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浅間山 (9月30日  軽井沢 矢ヶ崎公園より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2017年03月03日
北国街道小諸宿のお人形さんめぐり
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北国街道小諸宿本町を行きます。

妻が町に散歩に行くというので、ついていきます。

北国街道小諸宿では第13回 北国街道小諸宿のお人形さんめぐりが3月5日(日)まで開催中でした。

お人形さんめぐりは小諸宿の本町地区を中心に商家などに保存されている江戸時代の雛人形を飾ったのがきっかけとして始まり、現在では近隣の相生町や大手町、荒町、与良町などの店舗や施設も参加して、色々なお雛様が、小諸宿を飾っています。


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古い町屋・・・車の幅2台分強・・・
この空き地にも同じような家がありました。車2台並べれば失敗ですね。間口の狭いのが昔の町屋の特徴です。
しかし両脇の家を見ると奥が深いですね。

右のお宅の中に入ってみましょうか・・・

普段は入れませんが、お雛様が中に展示されていて見学できます。
奥が深いですね。この部分が店舗ですね。奥に出口がありますが、その奥は中庭があり家は奥の差式に続いています。

「京の長屋は鰻の寝床」といわれますが、でも、今日の都に限らず街中の町屋はこうした傾向があるようです。

一説には豊臣秀吉が京都の町屋に間口三間(約5.4m)を一軒として課税してそれに対抗するためといわれますが、正しいかどうかははっきりしないようです。小諸宿は江戸時代に作られた町で、こうした税は無かったと思われます。このように京都だけではなく全国的にこの傾向があり、他に理由がありそうです。

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このお宅には普通の雛飾りもあったのですが、松本押絵雛もありました。

松本押絵雛は、信州松本藩では、藩の殖産興業として、押絵雛作りが藩士の家庭で奨励されました。明治維新後には、士族が生計を立てるため盛んに作られましたが、次第に他の雛人形に押されて、作られなくなりました。

7 (2) 7 (1)雛を訪ねながら、古い建物を見て歩くのも楽しみです。

左の建物は源氏庵という料亭だった家です。
その後、オンワードの樫山家や志賀銀行として使われて、空き屋だったのですが、今はそば屋に改装されています。入口の向拝(御拝)の彫刻は見事で、店内では、箱階段なども残っています。
常連ではないのですが。たまにおそばを食べに来ます。蕎麦がきが美味しいです。

左は骨董屋さん・・・

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呉服屋さんにいらっしゃったそろばんを持つ木製の招き猫・・・
この猫に誘われて二階に上がります。

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「坂の途中で」と題して原路代さん回顧展が行われていました。

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原 路代さんは本町で、米穀店を営んでいた家の奥さんでした。

素敵な切り絵を作る方でした。「北国街道小諸宿のお人形さんめぐり」の小諸宿の古民家を切り絵にしたポスターの切り絵は彼女のものでした。

そのポスターが展示されていました。

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何枚か見てみましょう・・・

小諸懐古園の藤村碑のあたりからの水の手展望台・・・
夕暮れの感じがよく出ています。

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小諸の祇園祭の神輿・・・

神輿をぐるぐる独楽の様に回すシーン
迫力あるシーンを素敵に描いています。

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原さんの作品たち・・・

肉筆の絵も上手でしたし、こうした工芸作品も素適ですね。
病で亡くなられましたが。残念なことです。

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皿散策の吊るし雛・・・

原さんは私の属する陶芸の会に数年、会員としてお付き合いしたことがあります。
私の会は個展を開き、陶芸教室の講師をしている優秀な会員もいらっしゃるのですが。私はあまり作品も作らず、下手なのですがも最古参なので、新人が入ると指導をすることが多いのです。少し上手になると、みんな私を追い越していきますが・・・

指導しているとその人の性格がわかりますね。大体2つのタイプに分かれます。私に頼ってくるタイプと、自分でどんどん作っていくタイプです。
原さんは後者のタイプでしたね。

そして、作るのは趣味の山野草の植木鉢だけ・・・
ほかには目もくれませんでした。

でも、多趣味の方でしたが、それぞれの趣味にこだわりを持って、一生懸命にコツコツと作っていたのが印象に残っています。

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原さんの切り絵の旧清水屋・・・

清水屋は江戸時代の文久2年(1862)に笠原半兵衛が創業した味噌醤油醸造を営んだ店でした。私の母の実家の親せきになるのですが、祖父は醤油屋に行くといって、私を連れて行ったことが、何度か行ったことがあります、確か届け物を持たされてついていった記憶があります。そして見事なサンタクロースのような白鬚をはやした笠原憲三さんという当主と祖父が話していたのをいまでも強く印象に残っています。

