掲示板お問い合わせランダムジャンプ

浅間山 (9月30日  軽井沢 矢ヶ崎公園より)
P2260751
ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


営利目的や記事に関係のないコメント、英文のコメントは、予告なく独断で削除させていただきます。

2017年10月10日
軽井沢 旧三笠ホテル
6
国の重要文化財・旧三笠ホテル・・・ 
正面入り口の2階部分・・・


0
この建物の屋根の装飾・・・
素敵ですね。
でも、いつも何を意味しているのかと考えてしまうのですが・・・

1
コンサート前の散歩・・・

妻と二人で軽井沢にやってきました。
途中の信濃追分駅からの浅間山・・・
秋晴れの素敵な山の姿でした。

2
やって来たのは国の重要文化財・旧三笠ホテル・・・

明治38年(1905)に竣工して、明治39年5月に営業を開始した『軽井沢の鹿鳴館』と人々か呼んだ軽井沢を代表する明治の洋館です。その本棟がこの建物です。

日本郵船や明治製菓の重役を務めた山本直良は軽井沢に牧場の経営を考えて、湯ノ沢に25万坪の土地を購入します。しかし、調べてみると、この辺りの土壌が牧場に適さないとわかります。土地の使い道を、万平ホテルの主人・佐藤万平に相談したところホテルの経営を勧められ、佐藤万平自身が建築の監督として、ホテルを建築、三笠ホテルとして創業しました。

山本直良の孫は指揮の山本直純です。

アメリカスティックスタイルという形式の木造の建物だそうです。

3
ここが玄関です。

モダンな建物ですね。
日本銀行本店や東京駅などを設計した辰野金吾の門下生の岡田時太郎の設計です。施工では現場監督は万平ホテルの佐藤万平、棟梁は万平ホテルを建てた小林代造という、軽井沢の人々中心の純日本人の手になる純西洋式木造の洋風建築です。建材は白糸滝方面の小瀬の赤松と軽井沢のものだした。

そうしたことから、全て日本人によるという建物として貴重としてとして、昭和55年5月、国の重要文化財に指定されています。


7
緑陰の中落ち着きますね。

この辺りは湯ノ沢という地名だったのですが、ここから見える愛宕山が奈良県の三笠山に似ているとして有島生馬、里見弴などにより、三笠ホテルとなり、地名も現在では三笠となっています。

明治の旧軽井沢は中山道の宿場が終わりとなり、産業もなく廃れていくばかり、そこにショーをはじめとする外国人が避暑地としてやってきました。
三笠ホテルが開業した明治39年の調査では、軽井沢にはイギリス人401人、アメリカ人337人、ドイツ人74人などの851人もの外国人が住み、別荘の数も日本人よりも多かったそうです。旧軽井沢銀座も英語の旗が多く建てられ、言葉も外国語で、外国の町という風情だったそうです。戦争以前まで、そんなハイカラな町だったようです。

9(1) 9 (2)
旧三笠ホテルは19世紀後半にアメリカで流行したスティック・スタイルの木造建築です。外壁を見ると水平の羽目板に白い格子などが特徴です。ただ。それだけでなく扉のデザインはイギリス風、下見板はドイツ風など、欧米の色々な様式を組み合わせているとのことです。

ホテルを建てたものの経営は赤字続き、山本直良は大正14年にホテルを手放します。その後、明治屋が、株式会社三笠ホテルとして経営しますが、昭和45年(1970)には老朽化により、ホテルの営業を閉じています。64年の歴史に幕引きでした。
その後は日本長期信用銀行の所有となり、現在の場所から70m南から、現在の地に移築復元され、その後、軽井沢町に寄贈されています。

5
中に入ってみましょうか・・・

10
廊下はこんな感じ、今のホテルなどと較べると狭いですが、客室30室、定員は40人という、ゆったりとした贅沢なホテルでしたので。団体がやって来ることもなく。これで充分だったようです。

