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浅間山 (11月17日 佐久市御牧原より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2017年09月01日
旧碓氷峠から旧軽井沢1 碓氷峠の権現さま
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昨夜遅く、今日に近くですが、東北の旅から帰ってきました。

一日目は霧と雨の中の高原散歩となりましたが、あとの2日は素敵なブナ林のSamboとなりました。
天気はあまり良くなかったのですが、それなりに楽しんできました。

旅の写真は何も整理していませんので、しばらく先のアップになりますが。その前に8月の散歩を・・・

夏の軽井沢は混むのでなるべく避けるのですが、聴きたいコンサートがあり浅間山を見ながら出かけます。ここは御代田と軽井沢の境の高原野菜畑です。


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信濃追分駅からの浅間山・・・
芒(すすき)が秋を告げていました。

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コンサートの行われる軽井沢大賀ホール・・・

コンサート開始まであと5時間近く・・・
とりあえず券を購入して・・・
尖塔の向こう当たりが旧中山道の碓氷峠・・・
そのあたりを散歩します。

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軽井沢大賀ホールからの浅間山・・・
碓氷峠から見えるといいなと・・・

6空を見上げると、お日さまに薄雲がかかっていました。よく見ると大きな虹色の光の輪が見えました。暈(かさ)
といい、お日さまの場合は日暈(ひがさ、にちうん)と言います。月にもかかることがあり、この場合は月暈(つきがさ、げつうん)と言います。

薄雲は高層の雲で水蒸気ではなく小さな氷の粒からできていますが、これがプリズムの原理でこのような丸い虹になります。

天気のことわざに「暈がかかると雨が降る」と言います。前線や低気圧が移動してくるときにこうした雲が現れますので、天気は下り坂ですが、私の予想では今日は降らない・・・
傘も持ってきていませんので。降ると困ります。

7 (1) 7 (2)
こんなバスで峠へ向かいます。赤バスと言います。見たままですね。
万平ホテルの前を通って・・・

私は峠近くの展望台で。パンとコーヒーのささやかな食事ですが・・・
昼のランチは夏の終わりでここは賑わいそうです。

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旧軽井沢銀座は相変わらず賑やかです。
バイの中からさつえい・・・
外人さんが人力車に乗っていました。
いい思い出になりそうですね。

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碓氷峠の熊野権現・・・

碓氷峠の 権現様は 主のためには 守り神  

中山道追分宿に伝わる追分節の一節です。 
峠には信州・上州の国境の上に建てられた「碓氷峠の権現様」があります。

何度も紹介済なのですが、また来てしまいましたので・・・

この参道の真ん中が県境です。
県境にまたがって、熊野神社と熊野皇大神社があります。

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鳥居をくぐったところから随神門を見上げます。

石段の下にいらっしゃるのは、長野県で一番古い室町中期の狛犬です。

狛犬は鳥居の前にもいましたね。この神社には3組の狛犬がいます。もう一組は随神門の前です。て、他の狛犬は大きく、容姿も獅子の迫力満点なのですが、この狛犬は、獅子どころか、顔を見るとカエルか、トカゲか、サンショウウオのようで、哺乳類には見えません。もっとも、確かに現在の狛犬とは,かなり姿が違いますが、古い狛犬はこれと似たものが多いです。

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随神門です。
随神は天孫降臨に際して、思兼神、手力男神とともに降臨し高みで、神社の門で邪悪なものが侵入するのを防いでいるそうです。違う説もありますが・・

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随神門にいる随神は右の信州側だけです。上州側は引退したそうで新宮殿に御移りになされています。
右が信州側・・・
片目が白目で可愛そうです。
といってマジックで書くわけにはいかないようです。

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文和3年(1354)の多重塔です。
文和3年(1354)の多重塔です。

文和は、日本の南北朝時代で、室町幕府将軍は足利尊氏・・・
その時代にはもうこの神社はあったということです。

この峠町を人が旅するようになったのは何時の頃からでしょうか。

日本書紀の碓日嶺はどこか、現在では碓氷峠バイパスの入山峠と考えられています。
神社の由緒では「日本武尊が東国平定の帰路に碓氷峠にて濃霧にまかれて、やた烏の道案内によって無事嶺に達する事ができたことにより熊野の大神を祀ったと伝えられる」とあり、
和歌山県と山形県の熊野とあわせて、三大熊野というそうです。