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お人形さんめぐりのメイン会場「ほんまち町屋館」・・・

上の切り絵の旧清水屋の現在の姿です。
旧清水屋は現在では、小諸市に寄贈され国の登録有形文化財「ほんまち町屋館」となって、地域交流の場となっています。

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この雛人形は、「ほんまち町屋館」に展示されていた旧家の享保雛の内裏雛です。
江戸中期に京都で作られ、各地に伝わっています。面長で、切れ長な目が特徴です。
衣装の染色は草木染めの落ち着いた、味わいは、なんともいえません。
女雛の赤い袴は絹ですが、中に綿を膨らませているのも享保雛の特徴です。

サトウ ハチローの詩による「うれしいひなまつり」に「お内裏様と おひな様 二人ならんで すまし 顔」とありますが、内裏は本来、お殿様のことでなく、昔の天皇の住まいのことです。内裏には元服や立太子などの儀式を行う紫宸殿があり、雛人形はその天皇の結婚の儀を元に作られたと言います。
つまり内裏雛は男雛と女雛の二人そろっての呼び方です。

男雛、女雛の並び方が現在と左右逆ですが、江戸時代は、この写真のように飾りました。これは天皇の結婚式にならっています。
5段や7段飾りで飾られる左大臣・右大臣がありますが、官位は左大臣が上です。このため尾雛と同じ側に並べます。つまり内裏雛から見て、左に左大臣、右が右大臣となります。

享保雛は立派ですね。このため大型で豪奢な享保雛は、「奢侈禁止令」幕府から取締りをしばしば受けたそうです。このころには、雛人形が商業化され、多く町民たち蛾飾ったことを示しているようです。

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最近は吊るし雛が盛んですね。

自分で作って楽しめるところが人気なのでしょうね。もともと、豪華な雛人形を手に入れることのできない庶民のものだったようです。

つるし雛は、伊豆・稲取、九州・柳川が有名ですが、こうした文化は江戸時代にはいろいろな地方に広まっていたようです。江戸時代後期には小諸周辺でも、「つるしもん」として、吊るし雛を贈る習慣があり、実物も見つかっているそうです。

吊るし雛の雛は「女性が一生の間に食べたり、愛したりするもの」で、一つ一つの飾りに意味があり、一本の紐には奇数の飾りをつけます。お祝い事で、割り切れないようにと、いう意味があるそうです。男のものはないのかなと・・・
全て手縫いの飾りは素朴ですが暖か味を感じます。

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鴻巣雛(こうのすびな)の古雛が展示されていました。
ちょっと距離がありガラスケースの中で、見にくいのですが・・・

鴻巣市は中山道の鴻巣宿のあったところです。埼玉県は江戸時代から節句人形作りが盛んで平成19年経済産業省工業統計では現在でも全国第一位約46%のシェアを占めています。
鴻巣雛の歴史は訳四百年にもなるそうです。この雛は江戸時代後期のものと考えられ、明治志功実の形のものは作られていないそうです。

近代関東三大ひな市というのがあったそうですが、同じ埼玉と、江戸日本橋の江戸十軒店と鴻巣だったそうです。

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旧清水屋の面影をしのばせる廊下・・・
現在の建物は大正12年(1923)に建てられたもので、木造2階建、切妻の建物です。

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大正7年(1919)の記録によると醤油300石・味噌十万貫の生産をおこなった小諸一の醸造業だったそうです。3列の土蔵が並び、91個以上の六尺桶に味噌と醤油を熟成させていたそうです。

左の六尺桶(醤油用)は、味噌・醤油の醸造店「清水屋」の敷地内に在った醤油蔵を取り壊していた際に発見された大正3年製造の桶です。

右の大竈は現地の案内にこうありました。

この大竈は、平成十三年四月初旬に仕込みの蔵の北西外構北に石の頭だけ出ていたものを掘り出して発見されました。ひぐちが在るけれど焚口見当たらないの「五尺の大釜が据えつけられていた❓」と思われます。
「清水屋」では、この大竈に据え付けられた大釜で、味噌麹にする「米」を蒸し、また、大豆を煮るのに使用したと思われます。この程度の釜で「拾萬貫も製造していた。」ことを思うと、当時の仕事がいかに大変であったか想像されます。  北国街道 ほんまち町屋館 