11
フロント
壁の格子状に見えるのはところには、部屋のキーボックスが嵌め込まれていました。

12
フロントの前のロビー・・・

ここを訪れたのは。軽井沢を訪れた外国人や近衛文麿、乃木希典、団琢磨、渋沢栄一、住友吉左衛門、有島武郎などの明治・大正時代を代表するような各界の著名人たちでした。明治・大正時代を築いたひとびとが訪れた素敵なホテルだったそうです。そのために「軽井沢の鹿鳴館」と呼ばれました。そんなの面影が残っています。

奥の暖炉とピアノ
暖炉も落ち着いたものです。
奥のピアノ・・・
どんな曲が弾かれたのか、ここでは音楽会や舞踏会もたびたび開かれたそうです。このピアノの伴奏で、踊りを踊ったのかも・・・・

ロビーのシャンデリアも素適ですね。イギリスからの最高級のものを輸入したそうです。

13
ロビーのテーブルセット・・・

創業当時のものだそうです。
ホテルは、当時としては最新鋭の物で、開業当初より、電灯によるシャンデリア、英国製タイルの水洗便所、英国製カーペットのなど、調度品は最高級の舶来品を使いました。
立派なプールもあったそうです。

15
室内も立派です。

当時の軽井沢は宣教師が開いた避暑地ということから質素な山小屋風の別荘が多く、このような豪華な西洋館は特別なものだったようです。

16
今は林に囲まれた旧三笠ホテルですが、当時はほとんど樹がなく、ちかくの愛宕山や遠くの別荘まで遠望できる眺望の良いホテルだったようです。

17 (1) 17 (2)
廊下の照明・・・
追いついた雰囲気を醸し出しています。
この赤いガラスのランプは金で発色させた贅沢なものだそうです。

18
この素敵なホテルの宿泊料金は、一等12円、二等8円、三等5円・・・
単純には比較できませんが現在の貨幣価値なら大体一等が泊24万円、二等が16万円、三等が10万円・・・
当時のほかのホテルの数倍の宿泊料だったそうです

定員は40名で客室は30ということはほとんどシングルルームだったようです。

宿泊料も高いですが、設備・サービスも含めて軽井沢最高のホテルでした。

30 (1) 30 (2)
天上は凝ったものと、右のように素朴なもの、右の素朴さはアメリカの開拓時代の住宅のイメージしたスティック・スタイルなのかもしれません。

19
窓の装飾も素敵です。
左のカーテンボックスの説明には「松に鶴と、三つの笠で三笠ホテル、さらに紐でMとHホテル隠し字」とありました。このシンボルマークはあちこちに使われていました。

このデザインは画家の有島生馬です。作家有島武郎の弟、里見弴の兄・・・
有島武郎は旧三笠ホテル近くにあった有島家の別荘「浄月荘」で、婦人公論記者 波多野秋子と心中しています。現在は有島武郎終焉の地の碑がひっそりとたっているだけですが、そこに寄ろうと思ったのですが。裏道を行ったら遠通り過ぎてしまい、またの機会にしました。
旧三笠ホテルの創業者の山本直良の妻の愛は、有島武郎の妹にあたり、そんな関係から有島生馬がデザインしたようです。

35 (1) 50
ここの二つのテーブルは軽井沢彫りを施した机です。ほかにも椅子、ローボート、違い棚などに軽井沢彫の入ったものが置かれて落ち着いた雰囲気です。

軽井沢のPRのためでもあるようですが、古いものが多く、ホテルでも多く使われたようです。軽井沢人が建てたホテル、そうしたところに地元愛が込められているのかもしれません。

明治40年(1907)に、日本館も建てられましたが、明治43年(1910)に、そばを流れる精進場川の氾濫により、流出してしまいます。この大洪水は旧軽井沢銀座にも濁流が流れ込み町は茶色の川となったそうです。

35 (2)
三笠ホテルのシンボルマーク入りのライティングディスク・・・

昭和19年(1944)から戦争のためにホテルは休館となります。当時、日本に滞在していた外国の外交官を含む外国人は、政府が強制的に軽井沢や富士山麓 山中湖に疎開させられました。
軽井沢には、約300人の外交官と2000人以上の一般外国人が疎開しました。休業中の三笠ホテルは外務省軽井沢出張所が設置され事務所と職員の住まいだったそうです。

