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浅間山 (11月17日 佐久市御牧原より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2017年07月18日
小諸夏祭り 健速神社祇園祭1  小諸の祇園と藤村の「千曲川のスケッチ」
1
健速神社の本神輿(健速神輿)・・・
何度も書いていますが。全国的ラに珍しい六角の神輿です。
六角は亀甲(きっこう)に通、幾何学的に美しい均整さと美しさと鶴とともにめでたい亀の形の縁起の良い亀甲文様をこの神輿に取り入れたと伝えられています。

「こもろ市民まつり みこし」の翌日は、健速神社祇園祭です。昔はこちらが本祭りで。前夜祭が子どもみこしでした。やはり迫力のあるのはこの本祭りの「宮だし」なので、妻と出かけました。


2
祇園社のある健速神社に向う大和屋小路です。
大和屋は島崎藤村の「千曲川のスケッチ」で、藤村が大和屋の別荘に招かれたときのことが記されています。今では今は店を閉じていますが、小諸一番の呉服屋でした。
もう少し北には祇園坂という道もあります。

そういえば藤村の「千曲川のスケッチ」には小諸の祇園について3章を割いています。一部は昨日紹介していますが、今日は、そのほかの部分を引用しながらアップしていこうと思います。

     祭の前夜

 蚕(はるこ)が済む頃は、やがて土地では、祇園祭の季節を迎える。この町で養蚕をしない家は、指折るほどしか無い。寺院(おてら)の僧侶 (ぼうさん)すら、それを一年の主なる収入に数える。私の家では一度も飼ったことが無いが、それが不思議に聞える位だ。こういう土地だから、暗い蚕棚(かいこだな)と、襲うような臭気と、蚕の睡眠(ねむり)と、桑の出来不出来と、ある時は殆んど徹夜で働いている男や女のことを想ってみて貰わなければ、それから後に来る祇園祭の楽しさを君に伝えることが出来ない。(島崎藤村「千曲川のスケッチ」より)


3
出かけるのが少し遅れて、浦安の舞には間に合いませんでした。
神社の下で、舞を踊った女の子たちとすれ違いました。無事、大役を済ませて明るい笑顔を見せていました。

 秤を腰に差して麻袋を負ったような人達は、諏訪、松本あたりからこの町へ入込んで来る。旅舎は一時繭買の群で満たされる。そういう手合が、思い思いの旅舎を指して繭の収穫を運んで行く光景さまも、何となく町々に活気を添えるのである。
 二十日ばかりもジメジメと降り続いた天気が、七月の十二日に成って漸ようやく晴れた。霖雨(ながあめ)の後の日光は殊ことにきらめいた。長いこと煙霧に隠れて見えなかった遠い山々まで、桔梗色に顕あらわれた。この日は町の大人から子供まで互に新しい晴衣を用意して待っていた日だ。(島崎藤村「千曲川のスケッチ」より)


今は、七月前半の日曜日に祇園祭が行われていますが、昔は、というより、以前は七月十三日に行われていました。当時は佐久地方で最大の祭り、多くの人が楽しみにしていたようです。

5
神社の入口で、地酒「浅間嶽」の枡酒の振る舞い・・・
お神酒ですから喜んで頂きました。

 夜に入って、「湯立」という儀式があった。この晩は主な町の人々が提灯つけて社の方へ集る。それを見ようとして、私も家を出た。空には星も輝いた。社頭で飴菓子を売っている人に逢った。謡曲で一家を成した人物だとのことだが、最早長いことこの田舎に隠れている。
 本町の通には紅白の提灯が往来の人の顔に映った。その影で、私は鳩屋のI、紙店のKなぞの手を引き合って来るのに逢った。いずれも近所の快活な娘達だ。(島崎藤村「千曲川のスケッチ」より)


