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浅間山 (11月17日 佐久市御牧原より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2017年11月07日
第27回 海野宿ふれあい祭  時代衣装行列・・・
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海野宿ふれあい祭が11月5日(日)に開催されました。良い天気なので。家にいても、もったいないと妻届掛けました。


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法螺貝の先導により、北国街道海野宿の大屋駅側から時代衣装行列の行進が始まります。
先頭は上田城甲冑隊です。

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煌びやか殿様衣装は上田城主だった真田信之・・・
地元東御市の花岡利夫市長が勤めていました。

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今回は上田城甲冑隊と松代城甲冑隊だ、そうですが、どちらも真田の赤備え(あかぞなえ)で、どちらが判りませんでした。

戦国時代から江戸時代の統一した軍団があり、黒色・黄色などもあったようですが、当時の高級品の賢者の石とも呼ばれる辰砂で染めた赤備えは、戦場でも特に目立つため、赤備えは特に武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊に多かったようです。最初に赤備えは甲斐武田氏に仕えた飯富虎昌で、赤備えは甲斐武田軍団の代名詞ともなっています。
真田信繁(幸村)は慶長20年(1615)の大坂夏の陣で、自分の部隊を赤備えにして大坂城に入城、天王寺口の戦いで家康本陣を襲い、三方ヶ原の戦い以来と言われる本陣突き崩しを成し遂げたことで有名です。

徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑といわれた徳川精鋭部隊の井伊直政の井伊の赤備えも有名です。
井伊直政は今年のNHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」で家康の小姓・井伊万千代として、現在活躍中です。

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水戸の御老公も助さん、格さんと旅の途中・・・

黄門さまはほとんど水戸と江戸の往復で、出かけたのは日光、房総、金沢八景、鎌倉、熱海くらいでそれも大名行列だったようです。
もちろん海野宿は無かったようです。真田の赤備えは江戸時代でも海野宿のはなし・・・

そういうものが混在するのが。祭りのいいとろかもしれません。

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虚無僧・・・

歩きにくくないかなと・・・
余計な心配ですね。

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古い街並みの中、みんな楽しそうでした。

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本陣前を赤備えが通過・・・

海野宿は寛永二年(1625年)に北国街道の宿駅として開設されていますが、田中宿と海野宿は合宿で、2つの宿場で1つの宿場の扱いでした。開設当時の海野宿は宿泊のための宿はなく、荷物を取り扱う伝馬役のみを田中宿と半月交代で行っていました。

しかし、寛保2年(1742)8月1日の「戌の満水」の大洪水では、千曲川流域全域に約2800人の死者を出した大災害でした。この時、田中宿は所沢川からの鉄砲水に襲われ死者68人、負傷者59人、流失家屋120軒、残った家は29軒という壊滅状態となります。
このため幕府は比較的被害の少なかった海野宿で宿泊を行い宿場の機能を備えます。その後、田中宿は立ち直伝馬役は半月交代となりますが、本陣、脇本陣は両方に置く、対等の宿場となっています。

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ここは江戸時代の建物だけでなく明治になってから養蚕の町として栄えた時代の建物がありますが。いずれにしても古い時代の面影を色濃く残しています。

中山道の木曽の宿場は観光地として、ほとんどの家が、土産物屋や飲食関係となっていて、建物は古くても、生活感がない街並みとなってしまった感があります。

海野宿の保存は、古くから「売らない・貸さない・壊さない」という三か条の掟により、昔の儘の雰囲気の町並みが残っています。

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幸村さんと記念撮影・・・

この祭りは昨年まで11月23日の勤労感謝の日に行われてきたそうですが、寒冷地の信州は、その時期では寒すぎると今年から11月第1日曜日に開催となりました。この日は穏やかな秋晴れで、それぞれ祭りを楽しんでいました。

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宿場の外れあたり、法螺貝を吹き鳴らして・・・

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白鳥神社へ・・・

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神社の前で記念撮影・・・

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甲冑隊の演武・・・

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白鳥神社に参拝・・・

[ 投稿者:オコジョ at 12:45 | 東御市・立科町 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんばんは
海野宿でこんなお祭りが!
あの日は穏やかな上天気だったから、最高のお祭り日和だったでしょうね。
東御市の市長さんも参加されてるんですね。
ところで虚無僧。
夫にも確認したんですが、小さい頃、虚無僧が町にも立っていたんです。
あれはどういう人だったんだろう??
街角に立って、尺八を吹いていたのをぼんやり覚えています。
不思議な時代でしたね。
投稿者: 万見仙千代 at 2017-11-07 20:55:59
万見仙千代さんへ
こんばんは
この時期は彼方此方で、こうした祭りが行われていますね。冬を前に最後の楽しみというところでしょうか。
虚無僧は、京都東福寺の塔頭の明暗寺(みょうあんじ)に属する普化宗の僧です。普化宗はもともとは中国で始まったそうです。僧といっても、昔から剃髪しない半僧半俗で、尺八を吹きながら行脚をして喜捨を受けています。数が少ないので、地方では見かけることは滅多にないのですが、現在あっても不思議はないです。
明暗寺で行われる尺八本曲献奏大会は有名で、、虚無僧というより、日本を代表する尺八奏者が集まり、一日中曲を奉納するそうです。
投稿者: オコジョ at 2017-11-07 21:17:59

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