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浅間山 (9月30日  軽井沢 矢ヶ崎公園より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2017年08月07日
蓮を見た帰り道 北国街道国分あたり・・・
今日から立秋・・・
残暑お見舞い申し上げます。
台風が接近しています。皆様が安全でありますように願っています。 


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でもムクゲが咲いていると夏だなと・・・


2
国分寺の蓮を見る前に寄った神社・・・

その名も国分神社・・・

鳥居には「八幡宮」とあり、地元では「八幡さま」と呼ばれた八幡社でしたが、明治11年に国分神社と変えたそうです。この辺りの国分寺・堀・上沢の三つ村の産土神だそうです。

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拝殿・・・
本殿は覆屋のなかでした。

この神社の創建はわからないそうですが、国分寺守護の国分八幡宮と考えられ、信濃国分寺創建と同じ頃の創建か再建と伝割っていますので歴史のある神社のようです。

八幡神社ですから祭神は応神天皇です。

建久八年、源頼朝の請願によって国分寺が再建した時に。この神社も再建され、社領は三十石を有していたと伝わりますが。その後衰退したようです。

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国分神社の境内社の三峯神社・・・
三峯神社は秩父三大神社のひとつとして知られ、ヤマトタケルの伝説やお犬様信仰など古くからの伝説を秘めています。

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秩父の三峰神社は、伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)と伊弉册尊 (いざなみのみこと)を祀る神社ですが、江戸時代に秩父の山に住む狼を、猪などの野生動物から農作物を守る眷族・神使だとして「お犬さま」として崇めました。そして狼は盗戝や災難から守る神となり狼の護符は経験あらたかとして広まりました。こうした、主神だけでなく眷族・神使も祀る信仰を御眷属信仰と言いますが、そのことを修験者たちが広げ三峯講を作りました。信州にもそうした講があったそうです。そうした名残りがここにあるようです

秩父の三峰神社では]、狛犬の代わりに神社のあちこちに狼の像が祀られています。
ここ国分神社の三峰神社は馬頭観音でした。理由は知りませんが・・・

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蓮や国分寺を見ている時は雨でしたが、帰ろうかと思っていたら、雨は小降りになりました。
少し歩くことにしました。

国分寺史跡公園からこんな道・・・
確かこの道だったはず・・・
2回くらい来たことがあるのですが・・・

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国分信者の次も、また神社なのですが・・・・

国分寺史跡公園近くの堀川神社・・・
上堀という集落になります。
右側に柱が一本立っていますね。これは御柱です。信州諏訪大社では寅年と申年の六年目毎に社殿の四隅に新しい柱を建てます。これが諏訪大社最大の祭りの御柱祭です。正式には「式年造営御柱大祭」です。昨年は申年で御柱祭が行われました。

諏訪地方ではたくさんの神社でも、御柱が建てられます。これを小宮祭と呼びます。また、諏訪地方以外でも、御柱を建てる神社があり、ここもその一つです。
ここは対岸の小牧山から気を切り出し、千曲川を渡る川越しが見せ場だそうです。

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まだ雨でしたね。
だいぶ小振りにはなってきたのですが・・・

御柱を建てるということは諏訪神社に代表される諏訪大社系の神社です。

神社の神紋は「諏訪梶紋」といわれる紋でした。信州の神社は「諏訪梶紋」をはじめ植物の梶をデザインした「梶紋」の神社が約三割あるそうです。つまり約1/3は諏訪大社系列の神社ということです。「梶紋」は全国的にはごく、少数派だそうです。

主神の建御名方命(たけみなかのみこと)は信州を初めて開いたといわれる神です。そうしたことから考える当然と言えるのかもしれません。

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さて帰ろうかと思ったら雨が小降りになって、傘はなくてもいい程度・・・
この日は、天気予報は昼くらいから雨・・・

雨が来る前に国分寺だけ見て帰る予定でした。
でも雨の来るのが早くて・・・
出かけるときに、雨が降っていると嫌だなと、でも降られてしまうと、仕方ないと開き直ります。文句を言っても何も変わりませんし・・・

次の大屋駅まで歩こうかと・・・
この道は昔の北国街道ですし・・・

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立派なお宅ですね。
昔の名家なのでしょうね。今でもそうなのかもしれませんが・・・

北国街道といっても、宿場と宿場の中間あたりあまり見るべきものは少ないのですが、小さな邑を見ていくのも悪くありません。

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愛宕神社です。ここは下堀という集落・・・
愛宕神社は多いですね。

愛宕神社は京都の愛宕山の愛宕神社を総本山とする火防(ひぶせ)の神です。また、山岳信仰と修験道による神仏習合の神社として知られています。

昔の歴史を見るといたるところで火災の記述を多く見かけます。戦争もそうですが。薪を使って生活した昔はちょっとしたことで火災になり、大火になったようです。そうしたことがないようにと、愛宕権現や秋葉大権現の火伏の神は各村で必ず祀られていたようです。

社の中の神様は地蔵菩薩でした。下堀を守っているようです。
愛宕権現は神仏混淆の神で、地蔵菩薩が姿を変えて現れたとされています。そうした名残りがここに残っているようです。
ここから先の田中宿には馬に乗って鎧を付けたお地蔵様があります。勝軍将軍といっていますが、勝軍地蔵とも言います。やはり宿場を守る神だったようです。

