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浅間山 (9月5日  小諸市久保より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2017年07月15日
城下町上田社寺巡り2 上田宿当たりの寺
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である。
昨日の日輪寺から市内に入っていくはと住居表示は中央何丁目という感じになります。
ほかにも中央東、中央北、中央西・・・
上田には城下町と宿場町時代の由緒ある名前が残っていたのですが。惜しいことをしました。
この通りの地区は房山(ぼうやま)という地区です。現地の説明によると

房山(望山)は古くは東太郎山を呼んだが、永正三年(1560)には太朗山麓一体の地を房山と呼んでいる。天正十一年(1583)上田城を築いた真田昌幸が、城下囲(がこい)八邑(ゆう 村)の一つとして重視し、屋敷割をして、山麓に散在する住民を移住させたのがこの町のはじまりである。

3
上房山地区の曹洞宗金昌寺・・・

ここも真田昌幸が登場・・・
もっとも上田城と城下町を作ったのは真田昌幸、智将ですから、色々なことをしたようです。

金昌寺は美ヶ原に近い武石にあった琴松寺という寺を慶長年間(約四百年前)に真田昌幸がこの地に移転したと伝えられています。

5
金昌寺本堂・・・

境内には聖徳太子を祭る太子堂があります。中には東信濃ではここにだけという彩色の聖徳太子の像があります。太子堂は明治十四年に建設され、彫刻は地元の名工、竹内八十吉氏による素敵なものです。

でも、金昌寺は2度目のアップなのですが。前回は本堂をアップしませんでしたので、本堂優先としました。

6
上房山は真田から鳥居峠を越える上州街道筋に当たりました。
江戸時代より前は今の北国街道はなく、善光寺や松代に向かうには真田から地蔵峠を越える、旧北国街道という道も分けていました。この道は真田信之の上田・松代時代には、信之の子孫が治めた沼田藩とを結ぶ真田街道というべき道でした。

そうした繁栄がこの辺りには残っているようです。

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昨日のアップで寄らなかったという大星神社里宮もありました。
代わりでは申しわけないのですが、こちらで参拝しました。

8本陽寺
上田中央のままですが、旧町名は鍛冶町となります。上田市民でも中央6丁目といってもピンときませんが、鍛冶町といえば通じます。バス停もみんな旧町名です。

鍛冶町の日蓮宗・本陽寺・・・

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仁王様・・・

本陽寺は元和八年(1622)に小諸から上田藩主として移った仙石忠政が鬼門除けとして小諸から移してきた寺です。
小諸にあった時の本陽寺は文緑四年(1595)に、時の小諸藩主・仙石秀久の正室・本陽院により小諸に開基したそうです。仙石氏は秀久の子の忠政が藩主の時に上田に移封しますが。その時にこの地に再建されています。本陽院は文禄五年(1596)に亡くなっていて、その菩提を弔うため建てられた寺で名前は、上田に建てられた時に本陽院からつけられています。

10本陽寺
この寺には仙石家墓所があります。
小諸城主仙石秀久夫人の本陽院墓を中心に石塔婆が大小11基あります。

仙石氏は上田の地を三代約90年間にわたり治めます。
昨年は大河ドラマ「真田丸」で多くの人が上田城を訪れたそうですが、現在の上田城は真田昌幸が築城したものが残っていると思っているようです。
上田城は、二度に渡って徳川の大軍を相手に戦った城です。江戸時代の儒学者で軍学者山鹿素行の『武家事紀』で第一次上田合戦での敗因と分析していて、「天守閣もないような小城」と徳川方が侮ったと書かれています。このことから、上田城は天守閣はなかったという定説が生まれました。しかし第一次上田合戦のあとで、三層望楼型天守が西北の角に建てられた可能性があるとも言われています。
現在、上田城本丸には三棟の櫓(やぐら)がありますが、江戸時代のもので、真田昌幸が築城した城は、関が原以後に徳川家康が腹立ちまぎれに徹底的に破壊してしまいます。
現在の上田城は仙石忠政が復興工事を行ったものです。もっとも、途中で中断してしまい
城としての機能はなく象徴だけだったようです。

もっともここに最初城を作ったのは真田昌幸ではなく、この地方の豪族小泉氏の尼ヶ淵城を昌幸が手を入れ拡大して上田城をしています。

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本陽寺の隣り合わせの曹洞宗月窓寺・・・

浄念寺、勝宝院などというお寺もこの辺りにあるのですが。足の向くまま、気の向くままで割愛しました。別に他意はないのですが・・・

特に変わったお寺とも思えませんが・・・
この門をくぐっていくと・・・

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日本の禅宗としては塗り込め造りの珍しい形の山門です。なんとなくお伽噺の竜宮城の門のようでもあります。田舎としては珍しい形ですが京都の満福寺を開山した穏元禅師が全国行脚してこの寺にも立ち寄った時の影響とも言われます。