日本武尊は 碓日嶺に登って、妻を偲び 「 吾嬬者耶(あずまはや)」と嘆いたとあります。そのことから上州のこの辺りを吾妻の名がつけられたと・・・
日本武尊が通ったのは、古事記は足柄峠、日本書紀では碓日嶺(碓氷峠)となっています。どちらが正しいか・・・
実際には日本武尊は実存せず、お話ですね。そして、この神社もずっと後の創建のようです。

新宮殿にある梵鐘には正応5年(1292)に寄進と鎌倉時代の銘があり、この少し前に創建されたと考えるのが妥当なようです。そして人もここを越えたと・・・

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ここは3つの社が並んでいますね。県境の本宮殿は伊邪那美命(いざなぎのみこと)と
日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀っています。右の群馬側は熊野神で新宮(しんぐう)殿の速玉男(はやたまのおの)命を祀ります。長野県側の那智殿は事解男(ことさかのおの)命を祀る熊野皇太神社です。いずれも南紀の熊野古道の熊野三山の神々です。

元々はひとつの神社として熊野大権現、熊野宮、碓氷神社などと呼ばれていたのですが、明治維新の神仏分離、廃仏毀釈で熊野皇大神社になります。
そして戦後の宗教法人法により自治体ごとに登記するために群馬と長野の二つ別の神社に分けなくてはならなくなったそうです。元は同じ神社たったのに群馬県側は「熊野神社」、長野県側は「熊野皇大神社」となりました。

この真ん中のお宮の前に立つと左足は信州、右足は上州にあります。

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堂々とした風格を感じる木ですね。

御神木の樹齢800年のシナノキ・・・
神社の創建当時からあるようですね。
峠の開通と、そして神社の創建の頃に植えられたのかもしれませんね。この樹は神社とともに歴史を見つめてきたといえそうです。
ないと考えると、夢が脹らみます。
長野県の天然記念物に指定されています。

シナノキは、わりと高い土地を好む樹で、信州に多くあり、「信濃」は「科野」だったという説があります。

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最近はパワースポットとして人気とか・・・
参拝の仕方が書いてありました。

まず参拝して一回りはしましたが、もう一度参拝しませんでした。

寿命は一年伸びず、しわも減らずに反対に増えたかも・・・
仕方がないですね。(笑)

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参拝を終えて下ります。登りより下りは要注意です。

[ 投稿者:オコジョ at 10:14 | 軽井沢・御代田 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
おかえりなさい!
≪県境にまたがって、熊野神社と熊野皇大神社があります≫
2つの神社は名前が違うんですか??
知りませんでした。
皇大神社が長野県側でしょうか。
こんなに近いのに2回行っただけで、おまけに2回とも雨模様の肌寒い日でした。
峠の気候でしょうか。
昔は旅人が行き交って、賑わったんでしょうね。
投稿者: 万見仙千代 at 2017-09-01 21:36:33
万見仙千代さんへ
無事帰ってきました。
長野県側は熊野皇大神社です。
明治維新後、政府は「神社非宗教論」をとなえて、明治15年に神社は非宗教ということにして、祭祀のみ行うとします。これでは葬式はできませんので。国家管理下にない各地の神職は当分の間は葬儀もしてよいということになりました。
太平洋戦後にGHQ)は国家管理下にある神社を「国家神道」と呼び、廃止を命令して、新党は宗教としてした宗教法人令を制定して他の宗教と同様に神社も同様宗教法人となり、ここも群馬家に側を熊野神社として、2つに別れました。
碓氷峠は標高1200m、清里と同じくらいの高いですから、涼しい佐久から行っても寒さを感じますね。また、年間100日といわれる場所で寒さを倍増させるようです。
そういえば、東北を楽しんで帰って来た、一昨日旅の帰りの軽井沢駅は霧でした。
投稿者: オコジョ at 2017-09-02 09:40:26

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