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浅間山 (11月17日 佐久市御牧原より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2017年10月24日
南紀の旅 白浜と串本  白浜・三段壁(さんだんべき)
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義父は那智の滝にも思い出があるようですが。翌日の飛行機の時間などから、白浜で連泊としましたので、白浜から那智往復は時間的にも体力的にもきついということで、串本までとしました。

話を聞いてみると、白浜の三段壁の洞窟が南紀で一番印象に残っているということなので。潮岬から来た道を戻って三段壁にやってきました。


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三段壁は「円月島(高嶋)・千畳敷・三段壁」として白浜の名所として知られ国の名勝となっています。

この辺りは「崎の湯」というそうですが長さ2km、高さ50m - 60mに及ぶ柱状節理の岩壁となっています。

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反対側もこんな絶景・・・

岩も素適ですが、南紀は海が綺麗です。
その青さに魅せられます。

この壁のどこが三段なのか・・・
岩壁が三段になっているわけではないようです。
一番有力な説は、元ここは魚の群れを見つけるための監視場の見段(みだん)だったと言われます。魚でなくて潮岬の鯨山見のように鯨という説もあるようです。いずれにしても見張る段のある岩壁で見段壁(みだんべき)が三段壁の字が使われ、やがて「さんだんべき」読むようになったようです。

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岩壁の上の展望台・・・
雄大な太平洋が楽しめます。

私はここで見ているか、もう少し先までできれば千畳敷まで岩壁を眺めて歩くのがよいのですが、義父の思い出は三段壁洞窟です。

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牟婁(むろ)辯天(弁財)堂の本堂・・・

三段壁洞窟はここから入ります。

牟婁というのは田辺湾の白浜からから潮岬までの枯木灘と、潮岬から三重県志摩の大王崎までの熊野灘沿岸まで、いわゆる南紀の海岸沿いの地方の呼び名です。
南紀というと紀州徳川家の治めた紀伊国の南の地方と思われていることが多いのですが、南海道(なんかいどう)紀伊国の略です。
南海道というのは、古代日本の律令制に定められた五畿七道(ごきしちどう)の一つです。五畿七道は東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道など現在にもいろいろな使われ方をしています。南海道は、紀伊半島、四国、淡路島です。
紀伊国は和歌山だけでなく、現在の熊野市、尾鷲市などの三重県も含んでいました。熊野の熊は隈のことで「奥まった所」という意味で、牟婁は室のことで、本来は白浜から田辺市に囲まれた田辺湾をさしたようです。白浜は西牟婁郡白浜町です。
話が脱線しすぎましたね。

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辯天堂の中に入るとこんな感じ・・・
弁財天は何処・・・
辨天様のこのエレベーターの中、そんなことはないですね。エレベーターは上るか下るかですね。ここは、36m下ります。

降りるとこんな場所・・・

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若い人たちが覗きこんでいる奥には・・・
こんな海水が入り込んでいる洞窟・・・
ここは三段壁展望台の下にある波で浸食されてできた海蝕洞です。

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海側・・・

波が寄せては帰っていて、そのたびに白く泡立っていました。
なかなか迫力のある光景でした。

12十像岩
洞穴の入口の十像岩・・・

岩に10の姿が現れている「世界でもめずらしい奇岩 十像岩」とありました。説明にあった名前を載せてみましたが、見えますでしょうか・・・
同じ名前があったりして、かなり無理があるような・・・

ここは弁天堂というより、観光施設ですね。見せ場をあちこちに作り上げた・・・
江の島の岩屋洞窟みたいなものですね。ただ。エレベーターを使うにしても、入場料1300円は高いかな・・・
でも、義父は大いに楽しんだので、そう考えれば高くないのかもしれません。

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地下の暗い写真ばかりなので、一息入れて地上の写真を・・・

この岩が十像岩・・・
この右下に洞窟の入口があります。

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洞窟の中からの太平洋・・・

こういう風景の方がいいですね。

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確かに地上とは違った三段壁の姿を見られます。

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こちらが日本最大級というブロンズの牟婁大辯才天・・・
大黒天、毘沙門天に十六童子を従えどのような願いも叶えるとありましたが、だいたい寺や神社は大体、すべてにご利益があると言います。

そんなことより、見慣れた琵琶を持った弁財天ではありませんね。
弁財天は古代インドでは河の神です。河の流れる音や河畔の祭りの歌の河の神と、言葉を司る女神と同一とされ音楽、福徳、学芸、戦勝などなどたくさんの功徳を持つ神となりました。良く知られる琵琶を持つ用例な姿は良く知られていますね。

しかし日本は神仏混淆の国で、水神の宇賀神(うがじん)は弁才天が姿を変えたものだろうとされます。これが宇賀弁才天です。
宇賀神は、頭は人、体は蛇で蜷局(とぐろ)を巻く姿で描かれることから蛇神・龍神の化身です。このため、宇賀弁才天は琵琶を捨て、一面八臂(顔が一つ、手が八本)となります。そうした中で『金光明最勝王経』という経が生まれ、そこでは、手には。8本の手に弓、矢、刀、矛(ほこ)、斧、長杵、鉄輪、羂索(けんさく・投げ縄)と戦いの神となりました。『金光明経』の弁才天です。これに対して宇賀弁才天は武器だけてなく、「宝珠」と「鍵」を持ち七福神の弁天様に近づいています。ここの弁天様は宇賀弁才天と言えます。これ以上深入りするのを、やめておきましょう。ご利益があると願う心が一番ですから・・・