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月窓寺本堂・・・

ここはこの地方の名族の海野氏の傍流の常田隆永が永禄元年(1558)に、彼の地元の常田に建立と言われますが、第一次上田合戦の戦禍で焼失し、鍛冶町に再建しています。

真田信繁(幸村)の戒名は大光院殿月山傳心大居士なのですが、この中に月と傳があります。月窓寺は元は傳心山月窓寺だったとも言われ、真田信繁が中興開基し、信繁(幸村)が九度山へ流される前に月窓へ馬具や遺品を納めたという話が伝わっています。真偽は怪しげですが・・・

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浄土宗願行(がんぎょう)寺・・・・

この四脚門は、屋根正面の軒の中央部が上の方へ丸くなっている軒唐破風(のきからはふ)という形式だそうです。桃山時代の様式を今に伝える上田唯一の建物だといわれます。門に刻まれた彫刻は見事で、扉や柱など、どっしりと重厚な風格が感じられます。

願行寺も東御市の海野郷にあったのを、上田城の建設とともに真田昌幸が城下に移し、元和7年(1621)真田信之が、この場所へ移しました。
真田信之は松代移封となり、松代に新たに願行寺を創建しています。
です。
上田の願行寺はも真田家の後は、維新まで、藩主を務めた松平氏の菩提寺となりました。

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願行寺 本堂・・・

当時願行寺は上田第一の大寺で、この門は古くは海野町の東端の突き当りありました。
大名行列か海野町を江戸に向かうと唐門(からもん)と呼ばれたこの門が正面に見えたそう

大正14年(1925)上田丸子電鉄丸子線の発着駅として「上田東駅」が開設されることにより、その駅の周辺に新しく生まれた町名は、この四脚門にちなんで大門町と名づけられました。大門町の新道開発にともない願行寺は道によって分断され、四脚門も町並に合わせて、現在の本堂東側にある寺の入口へ移されました。

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北国街道上田宿側は横町と言います。

この通りには2つの寺があります。

横町あたりは江戸時代には武家屋敷町でしたが、今は広い自動車道となり、町並みはすっかり変わってで宗吽寺(そううんじ)と日輪寺の2つの寺にわずかに歴史の香りを残しています。

この参道の奥に見えているのが宗吽寺の山門です。
宗吽寺は上田城の堀近くにありましたが、上田城築城の時にここに移りました。

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宗吽寺本堂

上田藩主松平氏の祈願寺で、参勤交代の江戸への出立の吉日をこの寺が決めたそうです。
参勤交代は大きな行事。天気のいい日に出かけようという訳にはいかなかったようですね。

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宗吽寺の境内にある石造の六角形の石幢(せきどう)です。

寺の参道には良く六体の地蔵が並んだ六地蔵があります。石幢はひとつの石塔に六地蔵を祀ったものです。一見、石燈籠のように見えるのですが、お地蔵様なのです。

宗吽寺の石幢は、切妻の家型で前と左右の三面に二体ずつお地蔵菩薩を彫ってある特殊な形で、長野県ではここだけです。
石幢と石灯篭の違いはあかりを灯す火袋の有無です。この石幢ここは前後の中央に窓あったことから、後世、石幢の意味を知らないで、灯篭と勘違いして、左右に穴がないのはおかしいと、無残にも地蔵の部分に、灯篭に多い「日」と「月」の形に窓をつけて、無残にも地蔵さまは削られ台座も灯篭風に変えられてしまっています。
「正平4年」(1349)と南北朝時代の南朝の年号が彫られています。当時この地方全体では北朝の年号が多いのですが、この寺ある土地を治めていたのは南朝方だったと云ことをッたえているようです。
ことを示しています。

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最後の寺となります。
手背ばかり、本当に読んでいただいた方には感謝です。

真言宗日輪寺・・・

この寺も上田城の堀近くにあったものを上田城築城の時にここに移したといわれています
上田の寺はみんな移っているような感じですね。
殿様の命令は絶対だったようですね。

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日輪寺の観音堂

寺の名は真田氏の本家筋、海野幸義の法名の日輪寺殿に由来しています。
本尊は海野家の守り本尊であったといわれる聖観音です。この寺で一番大切なのは観音様、本尊の勢至菩薩は本堂の中ですが、建物は門を入った正面が観音堂で本堂は左となっています。

観音堂の本尊の聖観世音菩薩像は海野家の守本尊で上田市指定有形文化財だそうですが、本尊の観音様はこの観音の後ろの厨子に祀られているそうです。8月9日のりんご祭のみに御開帳されるそうです。

[ 投稿者:オコジョ at 09:23 | 上田市・小県郡 | コメント(0) ]

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