掲示板お問い合わせランダムジャンプ

浅間山 (5月7日 信濃追分駅より)
P2120860
ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習いの、にわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


営利目的や記事に関係のないコメント、英文のコメントは、予告なく独断で削除させていただきます。

2017年03月18日
千曲川左岸の台地と谷間にて2 明神池と芸術むら
1
八重原の明神池・・・

八重原台地の中心、ここは芸術むら公園となっています。

浅間山が見下ろす素敵なところですね。

ここには小さいですが、天才画家青木繁のなど、郷土画家や埋没画家の作品などを収録して展示している梅野記念絵画館があり、地元の人たちの作品を展示するふれあい館が併設されています。ほかにも陶芸の登り窯や竹紙工房などがあり、アートと自然の融合を穂計っているようです。


2
昨日の続きから・・・

鍋蓋砦のある下八重原から、明神池のある八重原に向かいます。

左側の近代的な建物は「アートビレッジ明神館」です。ここは芸術むら公園内にある宿泊可能な温泉宿ですが、日帰り入浴も可能です。一度入浴したことがありますが、ずっと前のことで入ったということしか覚えていません。
露天風呂から浅間山が見えるとか、この日は入れませんでしたが。いつか来ようと思っています。

3
「農耕車優先 道幅が些少のために一般車両の通行はご遠慮ください。」とあります。

車の道は、ずっと回りこむのです。ここは近道。自転車なら農耕車の邪魔にならないと勝手に判断して、この道を行きました。

5
諏訪神社がありました。

6
わりと小さな神社だなと・・・

でも後ろに建物があります。
なんとなく、神社らしい建物なのです。もう一つ神社があるのかなと行ってみます。

7
こちらは立派な社殿ですね。

屋根には、諏訪大社の神紋と同じ梶の木の紋・・・

こちらが諏訪神社ですね。

ただ社殿の中にいらっしゃるのは諏訪明神だけではありませんでした。
ここは合殿で、3つに分かれ3つの社があります。
左から、皇大神社(豊受大神)・諏訪神社(八坂刀売神・天神代主命)・八幡社(応神天皇・仲哀天皇・神功皇后)と並んでいます。()内は祭神・・・

気になるのは諏訪神社の神が八坂刀売神(やさかとめのかみ)ということです。諏訪神社には諏訪大明神の建御名方神と妃の八坂刀売神を祀ります。建御名方神単独のことも多いです。

諏訪湖の御神渡は、今年は見られませんでしたが、上社の建御名方神が下社の八坂刀売神を訪れる際にできるという言い伝えがあります。建御名方神は大国主の子ですから、古事記や日本書紀に登場するのですが、八坂刀売神は登場しません。もともと諏訪の神だったという説もあります。

では上の写真の社殿の神は、私にはわかりかねます。
想像をたくましくすると、こちらは下社で、上の写真の社は上社で、建御名方神が合殿でなくて単独で祀られているのかなと・・・
多分違うでしょうね。そうならもっと社が立派なのではと・・・

10
ここは明神池のほとりです。神仏混淆のころは諏訪大社の神は諏訪大明神と呼ばれました。今でも、神仏分離となっても人々は諏訪大明神と呼びます。

明神池の名前は諏訪大明神からに間違いないと思います。

8 (1) 8 (2)
こちらにも合殿でした。

左から、幸神社(猿田彦神)・稲荷社(保食神)・山神社(大山祇)・・・
右の祠は道祖神です。

9
こちらが表参道でした。

諏訪神社となっていますが、合殿になっていますので、ここは地域に散っていたいくつかの神社を一つにまとめて生まれたのかもしれません。

11
蓼科山は雲のなかでした。
明神池ですが。堤が見えますね。ここは人口のため池です。蓼科山の水はここにも導かれています。

12
結いの高欄道

明神池の堤の上のこの360mにわたって作られたブロンズの高欄をこう呼びます。
東御市(旧北御牧村)出身の造形家・保科豊巳氏(東京芸大助教授)の環境芸術作品で、1992年度日本建築美術工芸協会賞を受賞しているそうです。

