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烏帽子岳・夏山 (7月9日 湯ノ丸山より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2017年03月11日
中山道 笠取峠の松並木
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愛宕神社あたりからの浅間山・・・


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道脇に双体道祖神・・・
2組とも摩耗が激しくかなり古いもののようです。
どちらも手を組んで拝んでいる素朴なものですね。

ここは集落の入口、道祖神は集落で、悪霊が入り込むのを守る神です。ここが入口ということでしょうか・・・

前は土手の草の上にあったのですが、綺麗に整備され過ぎてなんとなく違和感が私にはあります。

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石打場公園・・・
よくわからないので現地の説明に頼ります。

「石打場」の地名はなら、新潟、群馬などにあり、「石打」は当て字で、「石内」が本字らしい>
い。(吉田東伍大日本地名辞書)すなわち、「石内」とは「境界」または石敢当(セキカントウ)の意味があり、「災害除け」または防御示のための場所というのが本来の意味である(地名源語辞典)ちなみに本町芦田の石打場は、旧芦田町と横鳥村の境であり、芦田八ヶ略誌によれば「住吉、山辺と芦田の子供戯れし所也」とある。

石敢当は石敢當、石標。石敢当、泰山石敢當、石敢東、石散當、石散堂、石厳當などと書かれた魔よけの石だそうです。道祖神の一種といってもいいようです。石敢當(いしがんどう、いしがんとう、せっかんとう)と書かれることが多いようです。中国発祥で沖縄県や鹿児島県で見かけるそうです。

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石打場公園のところで中山道は国道142号線と平行して笠取峠に向かいます。

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笠取峠はまっすぐですが、左に寄り道します。
地図に鳥居のマークがありますので・・・

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鳥居に「愛宕神社」とありました。

急な石段、やれやれと・・・
でも、なかなか来られないところなので登ります。

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愛宕(あたご)神社の社殿・・・

愛宕神社は、京都の愛宕山の愛宕神社を総本山とする火防の神をまつる神社です。

古くから、火事は人々にとって脅威でした。現在と違って火災が起こると消すことは無理で。延焼を抑えるだけ・・・・

そして、火難から守るために、愛宕神社や秋葉神社を祀り神に祈りました。
秋葉神社は集落の入口に多く、愛宕の神は集落の入口や集落を見下ろす山の上に祀られることが多いですね。

鉄道唱歌にも「愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として」とありますね。
鉄道唱歌の愛宕山は、東京都23区内最高峰で25.7mの三角点があります。もちろん徳川家康が火災から江戸を守るために建てた愛宕神社があります。曲垣平九郎が午で石段を登って梅を採って来た神社です。

ここは芦田宿の防火の神だったようです。宿場より50mくらい高そうです。宿場を守るには絶好の位置かもしれません。

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日影はこんな感じ・・・
峠は大丈夫かなと・・・
国道ですから大丈夫でしょう・・・

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神社下から芦田宿方面・・・

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中山道に戻ったところに菅笠を持って寄り添っている母と娘の二人連れの道祖神があります。もっとも、これでは神ではなくて仲よし母娘旅像で、現代の新しいものですね。
その牛色に小さな仏様がいらっしゃいます。(写真 右)

像は小さいですが、「万物の慈母」「無限宇宙の全一」という偉大な仏様の大日如来です。左手の人さし指を立てて右手でその指をにぎる智拳印(ちけんいん)という印相(指の組み方)は大日如来だけですので、仏様の区別が良く判らないオコジョでもわかります。
江戸時代から旅人を見守っていらっしゃるようです。

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芦田宿から1kmほどで、笠取峠の松並木となります。ここから旧中山道は1km近く、中山道随一の松並木が残っています。(長野県天然記念物)

