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浅間山 (4月12日 東御市滋野駅付近より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習いの、にわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2017年04月15日
東京湾を囲む旅2 巣鴨(東京)  都電荒川線 
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北陸新幹線から、荒川を渡ります。
こちらは上流側・・・
信濃・甲斐・武蔵の国境から流れ下ってきた流れです。
ここを渡ると東京です。


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東京都電車の早稲田行・・・

上野で降りて山手線で大塚駅へ・・・
よくテレビなどで紹介される都電荒川線に乗りました。

「チンチン」と発車の時などに音を立てて走っていたために「チンチン電車」の愛称のあった都電・・・
昭和30年代に何度か乗ったなつかしい電車です。

個人的には、都電と同じ路面電車では、私としては、今はなくなってしまいましたが、渋谷と二子玉川を結んでいた玉電の愛称で親しまれていた東急玉川線が都心の足であり、高校の通学列車として一番親しみのある電車でした。
出も昔のイメージと違って綺麗すぎました。50年以上昔のイメージ通りなんてことはあり得ないのですが・・・

でも、いまだに無人駅で、券売機もなし・・・
もっとも、私はスイカで乗りましたが・・・

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子供のころから親しんだ路面電車・・・

荒川線はほとんどが専用軌道です。一部に車道と軌道の併用部分があるそうですが、今回は二駅間、たった2分の乗車でした。

いつか広島あたりで。路面を走る列車に乗ってみたいなと・・・

都電荒川線を降りて、乗って来た三ノ輪橋への荒川線を見送ります。

忘れないうちに書いておきましょう。この道は旧中山道です。

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そして、踏切を渡り、すぐ先の交差点に「猿田彦大神」という提灯が下げられた小さな門があります。

荒川線を降りた駅を書いていませんね。降りたのは「庚申塚」駅・・・
この門が庚申塚です。巣鴨猿田彦庚申堂というようです。

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山門の先の参道の、両脇に狛犬でなくて神猿がいらっしゃいました。

庚申は。庚申というのは干支の一つです。60日に一回、庚申の日があります。人間の体の中には生まれながらに三尸(さんし)という3匹の虫がいるそうです。庚申の日に三尸は人が寝ている間に、道教の最高の神である天帝にその人間の悪事を告げ口に行きます。それにより、寿命が短くなります。三尸が報告に行かないように庚申の日は夜通し眠らないで、天帝や猿田彦や青面金剛を祀り宴会をする庚申講を行います。清少納言の「枕草子」にも、庚申の夜をいろいろと工夫して遊び徹夜する様子が書かれていますから、古くからあったようです。

台座には「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿が彫られています。
「三猿(さんさる・さんえん)」は「見ざる、言わざる、聞かざる」これは三尸の虫が天帝に告げ口をさせないということですが、これは日本の後世の創作でしょうね。

猿田彦や青面金剛と書きましたが、神道系の庚申本尊は青面金剛(しょうめんこんごう)です。青面金剛は、六臂三眼の忿怒相の青い顔の金剛童子と字のままです。病魔・病鬼を払い除く強大なご利益があるそうです。

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庚申塚の社・・・

祀られているのは、天津祖猿田彦大神 地津主大己貴神 人津霊少彦名神・・・

大己貴神は大国主のことです。少彦名神(スクナビコナ)は大国主と一緒に国造りをした神です。

日本神話に登場する神は天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)に別れます。天津神は高天原(たかまがはら)に住んでいるか、高天原から天降った神々いる神々、これに対して昔から地上を治めていた大国主など土着の神を国津神と言います。高天原から追放されたスサノオも国津神だそうです。ここの神たちはみんな国津神です。

神話では天津神の邇邇藝命(ににぎのみこと)が天照大神から授かった三種の神器持って高天原から日本に降りてきます、これを天孫降臨(てんそんこうりん)といい、その子孫が天皇となって国を治めるのですが、この時に迎えにでて案内したのが、猿田彦です。このことから「道と境界を守る神」つまり道祖神の一つとされます。
神話の猿田彦の背は七尺神の鼻の長さは七咫(あた)、目が八咫で、ホオズキのように照り輝いていると天狗の原型とも言われます。

庚申とは十干と十二支の組み合わせですね。「かのえさる」とも読みます。申(さる)から猿田彦と結びついたようです。道案内をした神で交通安全・方位除けにご利益があります。庚申だけでなく、「猿田彦神社」という神社が全国にあります。