ここに登場する紙屋のKとは当時、大和屋紙店のお嬢さんだった琴路さんのことだそうです。大和屋紙店には島崎春樹の名前のある、紙店ならの見事な大福帳も残っているそうです。藤村は「幅広な方の罫の入った用紙」と書いていて、この店の原稿用紙に、名作「破戒」等が綴られました。藤村が愛用したのは、信州の手漉きの内山和紙で、素朴で暖か味のある魅力的な和紙で、もちろん、ここでは今も内山和紙を扱っています。

7
石段を登って、境内へ・・・

     十三日の祇園

十三日には学校でも授業を休んだ。この授業を止む休まないでは何時(いつでも)論があって、校長は大抵の場合には休む方針を執り、幹事先生は成るべく休まない方を主張した。が、祇園の休業は毎年の例であった。(島崎藤村「千曲川のスケッチ」より) (島崎藤村「千曲川のスケッチ」より)


小学校の4年までで東京に転校してしまって、記憶にないのですが、祖父と神輿をみた記憶があるので、休みだったのかもしれませんね。

8
境内・・・

「宮だし」には、まだ一時間ほどあり、まだ少ないのですが。それでも人が集まりだしていました。

「宮だし」は、この祭りの主役の健速神輿を神社から出して、町内へ繰り出す行事です。祭りの大きな見所の一つです。

9
社殿では神事が行われていました。

この神社健速神社の総本社は祇園さんで知られる京都の八坂神社、どちらもスサノオを祭る神社です。スサノオは、古事記では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)です。建速がはいっていますね。
健速神社は江戸時代までは祇園宮とよばれていましたが、明治元年(1868)の神仏分離令により健速神社となりました。
神事では、本殿から、スサノウの御霊が、神輿に移されます。この瞬間から、この神輿は荒ぶる神となります。

10
神事が終りました。この日の神輿の担ぎ手たちです。
神輿を担ぐのは36人の氏子・・・
前夜、湯立の神事で身を清めて神の担ぎ手となって祭りに臨みます。

 近在の娘達は早くから来て町々の角に群がった。戸板や樽を持出し、毛布ケットをひろげ、その上に飲食する物を売り、にわかごしらえの腰掛は張板で間に合わせるような、土地の小商人はそこにも、ここにもあった。日頃顔を見知った八百屋夫婦も、本町から市町の方へ曲ろうと稲荷鮨を漬つけたり、海苔巻を作ったりした。貧しい家の児が新調の単衣を着て何か物を配り顔に町を歩いているのも祭の日らしい。
 午後に、家のものはB姉妹の許もとへ招かれて御輿の通るのを見に行った。Bは清少納言の「枕の草紙」などを読みに来る人で、子供もよくその家へ遊びに行く。(島崎藤村「千曲川のスケッチ」より) (島崎藤村「千曲川のスケッチ」より)


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担ぎ手はお神酒を頂き、拝殿内を片付けて神輿のみとします。

そして担ぎ手の総代が神輿の担ぎ棒に乗り指図をします。

13
そして、荒々しく神輿を拝殿の床に落とすように音を立てておろします。

この祇園の神スサノウが乗り移っています。

15
神輿は前後に大きく揺すられながら、荒々しく拝殿の中央に運ばれます。

スサノウは天の岩屋の事件で高天原を追放され、出雲の鳥髪山で、美しい少女櫛名田比売(くしなだひめ)を救うために八岐大蛇を倒した荒ぶる神・・・

その神を目覚めさせる必要があるかのようです。

16
ここからが一番の見どころ・・・

500キロもある神輿はぐるぐると独楽のように回されます。ここが最初の見せ場です。

あらぶる神は、時には若者を弾き飛ばします。
見ている方がはらはらします。

私の母親はここから歩いて数分のところに住んでいました。この祭りは両親へのお中元の日となっていて三十数年、毎年のように、この祭りを見続けていました。一年ほど前に、母親はあの世へ旅立ちました。そんな思い出の祭りです。