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私が祖父に連れられてここを訪れたのは昭和30年代だと思います。ここは昭和40年代までは営業していました。

そのころの印象としては、味噌や醤油の匂いが濃厚で、商品や道具かたくさんのあり狭くるしく、薄暗い圧迫感があったように記憶しています。
市民の交流の場として整備されてしまうと、明るく開放的で、ここがあの場所なのかと首をかしげるほど印象が全く異なってしまいます。保存というのは難しいものですね。

[ 投稿者:オコジョ at 07:54 | 小諸 町 祭り | コメント(6) ]

この記事へのコメント
おはようございます
古い街並みにシックなお雛様の表情が似合いますね。
押し雛は物語が描かれていて楽しめますね。
私の地域ではおきあげ雛と呼びます。
丁寧な技術ですね。

味噌や醤油蔵からは香ばしい匂いがしていたのでしょうね。
タイムスリップしますね☆
投稿者: アメジスト at 2017-03-03 10:28:08
こんにちは
素敵な通りにお雛様、古民家を上手に使うと村おこしになりますね。先日舟長の家だった古民家で神楽がありました。隅々までその名残が残ってをり大きな椿の火鉢を囲んでの見学となりました。

我が家も茂田井からの押絵雛を飾っています。
玄関に来る人が珍しいねと声をかけて帰ります。雛様も嬉しいことでしょう。

今日はちょっと寒い日です。
投稿者: やぶ椿 at 2017-03-03 12:50:53
アメジストさんへ
こんばんは
この時期はあちこちでおひな様を展示していますね。そちらでも、おきあげ雛が飾られているのでしょうね。
そちらではおきあげ雛というのですね。
調べてみたら、おきあげは「節句に小さき木の台に立て雛棚に飾る布帛の人物にして旧藩時代より士族婦人の内職として夙にその技巧に妙を得」とありました。秋田・鳥取・茨城などにもあるようですね。あちこちに離れて作られているのが面白いですね。

今は味噌や醤油蔵のイメージはほとんどなくなりました。
昔は強烈でしたね。そのイメージからすると別な建物のような錯覚に襲われます。
投稿者: オコジョ at 2017-03-03 19:15:14
やぶ椿さんへ
今信州はあちこちで雛の展示が行われて、中には何千体ものおひな様を並べているところも・・・
でも、個人的には、ここにあるような古くから伝わる雛たちに魅力を感じます。

こんばんは素敵な通りにお雛様、古民家を上手に使うと村おこしになりますね。先日舟長の家、立派なのでしょうね。椿の島らしい大きな椿の火鉢を囲んでの神楽。趣きがありそうですね。

茂田井からの押絵雛、故郷の思いのこもったひな祭りですね。
華やかさはないですが。味がありますね。

押絵雛、注目されてうれしく思っていますね。
投稿者: オコジョ at 2017-03-03 19:16:58
こんばんは。
お人形巡り、結局今年も行けそうにありません。
オコジョさんの記事で、楽しませていただきますね。
あの雰囲気、本当に素敵ですよね。
町屋館の飾りつけ、私が見た時とはかなり違いますね。
毎回、工夫されるんでしょうね。

≪味噌や醤油の匂いが濃厚で、商品や道具かたくさんのあり狭くるしく、薄暗い圧迫感があったように記憶しています≫
オコジョさんは、清水屋さん時代に行かれたことがあるんですか!
ずいぶん、雰囲気が違っているんですね。
貴重な体験ですね。
投稿者: 万見仙千代 at 2017-03-03 21:35:27
万見仙千代さんへ
おはようございます。
ほんまち町屋館あたりをほんの少しだけ散歩しただけです。与良町、荒町、相生町の公判で人形が展示されているのですが。毎年やっていますので、ちょっと覗いただけです。ただ、この辺りが一番古い人形がありますので・・・
新しい人形は綺麗なのですが、古いものに惹かれます。
もう13回なので、当初と比べると催しも展示方法も変わってきましたね。

私が清水屋を訪れたのは数回でした。
もう50年以上昔なので、照明は白熱電球で切り絵のような解放できなものでなく、もっと重苦しく中に入ると知らない世界に入ったような不思議な感じがありました。
若い時分には、早く、抜け出したいような・・・
もっと良く見ておけばよかったと・・・
本町筋には、母がなくなって付き合いがなくなっていますが、今でも現役で店を開いているお宅が2軒あります。
投稿者: オコジョ at 2017-03-04 10:09:50

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