16
もう一つオブジェ・・・
石のパーゴラ・・・

自然の光と影が演出する巨大な御影石のパーゴラ・・・

どんな植物を置けば似合うのでしょうか・・・

15 (1) 15 (2)
登り窯・・・

私の陶芸の仲間たちも、この窯で作品を焼いた人が何人もいます。私の陶芸は遊び程度なので、こんな本格的な窯で焼くことはないのですが・・・

ここは、毎年10月上旬には「火のアートフェスティバル」が開催されます、味覚、芸術、音楽と大勢の陶芸家や音楽家が集い、美しい自然とアートの出会いをテーマに、多彩なイベントです。
その時はこの窯に火が入り、煙突から火柱が吹き出して見事です。

「火のアートフェスティバル」ではもの道場・竹紙工房などののづくり体験ができます。ただ。予約制ですが・・・

この祭りの時は、小諸も公民館まつりで、私の会も底で、祖伊芸帝拳をやっていて、私も手伝って今椅子ので。なかなか「火のアートフェスティバル」に来られないのが残念です。

13 
P2050172
西峯古窯が移設してありました。

この地は、こうした古い窯や古墳などもあり、古くから人々のくらしたところだったようです。

17
明神池の隣の大工池・・・
この奥にもう一つ新池という池があります。そして小さな池は数知れず・・・

八重原台地や御牧ヶ原台地、そして小諸・上田・佐久地方は。日本でも有数の雨の少ない地域です。そして、八重原台地と隣の御牧ヶ原台地は平坦な台地なのですが。千曲川や鹿曲川は依田川などの周囲の川岸より100メートル以上高い標高650から850mで田畑を潤す川はほとんどありません。水、即、農民にとっては命なのですが、天水に頼るしかありませんでした。

長野県は山が多く平坦な土地が少ない御牧ヶ原や八重原は貴重な平地です。しかし、水がなく耕作には不向きとされていました。八重原が開墾されたのは江戸時代の寛文2年(1662)に直線で21kmの赤沼平から水路を引いてこの台地に導きます。この水路が八重原堰です。
蓼科山からの水は僅かですが。そうした水を有効に使うために、こうした溜池があります。

3水路の系統図
この図は、今は観光地となった蓼科山の女神湖のある案内図です。

女神湖は昭和41年にここを堰き止める前は標高1540mの高原の赤沼平と呼ばれる湿地帯でした。

この水路図は、じつにふくざつで、二万五千分の一の地図を見ながら折っていってもどうなっているのかと・・・
この文を書いていますが、この複雑な水路の設計と工事を行うことに驚嘆しています。
直線で21kmと書きましたが、その間に丘あり谷あり、山の山腹を水平にたどる堰と、自然の沢を上手く繫ぎ合わせて、水路は50kmに及びます。
実に込み入っていて、私には理解し難い所も多いのですが、これを考えて、実行した先人に驚嘆です。

蓼科山からの水は五郎兵衛用水(1630年)、塩沢堰(1645年)、宇山堰(1648年)が築かれて、この地方に水田に水を供給するようになりました。

18
八重原の水田と・・・

八重原という名前は丘陵が起伏してまるで八重の原のようということだそうです。
この辺りは中八重原という地区です。

向こうの町は芦田、茂田井という中山道沿いの街並みです。

19
そうした水田の中を、下に下っていきました。

八重原台地の土は強粘度質の粘土質で、保水性が良く美味しいコメができます。
でも、そのために大変な労力とそれを守り続ける人々の努力の結晶がここにあるようです。

ここで栽培されている八重原米は、平成18年6月〜8月に信州フェアとして全日本空輸ANAの国際線のファーストクラスとビジネスクラスの機内食に採用された美味しいお米です。オリジナルブランド米として「やえはら舞」です。昨日一寸紹介した料理研究家・山本麗子さんも「やえはら舞」のファンだったそうです。

20
水神・・・

暮らすにも、米作りに水が必要です。農民にとっては命の水です。
[ 投稿者:オコジョ at 08:51 | 東御市・立科町 | コメント(0) ]

この記事へのコメント

この記事の固定URL
http://shinshu.fm/MHz/90.97/archives/0000527740.html

記事へのコメント
 
簡単演算認証: 6 x 9 + 5 =
計算の答えを半角英数字で入力して下さい。
名前: [必須]
URL/Email:
タイトル:
コメント:
※記事・コメントなどの削除要請はこちら