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降り飛ばされても、また、とりついて回します。

この祭りは悪霊の疫病を追い払い、五穀豊穰・無病息災を願う祭り・・・
信州の悪霊は、暴れ神輿のエネルギーでないと追い払えません。

この祇園祭の由来については色々な説があるのですが・・・
千年の歴史があると云うのは置いておいて、元禄16年(1703)『牧野康重新知郷村引渡証文』という古文書に祇園宮の名があり、成立はそれ以前と考えられます。

小諸藩主の酒井忠能は、領民に重税をかけるなどの圧制を行い、一揆が発生し、駿河国へ移封されます。そのあとを継いだ藩主、西尾忠成は人心を収めようと、1675年に、他の場所にあった健速神社をここに移し、祇園祭を盛大に行なったといわれています。

いずれにしても江戸時代から盛大に行われていたことは間違いないようです。

18
神が目覚めたようなので、神は町へ向かいます。

 光岳寺の境内にある鐘楼からは、絶えず鐘の音が町々の空へ響いて来た。この日は、誰でも鐘楼に上って自由に撞つくことを許してあった。三時頃から、私も例の組合の家について夏の日のあたった道を上った。そこを上りきったところまで行くと軒毎に青簾を掛けた本町の角へ出る。この簾は七月の祭に殊に適ふさわしい。
 祭を見に来た人達は鄙ひなびた絵巻物を繰展くりひろげる様に私の前を通った。近在の男女は風俗もまちまちで、紫色の唐縮緬の帯を幅広にぐるぐると巻付けた男、大きな髷にさした髪の飾りも重そうに見える女の連れ、男の洋傘(こうもりがさ)をさした娘もあれば、綿フランネルの前(まえだれ)をして尻端を折った児もある。黒い、太い足に白足袋を穿いて、裾の短い着物を着た小娘もある。一里や二里の道は何とも思わずにやって来る人達だ。その中を、軽井沢辺あたりの客と見えて、珍らしそうに眺ながめて行く西洋の婦人もあった。町の子供はいずれも嬉しそうに群集の間を飛んで歩いた。(島崎藤村「千曲川のスケッチ」より)


[ 投稿者:オコジョ at 07:37 | 小諸 町 祭り | コメント(4) ]

この記事へのコメント
こんばんは
「千曲川のスケッチ」で、小諸の祇園について3章も割いているんですか?
あれ、読んだはずなのに全然覚えていない。
ダメですねぇ。
また読み直してみますね。
大和屋紙店は、本町にあるお店でしょうか?
もしそうなら、一度だけ入ったことがあります。
たしか、お人形祭りの時に、思い切って入ったという感じでした。
どうもああいう古いお店は、入るのに勇気が要りますね。
小諸の祇園祭、やっぱり格式がありますね。
投稿者: 万見仙千代 at 2017-07-19 20:08:38
万見仙千代さんへ
こんばんは
千曲川のスケッチは各章が短いですから印象派薄いかもしれませんね。
大和屋紙店は、本町にある店です。昔ながらの店の感じなので、入りにくいところがありますね。買うと決めていないと入りにくいような・・・
そんなこともないのですが・・・
前日の市民まつりの神輿と較べると格式があり、見どころも多いのですが、人手は少ないのが残念です。
古きよきものがこの祭りにはあるのですが・・・
投稿者: オコジョ at 2017-07-19 20:57:57
連投すみません
御嶽海、白鵬に勝ちましたね!
まだまだ無理だろうと思っていたので、ビックリするやら嬉しいやら。
インタビューの時、ちょっと涙ぐんでいたような気がしました。
彼はこれからどんどん強くなってくれますね。
投稿者: 万見仙千代 at 2017-07-19 20:59:43
万見仙千代さんへ
今日は駄目だろうと思っていたのですが・・・
白鵬もプレッシャーがあったようですが、堂々たる相撲でしたね。文句なしの勝利でしたね。
今夜は祝杯をあげました。
今場所も十勝できるといいですね。
成績次第では東の関脇が見えてきそうです。
今後が楽しみです。
投稿者: オコジョ at 2017-07-20 08:03:53

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