掲示板お問い合わせランダムジャンプ

浅間山 (2月4日 信濃追分駅より)
P2010618
ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習いの、にわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


営利目的や-記事に関係のないコメントTBは、予告なく独断で削除させていただきます。

2017年03月12日
中山道 笠取峠越え
0
松並木と浅間山・・・


1
杉並木を過ぎると国道を歩くようになります。

やはり松並木はいいなと、振り返ります・・・

3
現代の車の道は、なぜこんなに機能的で味気ないのかと・・・
文句を言うのなら、のこのことやって来て歩かなければいいのですが・・・

この上は溜池ですね。
気分がのらずに見にも行きませんでしたが・・・

でも、国道としては緩やかな気持ちのいい道ですね。

5
松並木から1キロくらいで、一軒家があり、江戸から47番目 の笠取峠の一里塚跡・・・

ここには茶屋があったそうですが、この家ではなく、もうなくなっています、

6
標石があるからわかりますが。なかったら判りませんね。
一里塚のほとんどは国道が削ってしまったようです。

赤松の木が見えますが、これが往時のものかどうか・・・

7
一里塚から400mほどで標高900mの笠取峠頂上・・・

何回も車で通ったところですが、歩いて始めてきました。

中山道の江戸側はしなの鉄道や信越本線沿いで、交通の便が良く群馬県内はすべて歩いています。しかし、京都側はバスのために行きにくく、つい面倒で松並木までした。この先の長久保、和田、下諏訪の各宿場や木曽路のいくつかの宿場は宿場の実訪れているのでが、やはり、街道は歩いてみないとよく判りません。一里塚は今回初めてここかと・・・

といっても、ここは昔の峠ではありません。ここは国道建設時に山を削ってつくった道・・・
昔の峠もっと高い位置にあり、見晴しが良かったそうです。

笠取峠の名は旅人が峠の登りで暑さと疲れのあまり笠を取って登ったことからと言われていますが。古くは苅取峠といわれ二軒の立場茶屋があったそうです。
苅は「草をかる」という意味ですね。ここは草原で茅葺屋根の茅や峠を越えた馬の秣(まぐさ)を刈る秣場だったのかもしれません。これはオコジョの空想・・・ところ。まぐさば。笠取峠の名の由来には諸説あり、決定的なものはないようです。
一番きれいな説は、峠の空の景色が見事で。皆傘を採って眺めたというものです。

8
峠のすぐ下に峠の茶屋があります。

この茶屋も現在のお食事所・・・

江戸時代にも「峠の茶屋小松屋」があったそうです。

10
国道わきの擁壁に、長久保宿の釜鳴屋に保存されている「笠取峠立場図版木」・・・

当時は賑やかだったようですね。

中山道で有名なのは和宮降嫁ですが、幕末の元治元年(1864)に、水戸藩の尊皇攘夷激派の水戸浪士の天狗党の乱です。開国に反対した天狗党は幕府に即時鎖港を要求して筑波山で挙兵します。この多胎は反戦となりますが、そこから脱出した1000名ほどが、当時禁裏御守衛総督・一橋慶喜を通じて朝廷へ尊皇攘夷の志を訴えるべく京をめざします。
高崎藩を敗走させた天狗党は中山道を今日にむかいます。幕府は天狗党追討令を出していますので、小諸藩は何もしないわけにいきません。
芦田宿手前の茂田井に小諸藩の本陣を置きますが、天狗党と遭遇しないようにして、領内を通行させます。その後、天狗党を追って、昼過ぎには笠取峠まで出陣、岩村田藩兵と御影陣屋兵と合流し、もう峠を下ってしまっている天狗党に届かないのに鉄砲を撃ち、鬨の声をあげたそうです。幕府へ追撃したという口実のためです。武士でも、命は惜しいですから、幕府の力ももう大きな力を失っていたということかもしれません。

11
峠を過ぎれば下り道・・・

当たり前ですね。峠は「山を上下する」を組み合わせています。

もっとも峠は中国蟹伝わった感じではなく、日本で作られた国字、つまり和製漢字だそうです。でも、和歌の安くていいですね。

直ぐペットショップがあります。こんなところに戸思いますが、峠あたりは別荘地があり、そこの別荘客を相手にしているようです。

ペットショップのところで、旧国道が右に分かれます。

12その現在の国道と旧国道の間に昔の中山道が残っています。

見下ろすとこんな道です。
右に旧国道のガードレールが白く見えています。

13
雑木林の道です、樹々の茂った頃は暗い林になるかもしれません。
雪解けのころということもあってぬかるんだ道でしたが、やはり昔の道は雰囲気もあり街道歩きの気分になります。

15
もっと続いてほしいのですが、200mほどで旧国道に出てしまいます。

16
長和町の町指定の保存樹木の推定樹齢150年の枝垂桜・・・

旧国道に出たところにありました。花の時期は見事でしょうね。

17
旧国道をたどります。この先ヘアピンカーブ・・・
昔の道は車も難所でした。

18
ヘアピンカーブを曲がると馬頭観世音の文字碑と石仏が並んで佇んでいました。
頭巾をかぶっていらっしゃって、御顔がわかりませんが、この形ですと坊主頭のようなので。地蔵菩薩かなと、御顔を見ていないので。何とも言えませんが・・・

19
もう一度、中山道の旧道がありますが、こちらもわずかで旧国道となります。

20
そして現代の国道に出ますが。この先で、右の道に入ります。

21
田舎の道らしいの長閑な道ですが、長久保の町が近づきます。

22
ほんの少し昔の街道・・・

23
道脇の福寿草を一枚・・・

[ 投稿者:オコジョ at 06:22 | 中山道 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんにちは。
笠取峠
つい先日のような気もしますが、もう数年前、夫も普通に歩けて、すずも元気な頃に行きました。
思い出すと、あの頃はこの辺りに随分行っていた気がします。
よくぞ残してくれた!というような松並木ですよね。
昔はずーっと続いていたのでしょうに、刈ってしまったんでしょうか。
勿体ないですね。
一里塚もあったんでしたっけ。
見逃したのか忘れてしまったのか。
困ったものです。
投稿者: 万見仙千代 at 2017-03-12 17:23:03
万見仙千代さんへ
松並木の終わりまでは、行っていたのですが、あとは国道だからいいやと・・・
でも、やはり越えなくてはと・・・
足に故障を持っていますから。私もいつまで歩けるか判りません。
最近は歩けるうちに歩けるところはと歩いておきたいと・・・
和田峠も越えてみたいのですが、体力的に難しいかなと・・・
和田宿と下諏訪宿は峠だけでなく距離もありますし・・・
峠下の1キロ強は国道のために切ってしまったのでしょうね。惜しいことです。
一里塚は塚というより、ここにあったという感じのようです。気が付かないと通り過ぎてしまいますね。
投稿者: オコジョ at 2017-03-12 19:30:54

この記事の固定URL
http://shinshu.fm/MHz/90.97/archives/0000527386.html

記事へのコメント
 
簡単演算認証: 1 x 2 + 5 =
計算の答えを半角英数字で入力して下さい。
名前: [必須]
URL/Email:
タイトル:
コメント:
※記事・コメントなどの削除要請はこちら