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浅間山 (11月17日 佐久市御牧原より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2017年09月14日
東北の旅 八幡平と白神6 ブナ林散策道とアクアグリーンビレッジANMON
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ブナの姿は大きく立派なことから、「山の王様」と呼ばれることもあります。また白い幹は美しく「シロブナ」と呼んで盆栽にされたりします。

その白い色が一筋の流れのように、木にはついていますね。

ブナの葉と枝は上向きについているために雨が降ると、雨は葉から枝を伝わり、ブナの幹を通じて地面に運ばれます。大雨になると幹の表面の流れやすいところを川のように流れ落ちます。これを樹幹流(じゅかんりゅう)と呼ぶそうです

このためブナの林は雨になってもあまり濡れないそうです。

昨日、ブナの模様は地衣類によると書きましたが、樹幹流の場所は地衣類がつかずこのように本来の樹皮の素敵な色をみせています。


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ブナの実・・・

ブナの実は小さくて人は殆ど使いませんが、灰汁がなく、そのまま食べることができるそうです。脂肪分が多くくるみのような甘みがありおいしいそうです。マツやオニグルミの実に次いでカロリーが高く、山の動物たちには大変なご馳走なようです。

実は熊は皮ごと、猿は一つずつ皮をむいて食べるそうです。

「桃栗三年柿八年」という言葉がありますね。地方によってその後にいろいろと付け加えます。よく知られているのは「梨の馬鹿めが十八年」です。でもブナが実を付けるのはもっと大変です。ブナが花を咲かせ、実を付けるのは発芽して40〜50年だそうです。樹の太さは人の目の高さ(約120cm )をと言います。実を付ける時の目通り直径で15〜20cm位にならないと駄目だそうです。そして。毎年実をつけるとは限らず、年によって身を付ける量が違い豊作年は通常5〜7年に一度くらいだそうです。これは森の動物の淘汰の役割も果たしているそうです。自然のこうした働き不思議ですね。

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ガイドの牧田さんによるとこのブナも病気だそうです。縄を巻き付けたような跡が幹に有り「縄目のブナ」というそうです。この地方ではブナは薪として使われ、戦後に石炭や石油に代わるまでは貴重な木材だったそうです。そのころは田の草取りが終った頃に木を伐ってから1年かけて、最後は川に流して、弘前まで運んだそうです。そのことを牧田さんは丁寧に説明していただいたのですが、細かいことはすべて消えてしまいました。
「縄目のブナ」は木の繊維が入り組んで薪としては割りにくく商品価値がないと切こりは切らなかったというのは覚えているのですが・・・

5ブナは「山毛欅」「橅」幹に食い込んだ傷がありますね。
これは熊の爪痕です。縄張りの主張でしょうか・・・

「椈」「桕」などと書きます。それぞれに意味があるのでしょうが、木偏に無と書く「橅」は建材としては木目が黒ずんでおり、乾燥させても曲がりやすいことから使い物にならないから木ではないと・・・

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人はこういう話は好きですね。しかし、これは嘘のようです。
「無」という文字は、「有無」というように「無い」として使われますが、本来は「無」に「無い」という意味は無かったのだそうです。「無」は人が舞う形で木がたくさん茂っている様子です。今は使われなくなっていますが「無」の異字に「橆」があります。「ブ」「ム」「しげる」「ない」と読むそうですが、古くは「ブ」「しげる」だったそうです。「橆」を簡略化したのが「無」です。樹の形が、人が踊るような姿の木だと「橅」なのです。

それが、近代になって、木材業界が建築材としては不向きということでこじつけたようです。
しかし芭蕉が奥の細道で訪れた山形の山寺(立石寺)の根本中堂は当初はブナ材だけで建てられたそうです。修復などで、今はブナの部部分はかなり少なくなっているそうですが・・・

確かに、スギやヒノキ、ケヤキ、ナラなどと較べるとブナの木の使用価値は少なく、薪やシイタケの原木くらいでスギやヒノキに植え替えなどでブナは姿を消して、伐採のしにくい深い山奥に広がる白神に残り、世界遺産になりました。

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暗門の滝に行きたかったなと・・・
✖が悲しげです。

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ハリギリの木と葉・・・
この葉から「テングウチワ」の名があります。天狗の団扇ですよね。

この木に登っているのはツルアジサイ・・・
作では松原湖にもありますが。裏磐梯には多かったなと・・・
蔦ではないので秋は黄褐色に黄葉です。

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水飲場・・・
散策道の入口にもありましたが。牧田さんによると、こちらの方が美味しいそうです。

