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浅間山 (5月7日 信濃追分駅より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習いの、にわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2017年04月21日
東京湾を囲む旅6 館山城と桜・・・(千葉)
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見上げると素敵な天守が・・・

駐車場から比高60m・・・
町を見下ろしていました。


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今回は桜もあればという義父の希望もあり、館山の城山公園を選びました。

東京の上野公園は、満開という話でしたが・・・

もっと南なのでも期待したのですが、三分くらいでしょうか・・・

義父は下で待つということになり、義弟夫婦は付き添います。好奇心旺盛な我が夫婦は30分で見学することにしました。

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この辺りが、 新御殿と呼ばれる郭があったようです。城の政務の中心だったようです。孔雀園がありましたが、時間がなく素通りです。

館山城は天正18年(1590)滝沢馬琴「南総里見八犬伝」で有名な安房国の名家、里見氏9代の里見義康が築城しています。里見家の全盛期には房総3国57万石の大大名でしたが。築城の年に秀吉の小田原攻めに遅れ、安房一国9万2千石に減封されてしまいます。

これは秀吉の謀略でしょうね。何かと理由を付けて里見の勢力をそごうとした。天下人なんて、そんなものです。

慶長5年(1600)の関ケ原の戦いでは、東軍につき、宇都宮城の守備にあたり功績を認められて、常陸国鹿島郡に3万石が加増され12万2000石の大名となり、義康の弟の里見忠重も上野国板鼻藩1万石の大名となっています。

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ここは地形的に防御のための堀切(竪堀)でしょうか・・・
今は立派な本丸への階段です。

ここは城というより、市民の集う公園として整備されていて、古城の雰囲気は薄いようです。

里見義康は慶長8年(1603年)に31歳の若さで死去しを子の里見忠義が継いだ。しかし忠義は大久保忠隣の孫娘が妻だったために、慶長19年(1614)の忠隣の改易に連座と城郭を無断拡張したとの罪で改易され、館山城は廃城となり破棄されてしまいます。館山藩も消滅します。170年近く放置されます。

こちらは徳川幕府の謀略ですね。機会があれば・・・
無理にこじつけて、里見をつぶしてしまおうと・・・・

もう一度、天下人なんて、そんなものです。でなければ天下は取れません。
生き残った武将も似たような・・・
いや、滅んで行った名称たちも似たようなものだったのかもしれません。

今の政治家に似ているような・・・

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ここの桜は花盛りでした。

城跡というより庭園という雰囲気です。

天明元年(1781年)になって旗本稲葉正明が安房・上総国内で3000石の加増を受け旧領の7000石と合わせて1万石の大名となり館山藩が復活します、
しかし小大名で、城もちでなく、この子の稲葉正武が城跡の南麓の脇に館山陣屋が建照られています。
そうしたことから。昔の姿は失われてしまったようです。

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安房の国の桜を楽しめました。

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本丸への道・・・

太平洋戦争の時にこの本丸は軍事的な理由があったようで、7mも削られて低くなったそうです。

ここには戦時中には高射砲台、館山には航空自衛隊の館山基地があります。
そういうものがない時代になってほしいものです。

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もう昔の面影がないのも仕方ないですね。

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本丸跡・・・

この天守閣は当時のものではなく、また復元でもありません。
日本福井県坂井市丸岡町の「日本100名城」「日本さくら名所100選」に指定されている丸岡城を模して1982年(昭和57年)に建築された模擬天守です。
里見時代の天守閣は資料がなく概要や外観については不明だそうです。

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天守は現在、館山市立博物館分館(八犬伝博物館)となっています。

館山は何といっても「八犬伝」のようですね。

子供のころは「八犬伝」には夢中になりましたね。馬琴は「弓張月」も・・・
「地雷也」も・・・
「赤銅鈴之助」とか「まぼろし探偵」「怪人二十面相」・・・
古いですね。

展望はよさそうですが、入場している余裕はありませんでした。、

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浅間神社・・・

「あさまじんじゃ」でなくて「せんげんじんじゃ」ですね。
祭神は富士山の「木花咲耶姫」です。
ここから富士山が見えるとか・・・・

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眼を凝らしても見えるのは果てしない海原でした。

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館山湾・・・・

東京湾といってもいいかな・・・
穏やかな海の風景でした。

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船を見るとなんとなくうれしくなります。

山国の人間ですね。

この船に乗るとかといわれれば即、否ですがね。

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こんな道を下って・・・

城という雰囲気はないですね。

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桜もこのくらい咲いていれば良しとします。

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ここを下れば義父たちのいるところ・・・

その前に、近くの館山神社が気になって・・・
何も調べていなかったのですが。なにか昔からの話が伝わっていそうな・・・7

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違いましたね。

館山神社は、大正12年(1923)の関東大震災はこの地でも大きな被害があり、この辺りの館山地区の新井・下町・仲町・上町・楠見・上須賀にあった神社が倒壊してしまったそうです。それぞれの再建は大変と、人々は倒壊した神社の神々をここに集めて合祀することにしたそうです。
各地区の稲荷神社、諏訪神社、厳島神社、八坂神社七度をここに集めて館山全体の鎮守として創建したそうです。そして館山神社としたと・・・・

この社は昭和4年(1929)・・・
震災からの立ち直りの場所だったのかもしれません。

館山城の城主の神社より、価値があるように私位には思えるのですが・・・

[ 投稿者:オコジョ at 07:58 | その他 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
即 否ですか
即 乗る 小紋です。
大分の山の方で2年住んだときは 山に登っても 遠くに 海が見えなくて 哀しかったです。海にちなんだ名の中学に行き 博多では 港町に住みました。運命で 住むところが決まりますね。山国のいいところを紹介してもらって たのしんでいます 今度は船に乗ってくださいね。 
投稿者: 小紋 at 2017-04-21 17:08:03
小紋さんへ
泳げないので、小さな船は怖いですね
池のボートも乗らないようにしています。
いまさら、泳げるようになるのは無理ですが、水の上は気持ちがいいですね。
大きな船なら乗ってみたいです。
投稿者: オコジョ at 2017-04-21 22:28:47

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