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庚申塚に高さ八尺(約2.4m)の庚申塔が建立されたのは文亀2年(1502)だそうです。しかし振袖火事と呼ばれる明暦3年(1657)の大火(いわゆる)の後、復興のため中山道沿いのここ巣鴨にも道の両側に、材木が積み上げられていて、そのうちの立てかけてあった材木が庚申塔に当たり、塔は五つに割れてしまったそうです。古いこのお堂の下に埋め、新しい現在の庚申塔が建てられたそうです。その上にお堂が建てられたそうです。
昭和20年(1945)の戦災により全焼して、昭和24年(1949)仮本堂となり、この本堂は昭和47年(1972)の建立・・・

塔もお堂もひきつがれてきたようです・

駅名からおわかりの通り、ここは「武州豊島郡巣鴨庚申塚」として江戸時代には

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庚申塚境内にあった『江戸名所図絵』の「巣鴨庚申塚」・・・

江戸名所図会は江戸時代の名所案内です。
この図では中央に庚申碑があり、その周りに茶屋があって賑わっている様子が描かれています。このよしずで囲んだ茶屋は「団子茶屋」と名所の茶店だったそうです。道は中山道ですね。

巣鴨庚申塚は当時には日本橋から最初に旅人の休憩する立場(たてば)で茶店があり、人足や馬の世話もしていたそうです。

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「とげ抜き地蔵商店街」
「おばあさんの原宿」と呼ばれていますね。

庶民的な店が並んでいて懐かしい雰囲気があります。
最近はアウトレットが人気ですが、田舎者の私は軽井沢に年に何度か行きますが、買うものがなく、近寄りません。

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ここは売っているものも庶民的・・・

こういう町があるというのは嬉しいことですね。

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曹洞宗萬頂山高岩寺というより、「とげぬき地蔵尊」として知られています。

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この寺は慶長元年(1596)に江戸湯島に開かれ、約60年後下谷屏風坂、今の上野駅あたりに移っています。そして明治24年、区画整備のため、巣鴨の「とげぬき地蔵尊」となりました。

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ここの本尊は「とげぬき地蔵」の名のように地蔵菩薩です。

言い伝えでは江戸時代、小石川の婦人が男子を出産しますが、病に見舞われ床に臥し、手足は「細き竹のごとく」にやせ細り、諸々の医者が手を尽くしこれまでと・・・
婦人は「私の家は怨霊があって、女は25歳までしか生きることができないと父母は言っていました。姉も25歳で亡くなりました。」と・・・
夫は、こうなれば妻が日頃信仰する地蔵ボ猿にすがるしかないと病気平癒の祈願を毎日続けました。するとある夜。夢枕に黒い袈裟をかけた僧が現われ、「私の像(かたち)を一寸三分に彫刻して川に浮かべなさい」と告げます。夫は像がわからないというと「印像をしめしてあげようと・・・」いわれて、目が覚めると枕元に、何か木の節のようなものがあり、そこには「彫ったものでも書いたものでもない」不思議な地蔵菩薩の御影(おみかげ)だったそうです。これをお告げに従って、印肉に収めて、宝号を唱えながら一万体の御影をつくり、両国橋から、一心に祈願して隅田川に浮かべました。翌日の朝、妻は夫を呼び「今、枕元に死魔が現われたが、錫杖)をもった黒衣のお坊さんが、錫杖で死魔追い出してくれました。」そして、妻は元気になり、以後病気をすることは無かったそうです。

義父に「転ばず 倒れず 寝込ませない」という左馬(ひだりうま)の良い招福の駒のお守りを求めました。元気で、また旅ができますようにと・・・

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妻が助かった話を、夫が知り合いたちに話す中に毛利家に出入りする西順という僧がいて、ぜひその御影を頂戴したいとのことで持っていた2枚を与えました。ある時、利家の女中が、間違えて、くわえた針を飲み込もみ苦しみもがくいていて医者もどうしようもなかったのですが、西順が来て「地蔵尊の尊影」の一枚を水で飲ませる女中は腹の中のものを吐き、きれいな水で洗うと、その中に飲み込んだ針が、地蔵尊の御影を貫いていたと言います。これがとげぬき地蔵の由来です。

地蔵様は秘仏ですが、姿を元に作られた御影に祈願してもご利益があるとして高岩寺のご本堂で受けることができます。

代わりに境内のお地蔵様を・・・

そして・・・
とげぬき地蔵尊御影・・・
この尊像に痛いところに貼ったり、のどに骨が刺さったとき飲むと治るといわれます。

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「洗い観音」・・・

上でも記した「明暦の大火」は江戸時代最大の火災でした。江戸城の天守閣もこの時失われています。その火事で妻を亡くした高岩寺の檀徒の屋根屋喜平次は、その供養のため、「聖観世音菩薩」を高岩寺に寄進しました。そして聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという「洗い観音」信仰がいつしかうまれました。
五里や熊が大きいようにと、タワシで洗っていたために観音さまもすり減ったために平成4年、古い観音様に隠退していただき、あたらしい聖観世音菩薩とし、タワシを廃止し布で洗うようになりました。

