ違います。この如来は指で輪を作っています。これは阿弥陀如来の特徴です。

手前の左脇侍(向かって右)観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩を従えた阿弥陀三尊という形です。
寺は廃寺となっても、仏様は守られているようです。

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ドウダンツツジの赤が見事でした。

行く手に「時代衣装行列」が見えてきました。行列の出発に間に合ったようです。

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行列を待つ町並み・・・

行列は、昨日紹介済みです。

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普段は閉まっている縁側が、格子戸や戸を外して、お休み処となっていました。

このお宅は屋根より一段高く上げた防火の「本うだつ」があり、2階の街道側は天井が低くなっていて、これも江戸時代の建物の特徴です。
これは二階から通りの大名行列などに弓矢や槍が使えないように、わざと低く作ら菜の手はならなかったそうです。

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団子を焼いて、みたらし団子とくるみ団子にしていました。
くるみ団子を妻が購入・・・
奥でお茶と一緒に楽しめるのですが、持ち帰りで、3時のお茶に頂きました。甘さ控えめで、胡桃の風味が素敵で美味しかったです。

名物くるみおはぎやほうとうの販売もありましたが、行列なのでパス・・・
この団子は並ばずに済みましたので、購入となりました。

ほかにも特産品やケバブや販売もありましたが、我が家はこれだけ求めました。
我が家はあまりこうした場所で買うことは少ないようです。もっとも綿あめの無料配布は頂きましたが・・・

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白鳥神社の御神木の欅・・・

こちらも秋の神様でした。

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潮吹きクジラの石・・・

いつもはもっと潮が低いようなのですが。お祭りのせいか天高く・・・

海野宿資料館と玩具展示館の無料開放や人力車体験もありましたが、昼近くになり、海野宿をあとにしました。

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この後の楽しみは温泉へ・・・
こんな道です。

海野宿へは田中駅と大屋駅の中間にあり、どちらからいっても時間はおなじです。
個人的には大屋から西海野の町を抜ける街道らしい道が好みです。

宿場を端から端へと歩くのなら通り抜けて田中駅から大屋駅、または逆に歩く方が。全体の距離は短くなります。でも、田中駅前には温泉がありますので、このコースとしました。

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途中の小学校・・・

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銀杏の秋が素敵でした。

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田中駅前の温泉「ゆうふるTANAKA」・・・

ここでこんなものを食べて温泉に入りました。
私のはゆうふる御膳「きのこおろしハンパーク定食」、地酒の浅間嶽1.5合・・・

少し、塩分が強すぎたかなと・・・
塩分多めだと美味しいのですが・・・

[ 投稿者:オコジョ at 07:59 | 東御市・立科町 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんばんは
このお祭り、本当に楽しそう。
道の真ん中に用水の所は、歩いていないです。
今度行ったら、ゆっくり歩いてみますね。
ゆうふる田中、名前だけは知ってます。
スープカレーが美味しそう!
こちらでスープカレーは珍しいですね。
投稿者: 万見仙千代 at 2017-11-08 21:41:17
万見仙千代さんへ
こんにちは
あまり期待しないで行ったのですが、なかなか面白かったです。
たこ焼き屋など、外からの出店もありましたが。数件で、地元優先という感じでした。
海野宿全体が道の真ん中を用水が流れたています。ただ、片側が車道、もう方がわが歩道となっていて気が付かないで歩いている感じがありそうです。ゆうふるTANAKAは町中で、風呂の雰囲気は良いとは言えませんが。車のない我が家は駅前というが便利で時々使います。
スープカレーは美味しいですね。自分は、スープカレー専用のカレー粉を買って作ったことがありますが、面倒で、あとはカレーうどんようにして使ってしまいました。どうも酒を飲むので。つまみになりそうなメニューを選んでしまうのですが、肴は他に頼んで、スープカレーを頼んでみようかな・・・
投稿者: オコジョ at 2017-11-09 13:06:25

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