少し汲んでいって自宅で珈琲を楽しみました。おいしかったです。

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雪でまげられてでも生き延びた橅・・・
命の輝きを見るような・・・

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これは、「どんな何の動物に見えますか」と牧田さん、誰かが「クジャク」と答えて褒められていました。クジャクシダというそうです。

こうした谷間でシダの多い所にはブナは少ないそうで、トチノキ、サワグルミ、カツラなどが主体だそうです。ブナは多い尾根の上に多いそうです。
ただブナは「陰樹」といわれ、白樺や落葉松のように日当たりの良いところを好まず半日陰程度の場所が好きだそうです。
「ブナの山には水筒いらず」と言われたほど、湿気のある土質を好む木ですから・・・

13虫こぶ(虫瘤) (1)  13虫こぶ(虫瘤) (2)
虫瘤(むしこぶ)・・・
虫こぶは植物の葉に樹木の細枝、花や果実などに見られる瘤です。名前の通り虫の寄生によるものが多いのですが、ダニや線虫、菌類、細菌などいろいろな原因でなります。
割ってみると中にいるのはアブラムシでした。

ダニが登場しました。最近はマダニの害についてテレビで話題になっていますね。私も何度か取りつかれています。知らずにいると丸々と膨らんできて、頭を残さないように何度も取り除いたことがあります。山の中のものなので、感染は少ないと。病院に行ったことはありませんが・・・

ダニは全世界で約2万種いるといわれます。マダニは困ったものですが、森林にとって多くのダニたちは大切な生き物です。
森林では倒木、落葉、動物の死骸。排泄物で汚染されて行きます。土壌動物と微生物です。土壌動物でよく目にするのはアリでしょうか。ほかにもモグラ、ミミズ、ムカデ、ラジムシトビムシ、そしてダニがいます。余り素適な生き物はいないようですね。ここのダニは人間には害を与えず、森林浄化に役立っています。

こうした土壌動物たちは汚染されたものを食べて粉々にしていきます。そうすることによって微生物が働きやテクなって植物にとって栄養豊かな土になります。
健全な温帯の森林には外の片足の下には1000匹以上のダニやトビムシが暮らして、森林浄化のために働いているそうです。

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機からぶら下がっているのはヤマブドウの蔓・・・
ヤマブドウは藤のように木に巻き付いて登るのではなく、巻き髭で他の植物等に巻き付いて登っていきます。そのためこのように太くなると巻きひげが外れて木からぶら下がります。

ヤマブドウの樹皮は籠などの収納品などの材料とし使われましたが、今でもありますが高いそうです。昔は松明の材料としても使われたそうです。
ワイン、ジャム、ジュースなどもありますが。そうしたものは栽培品が多いようです。こうした自然の中では高い所にあり、人ではなく、鳥や猿などのご馳走だそうです。

右写真は安眠側の上、人は手を出せません。

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アクアグリーンビレッジANMONに戻りました。

ここは白神山地の自然散策の拠点となるコテージ・キャンプ場サイト・遊具施設・釣り堀があり、弘前からシーズンにはバスがあります。

白神には縄文時代からが人が暮らしていたそうです。そして平安時代以降も人が居住していた痕跡はありますが、その暮らしぶりはよく分かっていないそうです。
しかし人々は白神山地を開墾することもなく、大規模な伐採なども行われず、自然のままでの大部分は開墾もされず、乱伐も経験せず、自然のままだったようです。
戦後になって、次第に未開地の開発優先の流れにより昭和57年(1982)の青森県西目屋村と秋田県八森町 (現八峰町) 間、全長29.6kmを結ぶ青秋林道建設が着工されますが、秋田、青森両県の自然保護団体をはじめ全国の自然保護団体の運動で平成2年(1990)年に林道の建設計画が中止されました。そして白神山地ブナ原生林の保護がクローズアップされ、世界遺産の登録とつながっていきました。

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「白神山地自然世界遺産登録20周年記念」碑

「白神の 春のもみじや 菅江真澄(ますみ)道」とありました。

菅江真澄(すがえますみ)は、三河国出身の江戸時代後期の旅行家、博物学者です。
尾張藩の薬草園につとめ、漢学・画技・本草学・医学を修得派ますが、30歳で故郷を出奔、以来、信越・東北から蝦夷まで旅を続けています。青森の津軽藩の薬草指南を5年勤め、その後、秋田の佐竹藩に召し抱えられ、青森・秋田の両側から白神山地に入っています。
年天明3年(1783)から文政12年(1829年)に書かれた菅江真澄の日記『菅江真澄遊覧記』には、「白上」、「白髪が岳」として白神が登場します。
これが現在残っているもっとも古い白神山地の記述だそうです。