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その先は。こんな洞窟が続きます。ここは。三段壁洞窟によると瀬戸鉛山鉱山だそうです。この件に関しては詳しくないので。現地の由来の説明にお願いします。

  瀬戸鉛山鉱山由来
瀬戸鉛山鉱山は現白浜町三段地域に正親町天皇の時代に開鉱されたと伝えられこの鉱山は数十箇所にも及ぶ竪坑で構成、特に天文12年8月鉄砲伝来以降銃弾に用いる鉛の需要が増大するようになった。祇園南海の享保18年(1733年)の「鉛山紀行」に「金杭数十あり、鉱を開きて百年鉱脈海に入りて中止と聞く。鉱砂礫累々、皆銅船を挟み、今尚歳、銭若干を出し以って船貢に充つと言う」
慶長頃大いに衰え程なく中止となったのであろう、これがはっきりしないが「御用留」安政5年(1858)6月8日の条に鉛山村庄屋の「善右衛門申候は二百年来山は相休み御座候得共、今以て掘り姿にて年々鉛運上に仕り候言々」16世紀末から17世紀前半にかけて浅野氏や南紀徳川氏が鉛山に注目ししばしば租税を免じて躍起となって採鉱を奨励していた。これはその頃の様子を再現したものであります町には租税書が今も残り温泉神社の秋の祭礼(11月2日)には(御書祭り)と云って租税書を先頭に羽織袴の長老に続き稚児行列が賑やかに進むのは、当時を偲ばれます。


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熊野水軍番所小屋

平安時代末期の源平合戦を良く知られています。その壇ノ浦の戦いで熊野灘、枯木灘を拠点と熊野水軍は源氏に加勢して源氏を勝利に導きます。

熊野水軍は、熊野別当湛増(弁慶の父という伝説があります。伝説ですが・・・)は
これにより湛増は、神は源氏につけとのお示しと拝受し、熊野水軍に源氏方への加勢を呼びかけた。
牟婁地方は耕作地に乏しく海を舞台に活躍する水軍が早くから発達したそうです。水軍と言いますが。海賊といってもいいようです。

ここは熊野水軍の舟隠し場だったとか・・・
当時の番小屋を復元したものだとか・・・

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洞窟は200mほど・・・
また海蝕洞に戻ります。

狭い洞穴ですよね。
ここにそれなりの船を隠すのは無理なようです。興味あるところですが・・・

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潮吹き岩・・・

「対岸のやや左下方岩盤に大きな空洞があり、潮の満ち引きや歌寄せる波の圧力によりにあり、打ち寄せる波の圧力によりクジラのように数メートルまで潮を吹き上がるので「潮吹き岩」と呼ばれております。」(現地の説明)

左が潮吹き前、右が潮吹き時・・・

引き潮の時期で数メートルにはほど遠かったですか、ときおり元気よく潮を吹いていました。

義父は何とか潮を吹くところを撮影しようと、携帯で撮影を試みていましたが、なかなかタイミングが合わないようでした。チャレンジするだけ立派です。

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漣痕(リップル)・・・

漣痕は「れんこん」と読みます。「蓮根」とは関係ありません。
漣は「さざなみ」ですね。

洞窟の天井の右側の岩に盤に見える規則正しい紋がありますね。ここは約1600万年前に波や潮流によって海底の砂や泥が動かされ、周期的な波状の模様が作られたものです。それが洞穴により姿を現したもので貴重なものだそうです。

こうした自然が作り出したものは素晴らしく感動です。
この洞窟そのものとこの漣痕がこの毒角一番の見物だったかもしれません。

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牟婁山文殊堂がありました。

文殊菩薩を祀ったお堂ですが、西国三十三か所札所の本尊の石仏が安置されていました。
西国三十三か所札所の第一番は、那智の滝近くの青岸渡寺・・・

「いのちの電話」がありました。
ここ三段壁は自殺の名所として人生の終着点として訪れる人がいるそうです。
最近は、白浜警察署や白浜町・NPO法人白浜レスキューネットワーク・白浜町社会福祉協議会などが連携して、パトロールや自立・更生のための活動が継続的に行われているそうですが、そうした取り組みの一つのようです。こうした取り組みのために。自殺者は、年々減少はしているそうです。
現在は転落防止のための柵や監視カメラの設置により、白浜町・NPO法人白浜レスキューネットワーク・田辺保健所に連絡が入り、保護されるケースがほとんどだそうです。

命は大切なもの・・・
そして、多くの人に迷惑を掛けます。
この電話がそうした命を救いますように・・・

[ 投稿者:オコジョ at 09:10 | 旅 (地域外) | コメント(2) ]

この記事へのコメント
神生も旅
神社や寺院のご神体は、いわれを調べ始めると奥か深い。思わず「なんでこうなるの」。
インドから中華の国をえて日本に、また時もたって、日本に来てからも変化していますね。信仰とは、その意味するところを理解する事でしょうか。
豪快な三段壁、いつか見に行きたいと思います。
投稿者: 謫仙 at 2017-10-24 14:21:36
謫仙さんへ
日本はというより。宗教はもともとは自然崇拝だったのでしょうね。
一番は太陽でしょうか。ギリシャ神話のアポロ、天照は陽神として有名です。エジプト・インカなど太陽神の存在は大きいですね。もっとも中国には太陽神信仰は希薄のようですが・・・
そして。色々なものを神格化していったようです。日本は八百万の神・・・
多彩のようです。
三段壁は弁天様は置いておいても、那智の大滝や紀松島など、見どころはたくさんあります。
なかなかいいところです。
投稿者: オコジョ at 2017-10-24 22:00:27

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