徳川二代将軍の徳川秀忠は、慶長九年(1604)諸街道の改修をおこない一里塚を配置するとともに街道に樹木を植え並木をつくりました。日光の杉並木や、箱根の「昼尚暗き杉の並木」は有名です。ここも言い伝えでは慶長七年頃、幕府より赤松の苗木753本が小諸藩に支給され、近隣の村人により苗を植えて、明治維新まで、保護されました。

16立科町は平成五年に、「松並木公園」として整備しています。
江戸時代とはす感じは違うのですが。こうして残っていくことはありがたいことです。

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「松並木公園」には「従是東小諸領」の石標があります。笠取峠までは小諸藩の領地でした。
この碑は、文化3年に小諸藩の東西領界の追分と笠取峠に建てられました。追分は「従是西小諸領」です。
元はここから1.3キロの笠取峠の頂上にあったのですが、失われて再刻されたものです。追分の石標は小諸城跡に移され、笠取峠の石標の複製とともに本丸に建てられています。


  老松の風にまぎれず啼く鷹の声かなしけれ風白き峰に

  岨路のきはまりぬれば赤ら松峰越しの風にうちなびきつつ 


若山牧水の歌碑もありました。この歌は大正4年の牧水の第8歌集「砂丘」の中の「下野より信濃へ越え蓼科山麓の春日温泉に遊ぶ、歌四十五音」の中に収められたこの辺りで詠まれた歌です。

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国道を横切り松並木は続きます。

現在の松は68本あり、樹齢が150〜300年以上だそうです。

芦田
歌川広重 「木曽海道六拾九次之内あし田」・・・

『東海道五十三次』で有名な歌川広重は渓斎英泉との合作(英泉仕事を受けたが途中で放棄)で「木曾街道六拾九次」を描いています。この図は芦田を描いています。
笠取峠の松並木なのでしょうか・・・
問題は松並木でなく、並木が杉並木・・・

jpegOutput望月
歌川広重 「木曽海道六拾九次之内望月」・・・

もう一枚江戸側の望月宿を描いたもの・・・
こちらは松並木・・・

本来のイメージと違います。
広重は絵の題名を付け間違えたのではないかという説があります。
歌川広重に聞いてみないとわかりませんが・・・

そんなことはも気にしない大らかな時代だったのかもしれませんね。
細かいこと言わないで。広重の浮世絵の世界を楽しむべきなのかもしれません。

芦田3芦田
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ここは石畳ですね。箱根の石畳も有名ですね。

幕府が並木屋石畳みを山道などに推奨したのは、雨風をしのぎ木陰や、悪天のぬかるみを解消するとともに道の崩れるのを防ぐものだったと言われます。今の青磁かよりも、はるかに自然を理解し大切にしたようです。

全国的には松や杉のほかにも樫・榎・漆(うるし)などの並木があったそうです。
漆並木なんて被れそうですね。現代なら危険と大問題になりそうですが、当時は重要な産業の素材であったようです。
東北の会津藩では最盛期には漆を80万9726本植え、南部藩では明治まで漆並木があったそうです。

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ここで松並木は終わります。その先、峠まで1.3Kmありますが、昔は松並木が続いていました。前に来た時は、ここで引き返しました。
ここから先は歩いたことがありません。もっとも車では数知れず笠取峠を越えていますが・・・

[ 投稿者:オコジョ at 09:06 | 中山道 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
今晩は
嬉しいですね。茂田井に近い場所からの浅間山。
まだ雪が残ってましたね。
笠取峠。皇女和宮の行列も笠取峠を越えたのでしたよね。これから先も松を大事に保存してほしですね。
投稿者: やぶ椿 at 2017-03-11 22:22:50
やぶ椿さんへ
おはようございます。
反対に行けば茂田井で峠に雪があるようならそちらとも考えたのですが、無さそうだったので越えていない峠を越えました。そして和田峠、芦田の笠取峠、望月の瓜生坂、そして碓氷峠、峠ばかりで、皇女和宮も大変だったでしょうね。
新しい松も育てて、残してほしいですね。
投稿者: オコジョ at 2017-03-12 06:39:12

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