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浅間山 (9月5日  小諸市久保より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2017年07月09日
北国街道  上田・秋和あたり
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今回出会った石仏・・・
地蔵菩薩かと思ったのですが・・・
頭が地蔵菩薩から剃髪した僧侶の姿ですし、衣はなんとなく女性みたいな・・・

摩耗していて、わかりにくいのですが、見にくい老婆のような・・・
手の位置から右手に衣を持っているようですので、三途の川で死者の衣を剥ぐ脱衣婆(だつえば)のようです。脱衣婆は十王像と一緒のことが多いのですが、単体で祀られることもあります。


2
北国街道に戻りました。上田バイパスと街道が交差する当たりです。

ただ土手にみえますが。ここは「北国街道一里塚公園」というそうです。
この道は、自動車道路にするために斜面を削ったようです・
街道はこの上の平坦な部分を通っていたようです。

「道しるべの碑」とあるので登ってみると・・・

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道しるべには・・・

「右北国街道 左さくば道」「文久元歳辛酉年五月 上鹽尻」とあります。幕末の文久元年(1861)の道しるべです。

さくば道は漢字で書くと作場道で仕事道のこと、今でいうと農道ですね。

この道は人の通る街道と、そのあとに「馬も通る」はユーモアがあっていいですね。
「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」なんて一茶の句が思い出されます。

ここが一里塚のあった場所ですが、一里塚は自動車道路と右の写真に写っているフェンスの向こうの工場の造成で消えてしまったようです。

3「此道往還人 馬通る」
「道しるべの碑」の道の、登り口のお地蔵さん・・・

今は一里塚の案内人のようです。

7
一里塚までは上塩尻、その先で秋和集落に入ります。
秋和集落は真田氏が上に田城下町をつくったときに城を守るために、城下町を囲むようにしてつくった村の一つです。当時は士農工商ではなく、いざという時は、農民も戦力となりました。上田戦争では、こうした人たちも徳川軍とたたかったようです。

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猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の大きな碑があります。

猿田彦大神は、高天原の神々が大国主神から国を譲り受け、地上を支配する神を案内した神です。このため道の神、道案内の神、旅人の神とされました。山伏の修験道が盛んになると猿田彦は、天狗の神様ともなりました。
そのためではないでしょうが、この碑は天狗石といういで造られました。天狗石は背後に聳える太郎山に産する石で、自然のままでも、きれいな六角形をしている石柱なのです。
もっとも日は細工して六角ではありませんでした。

案内板に、寛政12年(1800)、庚申の年に北国街道の旅人の安全を祈願して村人千人を要して建立したとあります。太郎山からここまで運んでくるのは大変だったようです。

ここ猿田彦大神の碑は先日紹介した秋霧原野神社の参道になっているようで、道の奥に神社の社殿の橙色の屋根が森の中に見えていました。

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アジサイの花・・・
もう半月も前の写真、今は見ごろでしょうね。

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なんとなく旧街道らしい道を行きます。

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ここはなんの建物だったかと・・・

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用水のある道・・・

旅人が休む立場の茶屋が昔はあったのかなと勝手な想像をふくらませて・・・

無寿司の本堂も今は細い裏道・・・
車も時折しか通りません・

こうしたある道は心落ち着く道です。

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曹洞宗少林山長昌寺・・・
豪壮な迫力のある山門ですね。この門の六本の柱は太い大きな一本の木を六つに分けたものを使っているそうです。立派な木だったのでしょうね。

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この寺は、飛騨高山の城主だった小林飛騨守長昌が、武田氏に敗れて、妻の里家の村上義清を頼り、秋和に移り、昌は出家して小林堂というお堂開基して、この地で亡くなったと伝えられています。
天正元年(1573 )、室町幕府が織田信長により事実上の滅亡した年ですが、群馬県藤岡市の永源寺の僧が開山、小林堂を長昌寺と変えたそうです。

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山門前の六地蔵と言いたいところなのですが・・・
このうち4体は地蔵菩薩ですが両端は何度見直しても、頬杖をついている如意輪観音なのです。やはり6体揃えないということで助っ人でしょうか・・・

長昌寺は明治4年学制頒布で各地に学校ができました。明治8年秋和村にできた「秋和学校」はここ長昌寺を借りて学校としました。明治22年秋和村は上塩尻村、下塩尻村と合併して塩尻村となりました。それまで、この寺で学び境内で遊んだ子供たちが居ました。この仏様とも遊んだのでしょうか。

