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浅間山 (9月30日  軽井沢 矢ヶ崎公園より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2017年08月09日
千曲川沿いの北国街道 上田岩下あたり
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千曲川に沿って岩下地区を行きます。

対岸の絶壁がありますね。ここにはお堂があります。


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お堂は弘法堂・・・

このお堂はしなの鉄道からもよく見えるので、気になっていて、もうだいぶ前に寄ったことがあります。岩にへばりついているお堂で、いまにも崩れ音総出。中に入るのが怖かったです。今は立ち入り禁という話をだいぶ前に聞きました。

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昔の北国街道・・・

こんな川沿いの細い道だったようです。
こうした昔の街道がはっきりとわかるというのは、なんとなく嬉しくなります。

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千曲川の中州というか大岩の島というか・・・

この岩は太鼓岩といい、対岸の小牧山火山(写真の後ろの山)の噴出物だそうです。対岸の小牧山は穏やかな丘という感じですが、かつては火を吹いて、こんな岩を噴出させたことがあったようです。

古文書には「水勢、轟々として音あり」「水流が岩に当りドーンと響く」などと書かれているそうです。別な説では岩の島で、両側が川で、川を皮として両側が皮を貼っているから太鼓というユニークものもあるそうです。

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岩の上に人工物が見えますね。祠でもあったかなという感じですが。これは吊橋の主塔の跡だそうです。ここには右岸から27メートルの吊り橋が昭和5年に架けられました。
そして上田八景に選ばれて観光客もあり、直ぐ下流の中洲は簗場、水泳、釣りといった遊びの場所だったそうです。

残念ながら、昭和34年(1959)の伊勢湾台風のとき、災害予防として切り落とされてしまいました。当時の写真がありましたが、揺れそうでスリルのありそうな橋だったようです。

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右岸との間はこのように川幅も狭く急流で淵になっていて、太鼓淵というそうです。

寛永18年(1641)に、上田地方は大旱魃となり、周辺の村人が太鼓岩の上で篝火(かがりび)を焚いて天災よけの天神の祭を行い「雨降らせたまえ」と雨乞いをしたそうです。

このあたりは江戸時代の終わりから戦後まで養蚕が盛んで、千曲川の中洲で桑を栽培したそうですが、この太鼓岩では桑を植える土はないようですね。この少し下流に大きな中州がありますので、そちらでしょうね。

太鼓岩あたりの流れは千曲川としてもなかなか素敵な景観です。

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太鼓岩すぐ先に、岩下公民館と並んで伊波保神社です。「いはほ」現代読みなら「いわお」だそうです。
この神社は岩下地区の東端の岩穂(いわほ)地籍にあったそうなので、地名を神社の名前としたようです元は下村諏訪宮といったようですが。明治12年に伊波保神社に名前を変えたそうです。

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祭神は建御名方神 (たけみなかたのかみ)八坂刀売神 (やさかとめのかみ)・・・
元諏訪宮ですから当然ですが、昨日の堀川神社と同じ諏方神社の系列です。
やはり、信州は諏訪の神を祀る神社が多いですね。

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本殿は彫刻が見事です。

ここの彫刻は信濃国分寺本堂の彫刻を彫った地元の上田市国分の出身で諏訪の立川流を汲む棟梁の竹内八十吉の素敵な彫刻です。

左の写真の本殿左側面の彫刻は鯉に乗る琴高仙人(きんこうせんにん)です。中国周の時代の人で、琴の名手です。琴高は弟子たちに、いつ龍の子を捕まえるといい川の中に姿を消します。そして。その日に川の中から巨大な鯉に乗って現れたと・・・
龍でなくて鯉・・・
鯉は黄河の竜門を登ると龍になりますから鯉で良いのです、
でも、背中に乗れるくらい大きな鯉でないといけないですね。

右の彫刻は鶴に乗る王子喬(おうしきょう)・・・
やはり、中国の周の時代、霊王の太子で、白い鶴にのって空を飛び、鳳凰の鳴くような音で笙(しょう)を吹いたと伝えられる仙人です。

どちらも生き物に乗った楽器の名手という組み合わせは、竹内八十吉の好みでしょうか。
いずれにしても生き生きとした見事なものです。

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境内の文政13年(1829)の双体道祖神です。
目や口は一筆書きの素朴なものですが。手はしっかりと握り合い、二人で型を抱き合って寄り添う肩抱き握手像といわれる愛の神・・・

素朴ですが。この辺りでは秀逸な愛の神と云えるようです。

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摂社の石祠・・・

左の写真の真ん中の2つの石祠は美須々波田神社だそうです。蚕影(こかげ)神社の系列だそうです。養蚕の神でこの地方にとっては大切な神です。

右は金刀比羅宮、右は御嶽大神だそうです。
石像は江戸時代中期の御岳行者の覚明・・・

右の石碑も含めたくさんの神がいらっしゃるようです。

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こんな素敵な道を行きました。

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こんな場所も・・・
明治11年の北陸巡幸明治天皇岩下小休所跡・・・
右の「仁和寺宮嘉彰親王御遺跡」碑は、明治元年の戊辰戦争で、奥羽征討総督として官軍の指揮を執った仁和寺宮嘉彰の軍が会津征討に向かう途中、ここで休憩した記念碑・・・
これも歴史の一つです。ここにあった尾崎家はこの土地の名家だったようです。

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天神社の案内に誘われて・・・

天神社は伊波保神社から200m位離れていますが伊波保神社の末社だそうです。

左奥に巨木がありますね。

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この二本の欅は推定樹齢約1,100年と云うから凄いですね。
上田市内最古の欅だそうです。風格がありました。

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タイムスリップしたような街並みを行くと・・・

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一里塚あと・・・・

塚は何もなく、説明だけですが・・・

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その先道はしなの鉄道の脇を・・・

ここは素敵な桜並木でしたが・・・
今は写真だけ・・・

車のためならなんでもしてしまう世の中なのかと・・・
車を持たないオコジョのぼやき・・・

車には運転をしなくても、お世話になっていることは承知はしているのですが・・・

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しなの鉄道の橋・・・
小さいけれど眼鏡橋・・・

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左は大石橋、右は大屋橋

すこし街道を離れて、千曲川に出て最後はこんな細い道で大屋駅にむかいました。

[ 投稿者:オコジョ at 07:49 | 北国街道 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんばんは
北国街道
素敵な道ですね。
沿道に色んな史跡(と言っても良いのかな)があって。
こんなに細い道が街道だったんですか。
昔の旅人や、もしかしたら大名行列も通ったんでしょうか。
太鼓岩の吊り橋、これは怖い!
昔の人たちは、良くこんな橋を渡りましたね。
現代人とは感覚が違っているのかな。

投稿者: 万見仙千代 at 2017-08-09 20:15:38
万見仙千代さんへ
こんばんは
街道というと古い街並みが残っている宿場に脚光を浴びますが。観光地化して土産物とグルメという感じのところが人気ですね。
そういう所は都会の延長に近いのかもしれませんね。
ここは何の変哲もない道、観光客には退屈な道以外の何物でもないようです。
そんなところに惹かれます。

中山道と度くらべると道は細かったようですね。特にこうした農村部は・・・
でも昔はもう少し広かったかも・・・
大名行列には狭すぎますね。

太鼓岩の吊り橋あれば渡ってみたかったなと・・・
でも、やはり怖そうですね。
昔は、道は険しいところが多かったようです。慣れてしまえば・・・
でも、昔も高度恐怖症の人がいたでしょうから、きっと渡らなかったでしょうね。
投稿者: オコジョ at 2017-08-09 21:33:49

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