また、アシスタントとして、東京の自宅が空襲で軽井沢に疎開して、後に国連高等難民弁務官を務めた緒方 貞子さんを初め日本人外交官の若い娘さんたち6名が働いていたそうです。

終戦後はアメリカ軍に接収されます。米陸軍第一騎兵師団の第八軍進駐軍の施設になり、その使用が終了した昭和27年(1952) 万平ホテルの山名伝兵衛が借り受けて『三笠ハウス』として営業を再開しています。

20 (1) 20 (2)
戦争中には旧三笠ホテル近くに旧スイス公使館として使われた深山荘です。昭和17年(1942)に貸別荘として建築された洋風建築の建物ですが、外国人の疎開にともない、スイス公使館も1944年の夏にここに移りました。
戦後は、東京の大学の寮となりましたが、老朽化で取り壊しの話がありましたが、軽井沢町が買い取り保存されています。

日本のポツダム宣言受諾の時にスイス公使館だった深山荘から受諾決定の電報が各国に打電され、日本人を含めた軽井沢の住民達は、玉音放送よりも5日早く日本の降伏が伝わりフランスやチェコスロバキア、オーストラリアの公使館では、盛大なパーティーが催されていたという話があります。
話としては、面白い話のですが、深山荘には電信設備が無く、電報の打電は不可能だったそうです。

何時の時代にも伝説は生まれていくのかもしれません。

[ 投稿者:オコジョ at 08:31 | 軽井沢・御代田 | コメント(6) ]

この記事へのコメント
ホテル
忙しいツアーでなく ゆったりする旅は なかなか難しいです。ホテルの生活を じっくり楽しむ旅の上達者になりたいものです。同じところに 続けて滞在する旅が 楽で 嬉しくなりました。
投稿者: 小紋 at 2017-10-10 21:25:21
小紋さんへ
おはようございます。
日数が増えると荷物が増えての移動だけでも大変になりますね。と言いながら、あちこち見たくて。欲張って、毎日移動するのが我が家の現実のようです。ホテルに荷物を送っておいて、ゆっくり滞在なんていいですね。
投稿者: オコジョ at 2017-10-11 09:25:35
三笠ホテル
ジョンレノンが泊まったホテルでしたかしら?
一度は泊まってみたいホテルの一つですね〜〜ゆったり贅沢に作られていて、素敵です。
投稿者: われもこう at 2017-10-11 18:29:16
われもこうさんへ
ジョンレノンが泊まったのは旧軽井沢の万平ホテルです。その近くにはオノ ヨーコの別荘もあったようです。そこから良く、通ったようです。
ここは残念ながら廃業して、今は観光施設になっています。
良き時代の名残りです。
投稿者: オコジョ at 2017-10-11 20:24:05
こんばんは
三笠ホテル
素敵ですねぇ!
ここは観たことがありません。
行けば良かったわ。
旧軽銀座とは離れているんでしょうか。
こんな所に当時の名士たちが泊まったんですね。
やっぱり軽井沢は、特別な場所だったんですね。
投稿者: 万見仙千代 at 2017-10-11 21:36:52
万見仙千代さんへ
おはようございます。
素敵ですね。一度行って見る価値はあると思います。
旧軽銀座からは、白糸の滝に向かって2キロほどの場所ですからそう遠くはありません。
現在の軽い座と葉違った落ち着いた場所だったようです。
投稿者: オコジョ at 2017-10-12 07:56:09

この記事の固定URL
http://shinshu.fm/MHz/90.97/archives/0000540025.html

記事へのコメント
 
簡単演算認証: 2 x 7 + 5 =
計算の答えを半角英数字で入力して下さい。
名前: [必須]
URL/Email:
タイトル:
コメント:
※記事・コメントなどの削除要請はこちら