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お地蔵様の向かいには、十王たち・・・

十王は「極楽浄土」信仰のために祀られます。
十王は何度も説明していますが、仏教で、人が死んでいく先は六道(地獄道・餓鬼
道・畜生道・修羅道・人道・天道)です。そのどの道になるかは、その人の生前の行いから決められますが、行く先を、決めるのは閻魔(えんま)大王と中心とする十人の王たちが裁きます。
裁判の日は初七日から七日おきに四十九日まで、そして百か日、一周忌、三回忌・・・
通常は四十九日までに結審して、それ以降は、その残された人々の法要の様子によっても罪が軽減される・・・
仏教は救済の宗教です。

生前に十王を祀ると、死後の罪を軽減されると「預修」という信仰からこうして作られたようです。首の名のものもいて寂しげです。数が少ないのは裁判中でしょうか・・・

右の写真は閻魔大王とその奥さんとも言われる奪衣婆(だつえば)・・・
三途の川の渡し賃は六文とか、真田の六文銭は死を覚悟して戦うという意味があります。
三途の川を、わたり終った、死者の衣装をはがすのが、奪衣婆で、その衣服の重さを図る爺とかはかりとか・・・

あの世は見事な分業のようです。

冒頭の写真の石仏とここの奪衣婆は似てますよね。

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杉の切り株に屋根です。大切にされていますね。
ここには真田昌幸がこの街道に267本の植え杉並木にしたそうです。
以前は残っていたそうですが。だんだん減っていって、今はこれだけ、時の流れを感じます。

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冒頭の奪衣婆のあった真言宗智山派正福寺・・・

この寺は天平年間(729〜748)といわれる古刹だそうです。この寺の厄除観世音は村上義清、真田信之公の信仰を得たと説明数ありましたがそれ以上詳しいことは調べられませんでした。

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正福寺境内入口にある供養塔も「流死含霊識」と記されています。

この碑は千人塚と呼ばれています。

江戸時代の寛保2年(1742)8月1日の「戌の満水」と呼ばれる千曲川の大洪水により全域で多数の流死の死者が出で、上田藩主が諏訪部の河原に流れついた遺体を集めて死骸を集めて正福寺に埋葬し、「流死含霊識」と記し、碑を建てて供養して千人塚と呼ばれたそうです。

「戌の満水」は私の街でも、中沢川・松井川に発生した土石流が鉄砲水となり小諸の宿場町を直撃、死者584人、流家373戸の大被害となります。これはこの洪水の最大の被害でした。本陣と多くの旅籠も流され、本陣は本町から市町へ移りました。
旅籠で働く名もはっきりしない下男下女や旅人も多く、土石流に埋もれ確認できない者も多く、実際の死者は600人をはるかに越えたとも言われます。上田・小県地方の上田領では158人の流失者を出しています。
千曲川流域全体では2800人の死者を出す大災害でした。
そして「戌の満水」から270年近い今も、人々は8月1日に墓参りをします。
私も毎年、その辺りの都合の付く日に墓参りをしています。

この碑は新しいですね。古い碑は寺の中に保存されているそうです。

25
その先で国道18号に出ます。「生塚」(うぶつか)信号・・・

ここからは少し前に上田宿を歩いたところとつながります。
今回の北国街道はここまで・・・

でも、街道を離れて、散歩を続けますが・・・

[ 投稿者:オコジョ at 07:56 | 上田市・小県郡 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんばんは
佐久を歩いていると、時々 「上田・秋和」と書かれたバスに会うことがあります。
これに乗ったら、上田の秋和って所にいけるんだな・・と思いながらすれ違うんですよ。
バスは知らない世界に連れて行ってくれるんだけど、何しろこの辺りは、無事に帰ってくることができるかどうか分からないので、どうも冒険はできないんですよね。
秋和はこんな所なんですか。
長閑な感じなんですね。
戌の満水、上田でもすごい被害が出たんですね。
投稿者: 万見仙千代 at 2017-07-09 22:15:46
万見仙千代 さんへ
こんにちは
なんで上田でなく 「上田・秋和」なのか不思議ですよね。
上田の西側なのでこちらの人には便利でしょうが・・・
竜は簡単なのです。千曲バスの上田営業所が秋和にあり、車庫になっているからです。
特に何かあるわけではないのです。
街道や寺社に興味がないと、「何もない」ところですね。もっとも、大体の場所がそうですが・・・
しかし、ここに車庫があるおかげで、千曲バスの上田駅発の多くのバスがこの辺りを通りますので、ここはわりと頻繁にバスがあって便利です。
千曲川流域では「戌の満水」の慰霊碑をあちこちで見かけます。雨は怖いですね。
九州の雨が、早く収まってほしいものと願っていまい。
投稿者: オコジョ at 2017-07-10 13:05:33

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