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浅間山 (2月4日 信濃追分駅より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習いの、にわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2017年03月21日
彼岸の墓参りとそのあとで・・・
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彼岸の墓参りに佐久市の田口地区に行ってきました。

北側の日影には雪がありましたがほんの少し。日の当たる山々には雪の気配はありませんでした。

暑さ寒さも彼岸までと言いますが、今日は寒く雪の予報です。


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我が家の墓は北向きの林の山裾・・・

この林の中です。獣対策の策があり、墓は鹿や猪の領分です。

<小海線を使って、その先3キロの歩き・・・
なかなか来られませんが、元気なうちは、彼岸、盆、命日辺りには来たいと思っています。


ただ冬の時期は雪があるし来にくいです。
今回は雪はないと思ったのですが・・・
でも、雪があるうちには入らないですね。

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無事済ませました。

我が家の奥津城・・・
神道の場合の墓は奥津城と呼ばれます。神道といっても、仏式とほとんど変わらないで、戒名でなく霊名といった形のものもあります。また先端を細くした形もあります。
霊名は姓名の下に「之霊・命・命霊・霊位」をつけます。我が家は山田太郎なら山田太郎命となります。

右下に石祠がありますが、これは墓ですが、佐久一宮の新海三社神社の神官を務めた先祖の墓です。

右の写真はその一つの石祠に刻まれているものです。
「羽州藤原吉直」とあります。藤原吉直さんは私の江戸時代の先祖です。ただし我が家の姓は藤原ではありません。神官をおこなった当主のみ藤原を名乗ったそうです。
江戸時代は幕府が宗教統制の一環として設けたキリシタンではないことを寺に証明させる寺請制度がありました。このため、人々は寺の檀家とならなくてはなりませんでした。住むところを変えたり、他の国に旅を照る時にも寺請証文という寺の証文でした。
つまり神官の家族は、神式でなく仏式で葬儀が行われ。ここには戒名の刻まれた墓がたくさんあります。分家はみんな仏教・・・

当時、神式の葬儀を行ったのは天皇と貴族、神官といった人々だけだったようです。といっても。我が家の祖せ戦が偉かったわけではなく、農業をする傍ら、必要な時に神官の務めをしたということのようです。

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今回は妻と一緒でしたので。墓地の近くまでタクシーで来ましたが。帰りは歩くことにしました。

もちろん車の道は避けてこんな道を・・・

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レタスの栽培用のマルチが貼られていました。

違う場所では種の植え付けをしている人もいました。
季節は歩みを止めてはいないようです。

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双体道祖神が二つ・・・

摩耗していて判読しにくいのですが、判読しにくいのですが・・・
左の像は坐像ですね。

一般的には双体神は夫婦の立像が一般的で、このような坐像は少ないようです。

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道の先にはお寺の入口・・・

だいぶ荒れてきたような・・・

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佐久 遍照寺・・・
 
元和初期(1615)に創建といわれる真言宗智山派のお寺・・・

植木が綺麗に手入れされていたのですが。皆切られてしまっていました。

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10年位前に来た時は、少し下に住職の方がおられたと記憶しています。

あとを継がれる方がいなかったようで無住になってしまったようです。
今は寂しげです。

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奥さまは千手観音かと・・・

台座に「見ざる聞かざる言わざる」の三猿、足元に二羽の鶏・・・
庚申の青面金剛ですね。
猿は庚申の申に繋がり、鶏は青面金剛の使いだそうです。
庚申は干支の「かのえ・さる」ですから・・・

庚申て、なんだっけと・・・

中国の道教では、人間の体の中には生まれながらに三尸(さんし)という3匹の虫がいるそうです。大きさはどれも2寸で、道士の姿の上尸、獣の姿の中尸・牛の頭に人の足という姿の下尸の三種類だそうです。
庚申というのは干支の一つです。60日に一回、庚申の日があります。この日に三尸は人が寝ている間に、道教の最高の神である天帝にその人間の悪事を告げ口に行くそうです。
これを防ぐ為に、庚申の日は夜通し眠らないで、天帝や猿田彦や青面金剛を祀り宴会をするのが庚申講(庚申待ち)です。三猿には青面金剛に「「見ざる聞かざる言わざる」の意味もあるようです。

この説明を始めたら。妻は思い出したようです。

でも、普通この像をみて青面金剛とわかる人はあまりいないようで、妻に限ったことではないようです。

この模型が、日本国立博物館(大阪)にあると旧岩崎観音堂参道入口近くの立て札にかいてあります。説明がありました。日本国立博物館という博物館は大阪にはありません。多分大阪府吹田市にある国立民族学博物館のことのようです。こうした案内文を素直に信用してはいけません。そして、このブログも・・・
書いているのは素人ですから・・・

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こちらは石幢(せきどう)

私のブログではよく登場します。
隣の佐久穂町との境界あたりの十日町に重要文化財の石幢もあります。六地蔵幢(ろくじぞうどう)
となっていますが・・・

石幢は石灯篭によく似ています。しかし石灯篭では当然ある灯りのための火袋がなく六菊になっています。灯篭の火袋にあたる部分は石幢では龕(かん)と呼ばれ塔身になっていて
ここに六方向に小さな地蔵が1つずつ祀られています。つまり一つの石塔で六地蔵を兼ねています。

ここでは十日町の六地蔵幢と同様に6面に窓を開けてその内部に六地蔵を安置する形です。
ただ十日町の六地蔵幢では6面に□の穴をあけていますが。ここは6面すべて違った文様で窓が開けられた凝った形となっています。
ほかでは日見たことがないので。珍しいものといえそうです。

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中野お地蔵様・・・

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遍照寺の福寿草・・・

ここは春の輝きでした。
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遍照寺の参道を横切る田口用水・・

この用水は、江戸時代の明暦二年(1656)に開鑿以降、この地方の田を潤してきました。
ただ、この利権を巡って対立は数多く、流血寸前などということもあったそうです。

この日はこの地区は一斉に用水の清掃をしていました。
流れも綺麗になり・・・
稲作の準備も始まりそうです。

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旧岩崎観音堂参道・・・

旧岩崎観音堂には古い石仏群があります。もっと山奥には「佐久市文化財大日宝塔」があります。
しかし、列車の関係で無理なようです。このあと、妻と食事と買い物をする予定・・・

その列車を逃すと次は1時間半後になってしまいます。

でも、旧岩崎観音堂参道をほんの少しの数メートル登ったところに「佐久市文化財磨崖石仏群」に入る藪道があります。この写真の石段の中ほどです。
入って数メートルの右の岩に五輪塔・多宝塔・三重塔・地蔵菩薩などが彫られています。
妻は初めてなので、こちらに寄ってみました。

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五輪塔・・・

ここは、昨年の春の彼岸にも紹介していますので簡単に・・・

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左は三重塔と多宝塔・・・

右は地蔵菩薩・・・

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ここにも石幢がありました。
ここは浮彫の形です。

土台は崩れてしまっていました。

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春の農作業がここでも始まっていました。

昨日は我が家は精進揚げ・・・

の蕗の薹を摘んできて加えました。春の味でした。

[ 投稿者:オコジョ at 09:17 | その他 | コメント(0) ]

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