寛政8年(1796) 旧暦11月1日(12月中旬頃)に 菅江真澄は暗門の滝に向かい、フガケ沢の山小屋で一夜を過ごします。この時案内した山男の中に出羽の藤琴(藤里町)からやってきた木こりもいたそうです。滝が近づくと雷鳴のような、山に響きわたる物音がして、山頭は「これは滝鳴の音です。ここのような清浄な高岳の頂や山々の奥、川という川の水上には、神が住んでいるので、そこと定めず放尿や、大便して山を汚すと、滝の神が怒られるので、山男になるには、常に水を敬い、身を清らかに保たなければ、この恐ろしい滝の上には、仮にも住むことはできないのだ」といったと「菅江真澄遊覧記3」に書いているそうです。

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マタギ小屋が復元されていました。もっとも。崩壊寸前みたいですが・・・
菅江真澄はこんな小屋で一夜を過ごしたのでしょうか・・・

菅江真澄の日記には、白神山地の山奥で暮らす木こりたちの生活ぶりや、ブナを伐採して川に流し、下流へ運搬する仕事ぶりがかかれているそうです。白神とそこに暮らした人たちとの貴重な史料だそうです。

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 大瀑(おおばく)の 底まではみえぬ 紅葉かな  桂月 
                                                           
大町桂月の句碑もありました。   

大町桂月も暗門滝を訪れていてその紀行文「 岩木山より暗門滝へ・暗門滝 」が載せてありました。

「 津軽平野を貫流する岩木川の奥に、暗門滝とて、陸奥第一の大瀑あるが、地(ち)僻(へき)にして訪ふ者稀(まれ)なりとは、惜しきもの哉(かな)。いでや、我れ岩木山を下りて、之を訪はむとす。・・(略)・・ 林道と別れて渓流を縫ふ。山高く、谷ふかし、屏風の如き巨巌に挟まれて、渓流躍る。右崖を伝ふに、一尺幅の路つき居れり。  滝見物の便を図りて、斉藤氏の開けるなりと聞く。之を過ぎて、直下十七尋(ひろ)の瀑布を仰ぐ。斉藤氏の開けたる石路なほその右崖につづく。滝の上部に至りて石路尽きて、巌の傾斜急也。手がかりも無く、足がかりも無し。滑(すべ)らば窮谷(きゅうこく)の鬼とならむ。手も足も胸も腹も巌面に附着させて、横に這ひて、ほっと一と息つく。直下二十二尋(ひろ)の瀑布を仰ぐ。木の根巌角にとりつきて左の崖を攀(よ)じ、一峰の上に出で、下りて渓流に逢ひ、渓流に沿うて下りて、一瀑布(いちばくふ)の頭に至る。落口を見て、瀑身を見ず。一寸左に上れば、二個の陰石あり…(略)…残れる陰石よりなほ少し進めば、一樹巌頭に横はる。その樹にすがりて、始めて瀑布の全身を見る。この滝も直下す。三十三尋と称す。三滝を総称して暗門滝といふ。   在来の書物に三段の滝と記せるは誤れり。段には非(あら)ず。  数町(すうちょう)づつ隔てる也。大中小と上より順にかかる。大瀑一つにても天下の壮観なるに、中と小とを加へ(え)、上下十数町の間、巌壁高く、老樹茂りて、深山幽谷(しんざんゆうこく)の極致を発揮す。岩木山が、天下の名山なると同じく、暗門滝も天下の名瀑也。」

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この日の昼食はアクアグリーンビレッジANMON の山助(さんすけ)弁当・・・

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暗門龍王にお参りします。

[ 投稿者:オコジョ at 09:25 | 山 (地域外) | コメント(2) ]

この記事へのコメント
ぶな
白神大地の名前は知っていますが はるか遠くのこと でも こういう風に読むと 行ってみたいと思います。山が遠い土地ですから 山の清涼な空気を思いながら 読みます。山葡萄の籠 ほしいです。
投稿者: 小紋 at 2017-09-14 10:59:07
小紋さんへ
世界遺産になって白神は知られるようになりましたね。世界遺産申請以前には弘西山地とも呼ばれてはっきりした名前が無かったようです。
特に何があるという所ではないのですが、自然を感じさせてくれるところです。
山葡萄の籠、良いものは数十万とか・・・
自然のものは良いですね。
投稿者: オコジョ at 2017-09-14 16:59:27

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