この時も行列でした。行列が苦手な夫婦は、遠くから拝んでとげぬき地蔵をあとにしました。

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すがもんのおしり・・・

『すがもん』は鴨の国からやってきた12才の男の子。日本の商店街を元気にしたいがも〜の思いで巣鴨で元気に修行中。“すがもんのおしりを触ると恋が実る”という都市伝説も!
だそうです。

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巣鴨地蔵通りの巣鴨駅側の入り口に真言宗豊山派醫王山東光院眞性寺があります。
開基は不明ですが、聖武天皇勅願。行基菩薩が開いたものと伝えられています。

眞性寺から庚申塚までは町並みが続き江戸の中期から現在にいたるまで、商業や信仰の場として栄えてきたそうです。

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大きな傘をかぶり、お地蔵様。江戸の六街道の出入口に置かれ旅の安全を見守ってくれました。 (巣鴨は中山道の出入り口でした)関八州江戸古地図、江戸絵図ほか多くの文献から眞性寺界隈は交通の要として賑わっておりましたことが伝わっております。


この笠をかぶった杖を持つ大きな地蔵菩薩は江戸六地蔵の一つだそうです。

江戸六地蔵は江戸深川の地蔵坊正元が願主となって、宝永3年(1706)造立の願を発してから14年間の間に、この形の唐銅製の地蔵尊菩薩像6体を造立したそうです。その四体目では正徳(1714)の地蔵尊だそうです。

中山道の旅の無事を祈るお守り役とか-・・・

この先の旅が無事でありますように・・・

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現代の道となった中山道を六義園に向かいました。

[ 投稿者:オコジョ at 05:57 | 旅 (地域外) | コメント(4) ]

この記事へのコメント
ようこそ東京へ^^
すっかりご無沙汰しておりましたm(_ _)m

とうきょう、しかも下町散策をされたんですね〜〜荒川線沿線の散策ははとても楽しいです。

とげぬき地蔵は有名ですし何度も行ってますが、猿田彦神社があるのは知りませんでした。

信州の義母のそのまた母方は猿田という名字だったそうです。なんとなく親近感が湧きます。
お天気の良い時期の東京散策でよろしかったですね〜〜
投稿者: われもこう at 2017-04-15 18:01:59
われもこうさんへ
われもこうさんの地元へのお邪魔様です。
荒川線は一度乗って見たかったのですが、たった2分でした。東京駅の待ち合わせの途中下車で、時間制限がありましたので、店は何処も見ていません、こういう店があるのかと、さっと通り抜け・・・
往復するより庚申塚から巣鴨に通り抜けるのがいいかなと・・・
庚申塚で降りると、すぐ猿田彦大神の神社でした。
有名な町でしたが、全然知らなくて・・・
でも、面白かったです。
投稿者: オコジョ at 2017-04-15 19:21:22
都電荒川線
こんばんは。
北区に4年ほど住んでいましたので都電はなじみ深いものでした。
荒川線は王子駅前と飛鳥山の短い区間が車道と一緒ですよね。
電車の前後や横を車が一緒走っているし、
直進車を待って電車が右折したり、合流する順番を待ったり、おもしろいですよね。
電車を優先して譲ってくれる車もあれば関係なくいく車もあったり色々でした。急ブレーキで怖いこともありましたが・・・。
歩道や飛鳥山から、車中で写真を撮っている方がよくおられました。
オコジョさんの撮られる写真も見てみたいです。
投稿者: ハスカ at 2017-04-16 19:41:17
ハスカさんへ
こんばんは。
都電荒川線は一度乗りたいと思っていました。
玉電で日常的に路面電車に乗っていたので懐かしいです。何年か前で江ノ電の片瀬江ノ島あたりでほんの少し、道を走るのを見て懐かしいなと・・・

今の時代には、東京のような都会では存続は難しいのでしょうが・・・
旧古河庭園はまだ行っていないので、飛鳥山公園とつなげて。その時に道路部分を乗ってみたいなとは思っています。

今週は東京に行くのですが、団体行動なので。またいつかです。
投稿者: オコジョ at 2017-04-16 21:51:02

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