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浅間山 (11月17日 佐久市御牧原より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2017年10月31日
上野三碑 ユネスコの世界記憶遺産「世界の記憶」に決定
今朝のニュースでユネスコの世界記憶遺産「世界の記憶」に上野三碑が選ばれたと報じていました。
上野三碑は群馬県、古くは上野国と呼ばれた高崎市にある多胡碑 (711年)山上碑(681年)金井沢碑(726年)の3つの古碑のことです。
今年の冬から春にに2回ほどこの辺りの丘陵を歩いて、「上野三碑」といわれる古代の碑(いしぶみ)を訪れました。
が、今年この3つの碑を訪ねました。その時の記事をまとめて再び取り上げたいと思います。

多胡碑(たごひ)
18 (0) 18 (1)
上信電鉄の吉井駅から1.5キロ離れた地区の多胡碑と合わせて上野三碑と呼ばれる石碑の一つです。国の特別史跡に指定されています。

る多胡碑、碑文と現地にあった訳で・・・

弁官符上野国片岡郡緑野郡甘
良郡并三郡内三百戸郡成給羊
成多胡郡和銅四年三月九日甲寅
宣左中弁正五位下多治比真人
太政官二品穂積親王左太臣正二
位石上尊右太臣正二位藤原尊

現代語訳
朝廷の弁官局から命令があった。上野国片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新たに郡をつくり、羊に支配を任せる。郡の名は多胡郡としなさい。和銅四(711)年三月九日甲寅。左中弁正五位下多治比真人による宣旨である。太政官の二品穂積親王、左太臣正二位石上(麻呂)尊、右太臣二位藤原(不比等)尊。



17

こんな風に大切にされています。

内容的には上野国の片岡郡・緑野郡・甘良郡から300戸を分割して、新たに多胡郡を作ったということですね。
このことは『続日本紀』にも書かれています。

藤原不比等の名がありますが。藤原鎌足の次男で、藤原氏の繁栄への基礎を築いたことで知られています。

この碑は宮城県多賀城市多賀城跡内の多賀碑(国宝)、栃木県大田原市の那須国造碑(国・重要文化財)とともに日本三古碑の一つです。

ただ、単に古いということではなく、日本の書道史上重要として、蔵の特別史跡に指定されています。古いだけなら「上野三碑」の山上碑(681年)ほうが古い碑です。

この碑は江戸時代の国学者高橋道斎が、初の手本になるものと紹介して、多くの文人、墨客が多胡碑を訪れたそうです。
書について私はよくわからないのですが、運びはおおらかで力強く、字体は丸みを帯びた楷書体だそうです。この書は清代の中国の書家にも価値が認められ、楷書の辞典である『楷法溯源』に多胡碑から39字が手本として採用されているそうです。


山ノ上碑(やまのうえのひ)
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多胡碑から離れた3キロほど離れた山名地区にある山ノ上碑・・・

文章と訳。

銘文
辛己歳集月三日記 佐野三家定賜健守命孫黒売刀自此 新川臣児斯多々弥足尼孫大児臣娶生児 長利僧母為記定文也 放光寺僧

現代語訳

辛巳年10月3日に記す。
佐野三家(さののみやけ)をお定めになった健守命(たけもりのみこと)の子孫の黒売刀自(くろめとじ)。これが、新川臣(にっかわのおみ)の子の斯多々弥足尼(したたみのすくね)の子孫である大児臣(おおごのおみ)に嫁いで生まれた子である長利僧(ちょうりのほうし)が、母の為に記し定めた文である。放光寺の僧。 


1
辛巳年とありますが。辛巳(かのとみ、しんし)は、干支の一つで60年に一度あります。時代的に考えて山の上碑は、西暦681年になり7世紀後半の日本最古級の石碑だそうです。
内容的には放光寺の僧の長利が、亡き母・黒売刀自の供養と、母と自分の系譜を書き記した母の供養としたものです。

わたしの素人は、この文を読んでもただ、家系を羅列しているようにしか見えないのですが、三家(みやけ、屯倉)は、6世紀〜7世紀前半にヤマト政権が各地方の経済的・軍事的要地として置いた支直轄の地配制度の一つだそうです。
佐野三家は高崎市このあたりの佐野・山名地区一帯にあり、健守命がその初代としてこの地方を治めたと考えていいようです。
また放光寺は、「放光寺」の文字瓦が出土している前橋市総社町の山王廃寺と推定されています。

いろいろなことがこの短い文からわかるようです。

金井沢碑(かないざわのひ)
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山ノ上碑から山を越えて2キロほどの金井沢にある金井沢碑・・・