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雨も上がったので、千曲川の堤防の上を行くことにしました。
飴を降らした雲がまだ小牧山にそっと張り付いていました。

街道はしばらく平凡ですので。景色のいい道を・・・
街道マニアなら、街道を忠実に歩くのでしょうが・・・

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振り返ると、北陸新幹線の斜張橋・・・

新幹線は一瞬で川を渡りますが、堀川神社の御柱がこの川を渡すのは大変でしょうね。何しろ人の力ですから・・・
5年後は見に来ようかなと・・・

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神川(かんがわ)という川を渡り、上沢という集落に神川小学校があります。その門の前にこの馬頭観音と道祖神が並んでいます。説明があります。

文政元年(1818)加州(加賀 現在の石川県)飛脚中たちが建立したものだそうです。当時、加賀と江戸の間の飛脚を業とした、加賀の国の飛脚仲間の人達が旅や馬の安全、馬の供養のために建てたものだそうです。建立が加賀の飛脚中であることは岩下の旧道が北国街道であったことの証しだそうです。

何気ない石碑でも、歴史を語っているようです。

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馬頭観音と道祖神から神川(かんがわ)を渡ると、馬頭観音のせつめいにあった岩下地区なのですが、ここは神川に沿い国道18号線に出てみました。神川橋を渡ります。

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神川橋から上流を見ると「神川合戦の地」横断幕・・・

第一次上田合戦は天正13年(1585)徳川家康は真田昌幸に沼田領の北条氏への引き渡しを求められますが、昌幸は拒否し、そのうえ敵対関係の上杉氏と手を結びます。これに対して家康は約7000の兵真田討伐に向かわせます。これに対する真田方は約1200人だったとか・・・
徳川方は、二の丸まで塀を進めますが。反撃に当て撤退、この神川で1300人もの戦死者を出します。真田軍は和すが40人ほどの戦死者だったと言われます。

二次上田合戦はき慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの時は徳川秀忠率いる3万8000人と真田の戦いとなりますが、またも上田城で反撃にあい、敗走してこの神川を渡りますが、真田は上流を堰き止めてあって、堰が開けられ濁流が押し寄せて多くの徳川の人馬が飲み込まれるここでも真田の勝利になりました。そんな戦いの地です。

それにしてもこの横断幕は大きいですね。昨年の真田丸のPRのためでしょうが・・・

25
神川対岸側の道で街道に戻りました。

今日はここまでとします。

[ 投稿者:オコジョ at 12:42 | 北国街道 | コメント(4) ]

この記事へのコメント
むくげ
 白いむくげを デザインした切手を 忘れることができません 切手収集は いろいろなことを教えてくれた 百科事典のようなものでした。薄い牡丹色のむくげが 裏手に植えてありました 虫が入って パカパカになっても 花をつけてたんですが 今年切りました。すっきりしたけれど 季節の花が 一つ減るのは 寂しいです。
投稿者: 小紋 at 2017-08-07 20:48:26
こんばんは
堀川神社
ここも諏訪神社なんですか。
全部に「諏訪」という名前がついている訳ではないんですね。
川を渡って御柱を運ぶんですね。
見たみたいものですね。
三峰神社の2体の像、赤く塗られているのはなんでしょうか。
我が家近くの白山さまは、歯痛の神様で頬が赤く塗られていますが、関係はないんでしょうね。
神川で1300人の戦死者。
その人たちの亡骸はどうなったんでしょう。
どうもそういう事が気にかかります。
投稿者: 万見仙千代 at 2017-08-07 21:15:35
小紋さんへ
白いむくげの切手があるのですね。白いむくげといえば利休の孫の千宗旦が好んだ『宗旦木槿』があります。白く軽やかで、そのまま空に浮かんでいきそうで爽やかですね。
切手は色々なことを教えてくれる素敵な世界ですね。
庭の花、あったものがなくなると寂しくなりますね。
投稿者: オコジョ at 2017-08-08 12:51:18
万見仙千代さんへ
信州は諏訪神社ばかりで、元は諏訪神社といったのを区別するために地区の名前を付けた神社が多いようです。また武田信玄が佐久に入って、信玄の信仰する諏訪大明神に主神を変えて名前はそのままで実質諏訪神社となった神社も多いようです。

諏訪大社の上社の御柱も宮川の川渡が見せ場ですね。ここの流れは緩やかですが、千曲川の本流ですから大変でしょうね。
私も一度見たいと思っています。

三峰神社の馬頭観音の赤塗りは、魔よけの意味だと思います。
北信濃に行くと赤いお地蔵様を良く見かけます。こちらでは小諸や上田にもありますが・・・・
稲荷神社の鳥居の赤いのもそうした意味があるようです。
道祖神祭りでは、白と赤で双体道祖神を子供たちが塗る風習か多くのところに残っていますので、そうしたことがまだ行われているのかもしれません。

川中島の戦いでは両軍で戦死者を弔った寺がありますが。ここはどうだったのでしょうか。
丁重に弔ったものと思いたいですね。
投稿者: オコジョ at 2017-08-08 12:52:33

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