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浅間山 (11月26日 小諸市平原 三ツ子塚より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2017年03月17日
千曲川左岸の台地と谷間にて1 八重原へ  
1
八重原台地へ登る途中からの浅間山・・・

最近は浅間山の噴煙が多く、高さ300mに上がることもあるようです。
もっとも大きな噴火の時には一万数千mも上がりますので、300mは山に張り付いている位なものですが・・・

このくらいの方が、迫力があります。もっとも雲が多くてどこまでが噴煙なのかと・・・

噴煙が多いと危険ではないのかと・・・
一概にそうとは言えないようです。煙が出ている方がガスの出口があるということで、大噴火の可能性は低いという説もあるようです。多少活動はしていますが、全体的に見ると平穏といえるようです。もう数十年地元に被害のあるような活動はないようです。むしろ、都会の地震や、洪水の方が、浅間山の何十倍も怖いような・・・
もっとも千年に一度か二度というような大噴火は別ですが・・・


2
北国街道を上田方面に自転車で走ります。
今回の街道は通り道だけですが・・・

3
今回は千曲川の対岸の幅広い丘に行きます。

ここは八重原台地と言います。

5牧家地区・・・

ここで北国街道から離れて千曲川に下ります。

ここらには雷電顕彰碑があります。

今年は、この近くの大石というところに生まれた江戸時代の大力士の雷電為右衛門の生誕250年なので少し寄り道・・・

少し前に海野宿で、雷電の紹介はしていますので、この碑についてすこし・・・

雷電の功績をたたえて幕末の英傑、佐久間象山の撰文、揮毫して、没後37年の文久元年(1861)に建立されました。内容は雷電の一生を簡潔に書いています。
その中に、余り強すぎて、突っ張り、張り手、閂(かんぬき)は相手に危険ということで禁じ手とされたことなども書かれています。右の碑がそうなのですが、もう読めません。
古い碑は、明治になって、破片を煎じて飲むと力が強く健康になるとか、持っていると勝負事に勝てるなどという迷信により削り取られて、判読不能となってしまったそうです。

そのため明治28年、勝海舟、山岡鉄舟たちがそのことを惜しみ、左の新しい碑が建立されました。

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千曲川に架かる境橋で対岸に渡ります。
境橋は古くは羽毛田村と島川原村、後に東部町と北御牧村の堺の橋でした。今は合併してどちらの岸も東御市となりましたが、かつての村の歴史を残していると言えます。
界でなくなったからと名前を変えてはいけません。

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続いて、鹿曲川を「みまき大橋」で渡ります。

ここより八重原への登りがはじまります。

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「みまき大橋」は歩いて渡ったことがありますが、そこから先は、歩いたことも、車でも通ったことのない道・・・

千曲川の岩壁の上には中世の外山城という城がありました。
そこが八重原台地の突端ずっと高いですね。

千曲川から今日の最高点まで、200mの高度差があります。電動自転車ですから登れますが。以前のママチャリだと無理ですね。

のんびり、ゆっくりと登ります。

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道脇には前日の名残り雪・・・

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大分登りましたね。
浅間山を眺めて一休み・・・

冒頭の写真はここから撮影しました。

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道は緩やかになって道祖神の石碑・・・
そして、民家も・・・

八重原台地の上に到着したようです。

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そして脇道へ・・・

地図に寺のマークがありますので・・・

16 (1) 16 (2)
大日如来(左)、庚申の神、青面金剛(右)・・・

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宗江寺・・・

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曹洞宗のお寺だそうです。
調べても何もわかりません。大体の寺かそうなのですがね。それぞれに歴史はあるのでしょうが・・・

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立派な松ですね。

この寺も、中りの歴史を持っているようです。

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寺の前の池は溜池なのだと思います。
ここは見ず述べ辺の悪いところですから・・・

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浅間をバックに八重原台地・・・

下から見ると丘のように見えても上はこんな平坦な長閑なところです。

この台地には作家の水上勉さんが晩年居を構えていました。また最近、佐久平に移られましたが、料理研究家・山本麗子さんが10年以上お住まいでした。

22 (1) 22 (2)
「鍋蓋砦跡350m」とありました。
このくらいならと、寄ってみることにしました。

田お越し・・・
農作業がはじまっていますね。
高いところはないですね。
距離的に見ると後に見える民家位なのですが・・・

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民家の後ろでした。

余り砦らしくないですね。

言い伝えでは天文年間(1532〜55)に武田信玄がここに陣を置いたそうです。

鍋蓋というのは武田軍がここに際に鍋蓋が置き忘れられたとか、土地の形が鍋蓋に似ていると言われます。地図を見ると確かに城は丸く、高くないので似ていると言えば似ているかなと・・・

城というより、居館があったのを信玄が使ったのかなと・・・

ただ。台地の真ん中で、戦に使うには適していないように思えます。

27 (1) 27 (2)
この石祠は武田信玄を祀っているとか・・・

そして、右の写真の石は駒石といい石の上にある窪みは信玄の馬の足跡が残っているとか・・・

外山城は城らしいのですが、ここはあまりに城らしくないなというのが私の感想です。伝説がつくりだした城かなと・・・
何らかの軍事的なものがあったのでしょうが・・・


外山城が前進基地で。ここが本陣ならわかりますね。大軍を置くなら広いですから・・・

いずれにしても詳しいことはわからないようです。
[ 投稿者:オコジョ at 13:11 | 東御市・立科町 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんにちは
1枚目の写真、神秘的ですね。
浅間山、毎日表情が違うのでしょうね。春の色も楽しみですね。
坂道けっこうあるようだけど、電動自転車なら大丈夫ですね。
たまにママチャリですがたまになのでかなり足腰にきます・笑
投稿者: アメジスト at 2017-03-19 11:55:06
アメジストさんへ
こんにちは
浅間山は日々違いますね。
まったく同じということはないのでしょうね。
こちらは千曲川とか、山の方に行くと直ぐ標高差が100メートルを越えます。
この自転車のおかげで行動範囲が広がりました。
で天者は何処でも止められるので写真を撮影するには、具合がいいです。
投稿者: オコジョ at 2017-03-20 13:02:55

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