現地の説明によりますと
金井沢碑は、輝石安山岩の自然石碑(高さ110センチ)で、112字が刻まれた日本有数の古碑である。古代豪族三家氏(さのみやけし)奈良時代初期(神亀 3(726)年)に古代先祖供養のため造立した。本碑の南西1.5キロにある特別史跡山上碑(681年立)には当地に佐野三家(さのみやけ)古代先祖供養のため造立てられた山上碑・多胡碑と合わせて上野三碑と呼ばれています。三家氏は山上碑に記された「佐野三家」(ヤマト政権の地方支配拠点)が存在したことが記されるが、三家氏はその経営者の末裔とみられる。
本碑の冒頭には「上野国群馬郡下賛郷高田里」とあり、願主の居宅は現高崎市の佐野辺りにあったようだが、碑は烏川対岸に所在し、佐野三家の領域や三家氏の勢力圏は、広く烏川両岸に及んだらしい。碑文からは願主で家長の三家子□(□は欠字)およびその妻-子-孫からなる六人の直系血族(うち女性4人)と、同族男性3人からなる既存の信仰グループが結びつき、これを立碑したことがわかる(勝浦麗子説)。
同時に大宝律令( 701年)以後定まった行政制度(国郡郷里制)の施行が確認できるほか、郡郷名の好字二字への改正令[和銅6(713)年]の実施が確かめられる。なお、本碑の「群馬」の文字は、在地最古の「群馬」の用例でともなる。また三家・他田・物部・磯部といった氏族が存在し、婚姻や仏教儀式で結びついていたこと、女性の社会的位置のあり方、鉄器生産に従事した鍛師の存在など産業構造も本碑のから知ることができる。(以下略)  


13
<碑文>
  上野国群馬郡下賛郷高田里
  三家子□(□は欠字)為七世父母現在父母
  現在侍家刀自他田君目頬刀自又児加
  那刀自孫物部君午足次蹄刀自次乙蹄
  刀自合六口又知識所結人三家毛人
  次知万呂鍛師礒マ君身麻呂合三口
  如是知識結而天地誓願仕奉 
  石文
   神亀三年丙寅二月廿九日

上野国(こうずけのくに)群馬郡(くるまのこおり)下賛郷(しもさぬごう)高田里(たかださと)の三家子□が(発願して)祖先及び父母の為に、ただいま家刀自(いえとじ 主婦)の立場にある他田君目頬刀自(おさだのきみめづらとじ)、その子の加那刀自(かなとじ)。孫の物部君午足の(もののべのきみのうまたり)次の蹄刀自(ひずめとじ)、次の乙蹄刀自(わかひずめとじ)の合わせて六人、また既に概略仏の教えで結ばれた、三家毛人(みやけのえみし)、次に知万呂、鍛師(かぬち)の礒部君身麻呂(いそべのきみみまろ)の合わせて三人が、このように(我家と一族の生え映を願って)お祈り申し上げる石文(いしぶみ)である
 神亀(じんき)三年丙寅(ひのえとら)二月二九日


簡単にいうと奈良時代初めの神亀3年に、三宅氏の氏族たちがが、仏教により先祖を大切に供養するとともに、一族の繁栄を祈るためこの石碑を建てたということですね。
でも、この短い文の中から、色々なことがわかるようです。


[ 投稿者:オコジョ at 07:23 | その他 | コメント(4) ]

この記事へのコメント
こんばんは
さっき、TVで見たばかりです。
世界遺産になったんですね。
多胡碑という名前は聞いたことがある(ような)気がするんですが、このブログで内容が分かりました。
TVで見た時は、なんて地味な・・・と思ったんですが、歴史的に重要なものなんですねぇ。
それにさすがオコジョさん。
そんなに早く見に行かれていたなんて。
どうしても世界遺産と言うと、富岡製糸場のような大きなものを連想してしまいますが、こういう地味な碑にもそれだけの価値があるんですね。
投稿者: 万見仙千代 at 2017-10-31 19:06:02
万見仙千代さんへ
こんばんは
「世界の記憶」は歴史的な文書や絵画、音楽を後世に残すため、ユネスコが最新の技術を駆使して保存し、広く公開するというものです。
登録されているものの中ではべートーベン「第九」と楽譜、「アンネ・フランクの日記」は有名ですね。
日本では炭鉱記録画家・山本作兵衛の「筑豊の炭鉱画」、藤原道長の日記『御堂関白記』も『慶長遣欧使節関係資料』、『舞鶴への生還 1945-1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録』『東寺百合文書』などがあります。いずれも価値は高いのですが、一般不的には自然遺産や文化遺産に比べると地味ですね。これで観光客が増えるとは思えませんが、登録により。こういうものがあるということが知られることは良いことかもしれません。私じみですね。

信州の冬は、山歩きは私には厳しいものがあり、群馬の低い山を歩いた時に出会って、2回に分けて訪れました。これが目的というわけでなく、サブなのですが、歴史を感じさせるものでした。
投稿者: オコジョ at 2017-10-31 21:43:07
無題
上野三碑の多胡碑に書かれている右太臣が登場する
WEB小説「北円堂の秘密」を知ってますか。
グーグル検索にてヒットし、小一時間で読めます。
少し難解ですが歴史ミステリーとしても面白いです。
北円堂は世界遺産・古都奈良の興福寺の八角円堂です。
投稿者: 名無しさん at 2017-11-03 22:06:41
名無しさんへ
ご紹介ありがとうございます。
興福寺は不比等の創建でしたね。国宝・北円堂を懐かしく思い出しました。素敵なお堂ですね。確か不比等の一周忌に建てられたのではなかったかと・・・
八角円堂は夢殿を始め、多くはないですが素敵な建物が多いですね。
投稿者: オコジョ at 2017-11-04 10:21:59

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